執筆者:遠藤友香
今や世界中で「公害の原点」「環境汚染の象徴」と考えられている「水俣病」。水俣病とは、1956年5月に公式に発見された、熊本県八代海沿岸及び新潟県阿賀野川流域において発生した公害病のひとつです。高度経済成長にあった日本において発生し、第二水俣病、四日市喘息、イタイイタイ病と並んで、日本における4大公害病のひとつに数えられています。
水俣病は、メチル水銀が工場排水に混じることで環境中に排泄され、これらを多く取り込んだ魚や貝を人間が摂取したことで起こりました。しかし、水俣病の原因がメチル水銀だとわかり、環境に配慮した対策が講じられたのは1968年になってからのこと。長年放置された結果、数多くの方々が水俣病に罹患する事態となりました。
水俣病の症状として、手足がジンジンしびれたり、痛みや熱などを感じにくくなることが挙げられます。運動障害としては、真っすぐに歩けない、日常動作がぎこちなくなるなどがあります。また、言葉が不明瞭になったり、相手の言葉が聞こえにくくなったりします。視野が狭くなることも特徴的な症状のひとつです。重篤な場合には、亡くなる方も出る極めて重い病気です。
この度、この水俣病事件についての展覧会「水俣・京都展」が、2024年12月22日(日)まで、京都の東山・岡崎エリアにある京都市勧業館「みやこめっせ」にて開催中です。1996年の東京開催以来、26都市で16万人の入場者を集めてきた本展は、近畿地方では18年ぶり、京都では初開催となります。
認定NPO法人「水俣フォーラム」は、本展に際し、以下の言葉を寄せています。
「加害企業のチッソの技術力は、世界の化学工場界の中でもトップクラスにありました。その生産過程で副生された原因物質のメチル水銀は、自然界にはまず存在しないものであり、わずか耳かき半分ほどで人を死に至らしめる猛毒でした。水俣湾をつつむ不知火海は、沿岸漁民の主食ともいうべき魚介類の宝庫でしたが、ここに注ぎ込まれたその総量が一億国民を二回殺してもなお余りあるほどに至るまで、チッソの生産活動は続けられました。
原因をそれと知りながら隠蔽を続けたのはひとりチッソに限りません。近代民主国家を標榜するわが国行政は、同じ工程をもつ他企業への問題の波及、化学工業界への打撃、ひいては工業化政策全体への遅延を恐れて加害企業を庇護しました。新潟水俣病の発生は、いわば必然だったのです。
その後も行政は、患者補償金支払いの継続確保という名目で、チッソへの格別の融資を続行する一方、医学界の権威を動員して病像を狭く限定することによって、万を数える被害民の苦痛を否定し続けてきました。
地球環境保全が声高に叫ばれる現在に至ってようやく成立した未認定患者の救済策をみても、この構造に本質的な変化があったとはいえません。これらの事実から、企業、国家、科学、ひいては現代社会全般のありようを再検討しなければならないことに気付きます。
しかし、水俣病の発生原因それ自体であるチッソの生産活動およびこれに類する経済活動・技術開発によって、現在の化学工業の成長と日本の経済的発展、「便利で豊かな生活」がもたらされたのは否定しようもない事実です。そしてそれはこの国だけのことではありません。世界中が、数えきれないほどの「水俣病」を生み出しながら近代工業化、産業の高度化を競っています。こと水俣病から目を転じても、この「近代科学技術による工業生産を基盤とした民主主義国家システム」がもたらす多くの矛盾や危機の具体例は、枚挙にいとまがありません。しかし、それを乗り越えるための具体的な方法については、誰ひとり解答をもっていないという状況の下、社会の病状は静かに悪化しています。最大多数の最大幸福の追求が、少数派への苛烈な抑圧を生み出すのみならず、結果として多くの現代人の内に、人としての存在の希薄化と関係性の腐蝕をもたらし始めています。
二十一世紀、日本。いま私たちは、このような時代の中で生きているのです。思い起こせば、壮絶な病苦と疎外、それゆえの貧困の極みにありながら、果敢に声を上げていった方々の優しさと巨きさ(おおきさ)によって、私たちは支えられ援けられて(たすけられて)きたのではなかったでしょうか。そうした方々の言葉にあらためて耳を傾け水俣病を問い直すことは、私たちがこれから先、どのように生きていくかを考える上で少なからぬ果実をもたらすことでしょう」。
次に、本展をみていきましょう。
1.幼い少女を「奇病」が襲った
潮が軒下にヒタヒタと寄せてくる水俣の海辺に、舟大工の田中さん一家は住んでいました。6人の子どもに恵まれ、ことに5番目で5歳の静子、末っ子の3歳になる実子が可愛いさかりでした。ふたり仲良く貝をとったり、浜で遊ぶ毎日でした。
1956年4月12日、前日まで元気だった静子の様子が急変、目がトロンとして口も聞けなくなってしまいました。驚いた両親が医者に連れて行きましたが、病名もわからず、静子は泣くばかり。この町一番のチッソ付属病院に入院しました。
4月29日、今度は実子が姉におんぶされて入院してきました。あんなにおしゃまだった実子が、座ることも食べることもしゃべることもできなくなってしまいました。母親と姉は途方に暮れて、病室で泣きました。父親は医者代の工面に走りまわりました。家財道具が減り、借金がかさんでいきました。
こうして田中さん一家は、伝染病を疑う周囲の偏見や差別の中、看病に明け暮れる辛い毎日を過ごすように。やがて静子と実子は、近づく人もいない白浜の避難院に移され、さらに8月の終わりには熊本大学付属病院に学用患者として転院。そして静子は夜中も泣き止まぬまま、次第に衰え、ついに1959年1月2日、急性肺炎で息を引き取りました。8歳と1カ月でした。
実子の命は取り留めましたが、一人では食べることもできず口も聞けず、おそらく両親の死もわからないまま、今も姉のもとで暮らしています。
2.水俣病・原点から|桑原史成
報道写真家・桑原史成氏は、水俣病に関して、以下のコメントを述べています。
「1960年の夏、撮影のために初めて水俣の地を訪れた。水俣病の原因が、チッソ水俣工場の廃液であることはいうまでもないが、不運は漁民の側にもあったように思えてならない。朝に魚、昼に魚、晩に魚。水俣湾内の魚介類は、いわば漁民の主食であった。貧しいゆえに魚を獲り、貧しいゆえに魚を食べる。この生活の構造と企業の犯罪行為が複合して水俣病が発生した。そして弱者のみが業病に苦しまなければならなかった。毒魚を食べずして患者にさせられた胎児も四十路を迎えた。すでに金銭的な補償は軽症患者まで含めてひとまずの決着を見たと言えるかもしれない。だが患者と家族にとっては終生許せることなどできない、あまりに苛酷な事件なのである。
3.智子は胎内で水銀に侵された<胎児性水俣病>
「智子は“宝子”です。この子が私の胎内で水銀を全部すいとってくれたから、残りの6人の子どもがみんな元気にスクスク育っているのです。ただこの子ばかりにかかりきりになって、他の6人の子にかまってやれないのが辛いです。他の子どもが病気になっても、つい智子に比べればハシカやカゼぐらいだと思ってしまうんです」と母親の上村良子さんは語りました。
当時の医学の常識では、毒物は胎盤から胎児へ侵入しないと考えられていました。しかし智子は生後3日目、手足が小刻みに震え、その後全身がけいれんするように。以来21年間、歩くこともしゃべることもできませんでした。智子から生涯自由を奪ったのは、メチル水銀でした。
4.いつかは治ると信じていたが<慢性水俣病>
岩本広喜さんが暮らす女島は、水俣から10km程離れた風光明媚な漁村です。水俣病は縁のないことと思ってきた彼らにも、水銀は忍び寄っていました。じわじわと現れる多様な症状に苦しみながらも、いつかは治ると信じて誇りを持って生きてきました。
「水俣病ということを口にすればするほど、魚が安くなって生活ができないという漁協幹部の立場もあるし、補償金欲しさと見られるのも我慢できなかった」と語る岩本さんは、やがて組合員の水俣病認定申請を促進する決議を行い、患者運動に身を投じました。両親も妻も認定患者。岩本さんの症状は、脱力、指の感覚麻痺、足のけいれん、言語障害、腰痛、目が見えにくいなどがあります。
5.原因は分かっていた
水俣病発生報告の1年後には、魚が原因であると証明されました。しかし、販売禁止にはなりませんでした。さらにその2年後には、チッソのアセトアルデヒド排水に含まれる水銀が魚を汚染していることが、妨害を乗り越えて突き止められました。しかし、操業中止にはなりませんでした。その2年後、アセトアルデヒド製造設備からの有機水銀排出が証明され、原因は明確に。しかし世間は見向きもしませんでした。一方で患者の発生は続いていましたが、名乗り出る者はいません。なぜなのでしょうか。誰がそうさせたのでしょうか。
「奇病よりも経営が大事」 吉岡喜一社長
吉岡氏が社長に就任した1958年は、チッソの業績が悪化し、経営再建に力を注いだ年でもありました。チッソは、稼ぎ頭であったオクタノールの増産によって、この危機を乗り切ろうとし、アセトアルデヒドの急激な増産を行いました。のちに業務上過失傷害致死罪で起訴された吉岡氏は、「私は当時、水俣奇病の問題よりも経営の建て直しに邁進しておりました」と答えています。
6.科学者たちは原因をあいまいにした
熊本大学の有機水銀説は、原因究明の地道な努力の末に辿り着いた正しい結論でした。しかし、中央の学者から多くの反論が出されました。その多くは真実を隠し、原因の確定を引き延ばすための工作でした。企業の犯罪に加担した科学者たちは裁かれることもなく、今日でもこの国では同じことが繰り返されています。
7.国はチッソを守った
1955年以降の日本経済は世界的な好況にも恵まれ、1955年から1961年までの工業生産は年平均22%、輸出は年平均46%の伸びを示しました。1960年「10年間で農民の6割を減らし、所得を倍増する」という言葉を掲げて池田勇人首相が登場しました。政府は重化学工業を中心とする大企業を援助し、沿岸漁業などの第一次産業は顧みられませんでした。日本の経済成長を支えるためチッソは、オクタノールの増産に邁進していきました。この時代、便利で豊かな生活を生み出すために工場の排水が止められることはありませんでした。
8.排水を止める法律は存在した
水質保全法 1959年3月1日施行
第5条 経済企画庁長官は、公共用水域のうち、当該水域の水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の損害が生じ、若しくは公衆衛生上看過し難い影響が生じているもの又はそれらのおそれがあるものを、水域を限って、指定水域として指定する。
工業排水規制法 1959年3月1日施行
第12条 主務大臣は、工場排水等の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合しないと認めるときは、その工場排水等を指定水域に排出する者に対し、期限を定めて、汚水等の処理の方法の改善、特例施設の使用の一時停止その他必要な措置をとることを命ずることができる。
食品衛生法も熊本県漁業調整規則もあった
1957年、熊本県は食品衛生法に基づいて水俣湾の漁獲禁止をしようとしたものの、厚生省から「水俣湾産の魚介類すべてが有毒化しているとは言えない」と回答され、その適用を見送りました。また、熊本県漁業調整規則は「何人も水産動植物の繁殖保護に有害なものを遺棄し、又は漏洩するおそれのあるものを放置してはならず」「これに違反する者があるときは、知事はその除害に必要な設備の設置を命じることができる」と定めていましたが、熊本県はこれも適用しませんでした。
9.新潟水俣病
阿賀野川は、猪苗代湖や尾瀬を水源とし新潟平野で日本海に注ぐ国内第2位の水量を誇る大河です。流域の人々はこの水を田にひき、舟で行き来し、コイ、ウグイ、サケなど豊かなタンパク源を手にしてきました。そこには川とともにある暮らしがありました。この阿賀野川の上流、福島県との境も近い鹿瀬町にアセトアルデヒド工場ができたのは1936年のこと。以来1965年まで30年間、有機水銀が流され続けました。
10.政府はようやく水俣病を公害と認めた
新潟水俣病の発生とチッソのアセトアルデヒド工程停止により、ようやく1968年9月26日、園田厚生大臣は「水俣病はチッソの廃水が原因の公害病」と政府見解を発表しました。水俣病公式発見から12年後のことでした。政府の意図に反して、患者たちは償いを求める行動を始めました。
11.チッソの社長が詫びた
政府見解を受けて、1968年9月28日、29日、チッソの江頭豊社長は、幹部をひきつれて患者宅を詫びてまわりました。多くの患者家族は首をうなだれて深いおじぎを返しました。しかし、中には積年の恨み、つらみの一端を涙ながらに口にし始めた者も。「待っとりましたばい、15年間! 仏様が。そもそも、あんた供は……」。全国を揺るがした激しい闘いの始まりでした。
12.1969年6月14日、提訴
「今日ただいまより、私たちは国家権力に立ち向かうことになったのでございます」。
見舞金契約によって沈黙を強いられてきた患者家族は、政府見解発表を機に新たな補償をチッソに要求しました。低額補償をもくろむチッソと国による、第三者機関への白紙委任要求に従うかどうかで患者互助会は分裂し、29世帯がチッソを相手に裁判を起こしました。
13.「おるが心、わかるか!」
ー1970年11月28日 チッソ株主総会
患者は白装束の巡礼姿に身を固め、大阪のチッソ株主総会に乗り込みました。水俣病で亡くなった人々への黙祷がなされ、患者の歌う御詠歌が流れました。そして患者たちの長年の怨みが爆発しました。
「よう分かっとりますか! あんたも人の親でしょう。両親(オヤ)ですよ。両親(オヤ)! 金では命は買えない!」浜元フミヨさんは父と母の位牌(いはい)を江頭社長に突き付けて、むしゃぶりつくようにして叫びました。
14.「社長! 同じ苦しみを味わおう!」
ー自主交渉の闘い
「ご勘弁を」と繰り返す島田賢一社長に、川本輝夫さんはカミソリを手に血書を迫ります。「わしどま、伊達や酔狂で東京に来とっとじゃなか。水俣のテントにゃ年寄りたちが待っとっとですよ。老いの身をながらえてその苦しみがわかりますか!」
15.判決を手にチッソ本社へ
1973年3月20日、原告患者はチッソの過失責任を認め、見舞金契約を無効とする勝訴判決を手にしました。原告の訴訟派と自主交渉派の患者は合体して東京交渉団となり、チッソ本社での直接交渉に臨みました。交渉は難航を極めましたが、チッソ島田社長に、人間として向き合い、患者の苦しみを受け止めることを求める魂の表現の場でした。そしてまた、判決内容を大きく超える補償内容を勝ち取る場ともなりました。
坂本トキノさんは「私は3年間、手も当てられない、崩れて泣き病んだ娘を預かってきたんですよ、この手で。夜も夜中も、親娘二人が泣いて……。そんなことが分かりますか、あんた方には……。だからあの娘がもらったお金で、あんたの子どもを買いますから。ねえ、そんで水銀飲ましてグダグダになして、あんたに看病させますから。してみなさい、そうすっと私たちの気持ちが分かるから……。体全身膿が出てね、腐れて……」と、怒りを露わにしました。
16.「仕事ばよこせ!」
胎児性患者として、一括りにされてきた彼らも40代を迎え、様々な課題を抱えています。就職先がなく働けない。友達が欲しい。恋人が欲しい。健康や生命への危機感から逃れられない。障碍者や水俣病患者として、偏見に晒されている。経済的には生きていけるけれど、身体の衰えや両親の高齢化など悩みは続きます。
17.誰も海を守れなかった
水俣湾内で捕獲された汚染魚は、ミンチにされドラム缶に詰められ、浚渫(しゅんせつ)された水銀ヘドロとともに埋められました。ヘドロ処理工事の安全性への不安から、地域住民による「工事差止め訴訟」も起こされましたが結局敗訴し、485億円と10年の歳月をかけて、水銀ヘドロの海は58ヘクタールの平地となりました。生き物の宝庫と言われた水俣の海が甦る日は来るのでしょうか。
■「水俣・京都展」
会期:2024年12月7日(土)~12月22日(日)
時間:午前9時30分~午後5時
※火曜・木曜は6時、最終日は3時まで、初日は10時から
会場:京都市勧業館みやこめっせ
[展示] 地下1階 第1展示場
[ホールプログラム] 地下1階 大会議室
京都市左京区岡崎成勝寺町9番地-1
Tel.075-762-2630
チケット:一般=当日1,700円、10枚つづり券10,000円、フリーパス10,000円
30歳以下=当日1,000円、10枚つづり券5,000円、フリーパス5,000円
・入場は閉場の30分前までです。
・ホールプログラムは未使用の展示入場券プラス500円が必要です。
・入場券1枚で展示会場に1名1回入場できます。
・小学校4年生以下および障害者の介護者は無料です。
・乳幼児を伴う入場も可能ですが、他の方の鑑賞を妨げる場合はご退場いただきます。
・高校生・中学生・小学生の団体(20名以上または1クラス以上)は、事前申し込みに限り展示鑑賞は無料となります。
・20名以上の団体の展示会場入場料は前売料金となります。
・フリーパス(お名前、顔写真入り)をお持ちの方は、会期中、展示、ホールプログラムとも何度でもお入りいただけます。
執筆者:遠藤友香
岡山芸術交流実行委員会は、岡山市中心部の岡山城・岡山後楽園周辺エリアで開催する、街歩きしながら最先端の現代アートなどに出会える3年に1度の国際現代美術展「岡山芸術交流2025」(会期:2025年9月26日(金)~2025年11月24日(月)、計52日間)の鑑賞料を無料とすることを決定しました。
アーティスティック・ディレクター フィリップ・パレーノ氏 Photo ©Ola Rindal
これは、誰もが街歩きとともに楽しめる、より開かれた展覧会を目指していたところ、アーティスティック・ディレクターのフィリップ・パレーノ氏から「屋外の都市空間を多く活用し、岡山の街自体が作品になる」という構想(ステイトメント)が示されたことによるもの。第3回目までとは発想の転換を行い、今まで無料だった屋外展示に揃えて、原則有料だった屋内展示も含め、より多くの人が鑑賞・参加できるように、すべての会場で鑑賞料を無料とするとのことです。
なお、2016年から3年ごとに開催している岡山芸術交流において(過去3回開催)で鑑賞料を無料とするのは、今回「岡山芸術交流2025」が初めてとなります。
このような試みを通じ、「地域の人々を含む、より多く幅広い人々にこの地域に根付いた国際現代美術展に参加してもらうこと」「これからのAI共存時代を担う多くの子どもに、世界的な現代アート作品などを生で体験する貴重な機会を提供すること」といった、岡山芸術交流2025が重点的に取り組むビジョンを形にしていくそうです。
■「岡山芸術交流2025」
会期:2025年9月26日(金) ~11月24日(月)
アーティスティック・ディレクター:フィリップ・パレーノ氏
タイトル:The Parks of Aomame / 青豆の公園
執筆者:遠藤友香
マルチメディアアーティストのスプツニ子!氏による個展「Can I Believe in a Fortunate Tomorrow? ー幸せな明日を信じてもよい?ー」が、2025年1月25日(土)までKOTARO NUKAGA(天王洲)にて開催中です。
本展に関して、スプツニ子!氏は以下のステイトメントを発表しています。
マルチメディア・アーティストおよび映像作家 スプツニ子!氏
「2000年代から2010年代にかけて、インターネットやソーシャルメディアの発展によって思い描かれたユートピア。しかし、2020年代になると、そのユートピアは瞬く間に、誤情報の拡散、不平等の深刻化、そしてそれらに伴う社会の分断といった冷厳な現実へと姿を変えました。この目に見える分断や漠然とした不安は、私の心に重くのしかかっています。
11月上旬に実施されたアメリカ大統領選挙は、こうした分断の現状を鮮明に反映しており、私たちは、テクノロジーがもたらすはずだった『幸せ』や『希望』が今どこにあるのか、再考する必要に迫られています。
効率性や利便性は、本当に私たちの幸せに繋がっているのか? テクノロジーは、私たちを解放するのか、それとも新たな束縛となるのか? 私たちは、まだ未来を信じることができるのか?
本展を通じて、こうした問いを皆さんとともに考えていければと思います」。
オーストリア・リンツ市を拠点に、40年にわたり「先端テクノロジーがもたらす新しい創造性と社会の未来像」を提案し続けている、世界的なクリエイティブ機関「アルスエレクトロニカ」への2009年の参加以降、メディアアート、テクノロジーの世界を駆け抜けてきたアーティストであるスプツニ子!氏による本展は、未発表の新作を含む3シリーズの作品で構成されています。
1.《Drone in Search for a Four-Leaf Clover》
《Drone in Search for a Four-Leaf Clover》
昨年金沢21世紀美術館で開催された「DXP(デジタル・トランスフォーメーション・プラネット)―次のインターフェースへ」展で展示され、現在イギリスの著名なデジタルアート・アワードのひとつであるThe Lumen Prize(ルーメン・プライズ)にもノミネートされている国際的にも高評価を得ている作品です。
《Drone in Search for a Four-Leaf Clover》
群生するクローバーの上をドローンがゆっくりと飛行する映像をAIが解析し、「幸せの象徴」とされてきた四つ葉のクローバーをいとも簡単に見つけ出すという映像作品ですが、テクノロジーによって大量に発見できるようになった四つ葉のクローバーは、果たしてわたしたちを幸せにしてくれるのでしょうか?
テクノロジーは、かつては人の目で地を這うようにして探すしかなかった四つ葉のクローバーを簡単かつ効率的に発見することを可能にします。その精度とスピードは驚くべきものではありますが、その「進歩」には違和感を覚える部分もあるのではないでしょうか。じっくりと向き合いたい作品です。
2.《Can I Believe in a Fortunate Tomorrow?》
《Can I Believe in a Fortunate Tomorrow?》
「彩雲」、つまり太陽近くの雲が虹のように七色を帯びて見える現象を、AIによってシミュレートした映像作品です。
雲の中の水や氷の粒で光が屈折・散乱することで雲が七色に輝く「彩雲」は、古来「吉兆」と信じられてきました。本作では、流れる雲の映像をAIに画像解析させ、虹色の輝きを合成することで「彩雲」がシミュレートされています。
映し出される映像は「彩雲」そのもので、見る人を本物の彩雲同様に幸せにする一方、映像自体はといえば、AIによるシミュレーション、つまりある種のフェイク映像とも言える存在であり、本作には、テクノロジーが示す未来の両義性が暗示されています。
《Can I Believe in a Fortunate Tomorrow?》
本展は、入口を入ってすぐ、この「彩雲」の作品から始まっており、テクノロジーがもたらす脅威の中にも幸福を見出したいというスプツニ子!氏の想いが読み取れます。
3.《Tech Bro Debates Humanity》
《Tech Bro Debates Humanity》
ふたつのモニターに、さまざまな人類の課題について議論をしつづける2人の男性が映し出されます。この2人は、アーティストであるスプツニ子!氏の容姿や声音を生成AIモデルによって「白人男性」化し、さらにイーロン・マスク氏やピーター・ティール氏などのいわゆる「Tech Bro」的思考を憑依させたアバター(コミュニケーションを行う分身・キャラクター)です。2人の議論の内容も、全てAIによって生成されています。
議論は「AIと労働と幸せの未来」、「データ、AI、ポピュリズム、そして民主主義の未来」、「人類はなぜ宇宙進出すべきか?」といった3つで構成されています。
最後に、スプツニ子!氏のインタビューをご紹介します。
「本展は2024年11月2日(土)にオープンしたのですが、それはちょうどアメリカ大統領選挙の3日前だったんですね。今個展をするならどんな個展にしたらいいのかを考えたときに、自分の心の中にあるちょっとしたざわつきのようなものやモヤモヤしている感情を、1回具体的に自分の中で作品として掘り起こしてみようと思いました。
アンザイエティ(不安)に感じている部分は一体何なんだろう思っていて、私自身テクノロジーは自分とすごく近い存在で、例えば大学時代はコンピュータサイエンス、数学を勉強していて、元々プログラムエンジニアで、2003年から2006年に大学に通っていたんです。自分はテクノロジーにとても夢を抱いていて、テクノロジーがユートピアを作るぐらいに思っていたんです。当時、インターネットの始まりという時期で、テクノロジーのおかげで私は解放されるっていう気持ちになりましたし、テクノロジーのおかげで世界中のたくさんの面白い人と繋がって、人々はより多様な人を知ることでもっと聡明になり、世界は平和になり、というような希望を抱いていたし、何だったら、そのテクノロジーが権力構造を解体するものになるんじゃないかと思ったんですね。
2000年代から2010年の始まりくらいまで、シリコンバレーといったテクノロジーの世界って、すごくパンクだったりちょっとリベラルな空気が特徴的だったんです。オープンで、プログレッシブ(進歩的、革新的)で、ダイバーシティを推進するようなカルチャーというのが結構特徴的だったんです。ただ、そのときにすごく夢を見たようなテクノロジーのユートピアが、いざ2024年になった今、全く自分が希望を得られた方と違う顛末が起きているっていう感覚があるんです。
ただ、私は性格上、絶望は好きじゃないというか、希望を持ち続けないといけないと思っているんです。たとえどんなにひどい状況にあっても。だから、私は本展のタイトルを「I can believe in a Fortunate Tomorrow.」にはせず、問いかけの「Can I Believe in a Fortunate Tomorrow?」にして、ちょっと希望を残すということにしました。絶望的な状況ってたくさんありますが、皆さんその中から変化を起こしていくと思うんです」。
■スプツニ子!(Sputniko!)氏 プロフィール
東京生まれ。東京を拠点に活動。 インペリアル・カレッジ・ロンドン卒業。ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(英国王立芸術学院)修了。
バイオテクノロジー、ジェンダー・パフォーマンス、異なる生体間のコミュニケーションといった幅広いテーマを取り扱うマルチメディア・アーティストおよび映像作家。科学やテクノロジーを駆使して現代社会における社会的価値観を掘り下げ、鑑賞者に向けて次々に登場する新しいテクノロジーの文化的、社会的、倫理的影響について問いを投げかけている。2013年から2017年までマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教として Design Fiction Group を主宰。現在は、東京藝術大学准教授を務めている。
作品はこれまでに、ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク/アメリカ)、ポンピドゥー・センター・メス(メス/フランス)、ヴィクトリア&アルバート博物館 (ロンドン) 、クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館(ニューヨーク/アメリカ)、森美術館等にて展示。また、ヴィクトリア&アルバート博物館(ロンドン/イギリス)、金沢21世紀美術館、M+(香港)に収蔵されている。
■「Can I Believe in a Fortunate Tomorrow? ー幸せな明日を信じてもよい?ー」
会期:2024年11月2日(土)-2025年1月25日(土)
開廊時間:11:00 - 18:00 (火-土) ※日月祝休廊
会場: KOTARO NUKAGA(天王洲)
東京都品川区東品川1-32-8 TERRADA Art Complex II 1F
画像提供:国立新美術館
国立新美術館
執筆者:遠藤友香
芸術を介した相互理解と共生の視点に立った新しい文化の創造に寄与することを使命に、2007年に独立行政法人国立美術館に属する5番目の施設として開館した「国立新美術館」。以来、コレクションを持たない代わりに、人々がさまざまな芸術表現を体験し、学び、多様な価値観を認め合うことができるアートセンターとして活動しています。具体的には、国内最大級の展示スペース(14,000㎡)を生かした多彩な展覧会の開催や、美術に関する情報や資料の収集・公開・提供、さまざまな教育普及プログラムの実施に取り組んでいます。
「森の中の美術館」をコンセプトに、建築家・黒川紀章氏によって設計された国立新美術館。建物の南側は、波のようにうねるガラスカーテンウォールが美しい曲線を描き、円錐形の正面入口とともに個性的な外観を創り出しています。免震装置による地震・安全対策、雨水の再利用による省資源対策、床吹出し空調システム等の省エネ対策、ユニバーサルデザインへの対応、地下鉄乃木坂駅直結の連絡通路など、さまざまな機能性を追求した設計となっています。
この度、国立新美術館は、2025年3月19日に開幕となる展覧会「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」の開催費用の一部を募ることを目的に、クラウドファンディングサービス「READYFOR」にて、2024年11月18日(月)から2025年1月31日(金)まで1,000万円を目標に支援を募っています。
国立新美術館は、まもなく開館から18年となり、年間200万人を超える来館者が美術に触れる機会を提供しています。特に、最大8mの天井高と約2,000㎡の広さをもつ企画展示室、その中を自在に仕切ることのできる可動式の壁が本美術館の大きな特徴で、この空間を活かし、ジャンルにとらわれず、その時代の視点を反映させた「国立新美術館ならでは」の展覧会を開催しています。 新しい表現を試みた作品や若手のアーティストを紹介する企画、テーマ性をもって多彩な作品で構成する総覧的な企画など、収益性だけにとらわれず、「本当に届ける意義がある展覧会」を信念をもって企画しています。
このような企画展の多くは、基本の予算に加え展覧会ごとに資金を獲得して実現しています。美術との出会いや新しい体験を楽しんでいただける展示を実現するために、予算確保に加え、コストを抑えながらも妥協することなく関係者一丸となって取り組んでいるとのこと。しかし、それでも資金の調達が難航する展覧会があり、 さらに、昨今の海外輸送費や資材・物価の高騰なども追い打ちとなり、国立新美術館として届けたい展示を形にするためには絶対的に資金が足りないケースも増えているといいます。
そこで今回、2025年3月19日(水)より開催する展覧会「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」の開催費用の一部を集めるため、新たな資金調達手段としてクラウドファンディングを実施することを決めました。本展は本美術館としても非常に大規模な展覧会です。特にルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969年)の未完のプロジェクト「ロー・ハウス」を原寸大で実現する展示は国立新美術館だからこそ企画できる大きな見どころのひとつであり、多くの方に楽しんでもらえるよう、無料で観覧可能なエリアに設置することにしたそうです。本プロジェクトでご支援いただいた資金は、こちらの展示制作の費用に充てる予定となっています。
今回クラウドファンディングを実施する展覧会「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」は、20世紀にはじまった住宅をめぐる革新的な試みを、衛生、素材、窓、キッチン、調度、メディア、ランドスケープという、モダン・ハウスを特徴づける7つの観点から再考するもの。特に力を入れて紹介する傑作14邸を中心に、20世紀の住まいの実験を、写真や図面、スケッチ、模型、家具、テキスタイル、食器、雑誌やグラフィックなどを通じて多角的に検証します。
1920年代以降、ル・コルビュジエ(1887–1965年)やルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1886–1969年)といった多くの建築家が、時代とともに普及した新たな技術を用いて、機能的で快適な住まいを探求しました。その実験的なヴィジョンと革新的なアイデアは、やがて日常へと波及し、人々の暮らしを大きく変えていきました。
今から100年ほど前、実験的な試みとして始まった住まいのモダニティは、人々の日常へと浸透し、今なお、かたちを変えて息づいています。本展覧会は、今日の私たちの暮らしそのものを見つめ直す機会にもなるでしょう。
国立新美術館は、個人向けのメンバーシップ制度を持たず、来館者とのつながりを持つ機会も限られていました。今回のクラウドファンディングプロジェクトは、資金面だけでなく、本美術館の活動を応援してくださるさまざまな方と繋がり、ファンを増やしていくことも大きな目的のひとつです。
コロナ禍以降、さらに展覧会や作品の鑑賞環境改善について考えることや、多種多様な表現とその発表の場が求められる昨今において、入場者数を増やすこと、また観覧料のみに収入を頼ることが難しいのは、日本中の博物館、美術館が直面する課題です。「これからの美術館経営のあり方を考えていく中で、ひとつの収入の柱として国立新美術館を応援してくださる皆さまからのご寄付の可能性を模索したい、そのために今回のプロジェクトは大きな契機になる、という思いを持っています」と国立新美術館は考えています。
国立新美術館 総務課長 河北百合氏
この度、国立新美術館初の試みであるクラウドファンディングに関して、国立新美術館 総務課長 河北百合氏にお話を伺いました。
「国立新美術館が今回クラウドファンディングに挑戦をするきっかけとして、実は展覧会にかかる経費がコロナ禍を経て、ウクライナ情勢やパレスチナ問題、その他光熱費の高騰など、美術館だけの問題ではない社会的な情勢の関係でコストが著しく上がってきていることがあります。
コロナ後の展覧会ですと、大体コストが1.5倍から2倍くらい跳ね上がってきているのが現状です。国立新美術館は、幅広い表現を取り扱う展覧会を国民の皆様にお届けすることを使命にしており、国内のみならず海外のものもご覧いただきたいと思うと、どうしても海外輸送の問題が生じてきます。
コストダウンをしながらでも、クオリティを変えずにお届けできる方法が何かないかということを、今非常に頑張っているところです。小さくまとめることも一つあるのかなとは思うのですが、やはり国立新美術館の展示室が非常に大きな空間で、そこでしかできない、あの空間展示の内容や表現ならではのお届けがありますので、そこの良さを活かして小さくまとまらないことも、私達が頑張らないといけないところなのではないかと。
今回、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの未完のプロジェクト「ロー・ハウス」を、16.4メートル四方の大きな建物なのですが、展示室の中で構築できるというのは、多分国立新美術館ならではだと思いますので、こちらは無料で鑑賞していただきたいと思っています。2階の関連展示の施工費関係など、大部分は美術館の予算だったり、外部資金を調達しながら何とか用意ができたのですが、あともう少し足りないというところもありまして、そこをクラウドファンディングでお願いしたいと考えた次第です。
実は、もっと先に私達の想いがありまして、国立新美術館は通常の美術館と違ってコレクションを持たないという性質を持った美術館です。通常であれば、例えばここの美術館の所有しているこの作品が好きだからとか、この美術館がコレクションしている時代だとか、収集に至る背景、ストーリーが好きだからということでファンになっていただくことが多いと思うのですが、私たちはそういった魅せ方ができないことがあり、国立新美術館を好きになっていただける方とどう結びついていくのがいいのか、長年課題にしていたのです。
普通の美術館であれば、友の会や個人会員制度のようなものがあって、美術館の運営趣旨や方針に共感していただいた個人会員の皆様に運営を支えていただくということがあると思うのですが、国立新美術館はコレクションがないので、そういったファンの方たちとどう繋がっていくのか、そもそも国立新美術館は魅力があるのかといったことも館内で色々議論してきました。その中で、他の美術館とは違った国立新美術館ならではの魅力があるのではないかとも考えました。
美術館というと敷居が高いイメージがあると思いますが、国立新美術館はエントランスから自由に入っていただき、カフェやレストラン、ショップを自由にお使いいただけます。雨の日は濡れないように通り抜けて使っていただくこともあるんですね。よく館内を見てみると、近くのオフィスワーカーの方たちがちょっと息抜きにカフェでくつろいでいらっしゃったりとか、打ち合わせにお見えになったりとか、美術館の展覧会のために来るというよりは、何かこの空間が好きで、ちょっとした気分転換だったり、日常からの延長も含めて美術館に来るというような方も一定数いらっしゃって、コレクションや展覧会観覧に限らず、そういった国立新美術館で過ごす時間や空間そのものを楽しんでくださる方々とも繋がることができるのではないかと考えるようになりました。
今回、国立新美術館らしい展覧会を続けていくためにクラウドファンディングを実施しているのですが、建築が好きな方が応援していただくということもあるとは思うのですが、国立新美術館の展示が好き、国立新美術館そのものが好きといった方と繋がるとためにもクラウドファンディングがいいのではないかと考え、今回挑戦してみようと考えた次第です」と述べました。
以上、時代を映す、挑戦的でダイナミックな展示をつづけるため、国立新美術館初のチャレンジとなるクラウドファンディングについてご紹介しました。ぜひ、国立新美術館のファンの皆様からの温かい支援をお待ちしております。
■クラウドファンディングプロジェクト「国立新美術館|時代を映す、挑戦的でダイナミックな展示をこれからも」
国立新美術館|時代を映す、挑戦的でダイナミックな展示をこれからも(国立新美術館 2024/11/18 公開) - クラウドファンディング READYFOR
・目標金額:1,000万円
・募集期間:2024年11月18日(月)~2025年1月31日(金)23時(全75日間)
・資金使途:2025 年春開催の展覧会「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」の開催費用の一部(ミース・ファン・デル・ローエの未完のプロジェクト「ロー・ハウス」を原寸大で実現するための展示制作費〈観覧無料エリアに設置予定〉)
・形式:寄付金控除型 / All in形式
※All-in形式は目標金額の達成の有無に関わらず、集まった支援金を受け取ることができる形式です。
・返礼品:5,000円〜1,000,000円まで計22コース
5,000円〜1,000,000円まで、計22コースをご用意。クラウドファンディングでしか手に入らない、大判トートバッグ、リユースタンブラー、ロゴ入り筆記セット、オリジナルグッズや、【特別体験プログラム】国立新美術館学芸課長が語る「展覧会ができるまで」、【特別体験プログラム】休館日の国立新美術館で建築探検など、充実のラインナップとなっています。
国立新美術館|時代を映す、挑戦的でダイナミックな展示をこれからも(国立新美術館 2024/11/18 公開) - クラウドファンディング READYFOR
■「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s‒1970s」
開催期間:2025年3月19日(水)~6月30日(月)
会場:国立新美術館 企画展示室1E、2E
東京都港区六本木7-22-2
主催:国立新美術館、東京新聞、独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁
宮城県・多賀城市にある「多賀城」は神亀元年(724年)に創建され、令和6年(2024年)に創建1300年を迎えます。この記念すべき年を東北全体でお祝いするため、多賀城創建1300年記念イベントが、令和6年11月23日(土)、24日(日)、30日(土)、12月1日(日)、7日(土)、8日(日)に開催されました。
イベントとしては、3Dホログラム技術で多賀城正殿が現代に甦る「多賀城政庁跡正殿3Dホログラム復元イベント」をはじめ、多賀城創建1300年記念オリジナルクラフトビール「いやしけよごと」や多賀城市内外の特産品を使用したフードなどが楽しめる「BARブース」の出店、2日間限定で宮城県内の人気グルメが集結する「グルメブース」の出店、そして最終日のフィナーレには多賀城市出身ヴァイオリニスト「郷古廉氏のソロコンサート」が行われました。光・音・食の「吉事(よごと)」で「夜事(よごと:ナイトコンテンツ)」を存分に楽しめるイベントで、大盛況のうちに幕を閉じました。
次に、3Dホログラム復元イベントと、ヴァイオリニスト 郷古廉氏によるソロコンサートについてみていきましょう。
1.多賀城政庁跡正殿 3Dホログラム復元イベント・南大路ライトアップ
多賀城政庁正殿跡を会場に、1300年の時を経て、現代のデジタル技術によって「多賀城」が甦りました。日本を代表するデジタルクリエイター達が集結し、3Dホログラムと音楽によって、多賀城が再現される特別な夜となりました。時代を越えた奇跡の夜を体感するため、小さなお子さん連れの方々を含む、大勢の来場者が訪れました。
また、会場には「光のブランコ」が設置され、お子さんたちに好評を博しました。
2.多賀城市出身ヴァイオリニスト 郷古廉(ごうこすなお)氏 ソロコンサート
多賀城跡 城前官衙 特設ステージでは、NHK交響楽団第1コンサートマスターを務め、現在国内外で最も注目されている若手ヴァイオリニストのひとりである郷古廉氏によるソロコンサートが開催されました。本演奏会のために、県内在住の作曲家である吉川和夫氏が書き下ろした「無伴奏ヴァイオリンのための『レゲンデ(伝説曲)』」など2曲が披露され、観客を魅了し、会場を感動で包み込みました。
(左から)宮城県副知事 小林徳光氏、ヴァイオリニスト 郷古廉氏
(左から)多賀城市長 深谷晃祐氏、ヴァイオリニスト 郷古廉氏
(左から)宮城県経済商工観光部長 梶村和秀氏、ヴァイオリニスト 郷古廉氏、作曲家 吉川和夫氏
演奏を終えた後、郷古氏は「生まれ育った故郷で、しかも記念すべき年にこういった舞台で演奏できたことはすごく光栄でしたし、とても嬉しかったです。普段こういった野外で演奏することはあまりないので、どういう感じになるのかなと思っていました。
演奏する曲について色々考えたのですが、バイオリンだけの曲ってそんなに多いわけではないので、この場にふさわしい曲を考えたら、やはり音楽の父とも言われるバッハの曲を演奏したいと思ったのと、せっかくこういった1300年という記念の年ですから、何か新しい曲をこのために作曲していただいて、それをここで初演したいという気持ちがありました。
吉川先生は、僕が昔、音楽理論や作曲を学んでいた先生で、宮城県と非常に繋がりのある作曲家の方なので、ぜひ曲を書いてくださいと僕がお願いをしました。曲も素晴らしかったですし、本当に今日の機会にぴったりの曲だなといういうふうに思いました。
特に、先生の口からこの曲の意図や作品の意味を直接聞いたわけではないですが、演奏していると非常に古(いにしえ)のときから現代への時間の流れだったりとか、これから未来に向けての希望だったり、そういったものが感じられるし、非常に素晴らしい作品だなと思います」と語りました。
以上、多賀城創建1300年記念イベントについてご紹介しました。これからも新たな歴史を刻んでいく多賀城に、ぜひ注目してみてください。
万物の法則を可視化した神聖幾何学「フラワーオブライフ」。創ること、動くことで導かれる立体構造の知られざるエネルギーの法則を理解できる、アーティストtocchi氏による展覧会「ミスマルノタマ - 神聖幾何学 Flower of Life -」が、2025年1月26日(日)まで東京都渋谷区神宮前にある「GYRE GALLERY」にて開催中です。
tocchi氏は、幼い頃からこの世のすべては茶番だと気づいていたといいます。管理社会の罠にはまることなく育ち、10代の頃から「真理とは何か」という探求を開始。26歳の時に実家が火事になり、近くの神社を訪れ、狛犬が手まりを踏んでいるのを見た瞬間、それまでダウンロードされていた情報の断片が一気に繋がったとのこと。
そして、東日本大震災を機に、神聖幾何学の立体構造を形に現わし、万物の法則を構造で証明しました。それは人類が何千年も気づくことのできなかったものであり、精神世界と科学が統合された次元の話です。唯一無二の理なので、物理学や量子力学など、あらゆる分野の角度から説明することができるそう。
tocchi氏は「人生をかけて遊んでいたら、誰もカタチにできなかったものをカタチにしちゃった。さらに、日々おもしろく実験しながら『神聖幾何学 フラワーオブライフを生きるとはどういうことか』を自らの生き様として体現し続けています」と述べています。
次に、本展覧会についてみていきましょう。
「神聖幾何学は言葉より前から存在しており、言葉で表現することは不可能である」と言われています。言うならば、神聖幾何学(フラワーオブライフ)とは万物の法則です。宇宙や地球から私たちの身体や魂まで、目に見えるものも見えないものも同じ構造で成り立っています。「外」(現れ)はすべて異なりますが、「中」(構造・法則)はすべて同じで元はひとつです。これまでは意識を「外」に向ける流れがあり、私たちは「中」の仕組みを忘れてしまっていました。すべては中心から始まるのです。本来は「中」から「外」ができあがっていくという順番ですが、外側の目に見えるものをすべてと思いこみ、内側の目に見えないエネルギーの法則はないものになってしまいました。
では、世界中にシンボルとして残るフラワーオブライフの「中」の構造はどうなっているのでしょうか。プラトン立体と呼ばれる5つの正多面体、正四面体(火)・正八面体(風)・正六面体(土)・正二十面体(水)・正十二面体(電気)。プラトンは「正多面体は宇宙の森羅万象を支える根源的な力」 と言いましたが、一般的にそれらの立体は別々のものと考えられていました。しかし実は、これらすべての立体がひとつになって成り立っているのがフラワーオブライフだったのです。
綿棒を紡いで神聖幾何学の立体を作ることで、その「中」の構造・エネルギーの法則がインストールされます。作り続けることで、自らの「中」の構造との共鳴が始まり、内なる中心が回り出します。すると「外」の世界でもおもしろいことが次々と現れ、フラワーオブライフの構造そのものに、自分が内側から変わっていき、本来の状態に戻っていくのです。これは、私たち一人ひとりの蘇りの話です。綿棒とボンドさえあれば誰でも挑戦でき、綿棒を繋げて神聖幾何学の立体をつくることで、目に見えないエネルギーの法則自体を自らが形成し不可視を可視化することができます。「新しい時代が始まるからこそ、究極のデジタルの世界から、究極のアナログに向かっていきたい」と、tocchi氏は考えています。
フラワーオブライフとはミスマルノタマで、隠されてきたものが再び世に出てくる時代のこと。また、神聖幾何学という立体世界でもあります。それは、超数学、超科学だからこそ超精神世界なのです。音でもあり、色でもあり、波動そのものでもあります。
今回の個展のテーマは「自分という扉の向うに」。自分たちがこれから知っていく世界、その道しるべ、己の奥へ向かっていくことを体感できるよう、会場には、万物の法則性そのものを現わした立体作品が展示されています。「外(現れ)」だけではなく「中(構造・法則)」を現わしたアートの数々の世界感に触れることで、神聖な気持ちを抱くことでしょう。言葉では表現できないからこそ、来て、観て、感じとってみてください。
tocchi氏は、2024年12月6日(金)に開催されたギャラリーツアーの中で、「ここにあるスマホは1台ですが、パーツは計り知れないんですよね。皆さんが1だと認識しているのもは、実は1ではない。そこに気づいていかないと、本当の意味で数字を知ることができないんです。
数秘術という言葉を聞いたことがあると思うのですが、本当の数秘術は立体の中に隠されているので、今社会に出ている世界の話は表層の話になります。
これから本当の世界を知っていくというか、またそれを開いていかないと時代は大きく変わらないんです。結局、僕たちが見ているこの世界って現れの世界ですよ。つまり、見えない世界から現象化した世界なので、その現れを変えようとしても実際変わらないんですね。根本が変わらない限り。だから、真ん中から変えていくというか、そこに非常に重要な役割を持っているこの企画の意味があるのです」と語りました。
以上、万物の法則を可視化した神聖幾何学「フラワーオブライフ」について理解できる展覧会「ミスマルノタマ - 神聖幾何学 Flower of Life -」をご紹介しました。まるで、神社仏閣を訪れたような、神聖な気持ちに導いてくれる本展に、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
■「ミスマルノタマ - 神聖幾何学 Flower of Life -」
会期:2024年12月7日(土)~ 2025年1月26日(日)
※休館日:12月31日(火)、1月1日(水)、1月2日(木)のみ13:00~19:00 まで
時間:11:00‐20:00
会場:GYRE GALLERY | 東京都渋谷区神宮前 5 10 1 GYRE 3F
お問い合わせ:Tel. 0570‐05‐6990 ナビダイヤル(11:00~18:00)
執筆者:遠藤友香
2025年大阪・関西万博と同時期に開催される国際芸術祭「Study:大阪関西国際芸術祭 2025」。160カ国が参加し2,800万人の来場者が見込まれる万博会場を含む大阪・関西で、大規模なアートプロジェクトを展開します。本芸術祭の主要プログラム「パブリックアート」は、万博会場内に設置され、大阪・関西万博の主要プログラム「アート万博」としても位置付けられています。
今回の「Study:大阪関西国際芸術祭 2025」では、「ソーシャルインパクト」をテーマに、世界的アーティストによる展覧会やアートフェアを実施。万博会場に加え、大阪文化館・天保山、中之島エリア、船場エリア、西成エリア、JR大阪駅エリアなど、大阪の主要エリアを舞台に、アートによる都市の活性化を目指します。
また、ドイツや韓国、アフリカ諸国の機関とコラボレーションしたプロジェクトなど、アートを通じた国際交流も予定しています。そして、日韓国交正常化60周年を記念した特別企画として、日韓が誘致するギャラリーや団体による日韓合同のアート&クリエイティブ・フェア「Study × PLAS:Asia Art Fair」を開催。アートの力で、新たな文化の架け橋を築きます。
本芸術祭では、2022年の開催当初から1970年の大阪万博を契機に経済変動の影響を受けてきた大阪市西成や船場などの地域に注目してきました。西成・釜ヶ崎は、かつて高度経済成長期に多くの肉体労働者たちが働き、暮らす場所でした。現在は、住民の高齢化や外国人の増加、また不動産投資による地価上昇など、さまざまな社会課題に向き合っているエリアです。また、かつて物流の拠点として、全国から人と富と情報、そして文化芸術が集まる問屋街として栄えた船場エリアなど、これまで大阪ならではの地域の特色から生まれるアートの力に注目し、多様な出会いを創造してきました。
「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとする万博の年に、大阪・関西から世界に向けて「アート×ヒト×社会の関係をStudyする芸術祭」を開催し、2025年の万博閉幕後も継続的に発展させていきます。
アートは、人々に感動や驚きをもたらすだけでなく、未来を切り拓く「創造力」と人や社会を思いやる「想像力」が身につくと言われています。アートが都市にもたらす波及効果は、国内外問わず枚挙にいとまがありません。このアートの力を大阪関西のみならず日本の成長戦略の要として活かすことが、より良い未来社会を創造する上で極めて重要です。
■アート産業化の現実と課題「アート×ビジネスが経済と地域をどう変えるか」
日本のアート市場規模(2021年)は2,363億円であり、世界アート市場の4%のシェアを占めています。一方で、アーティストの一人当たりの平均売上高は年間約280万円と、広告業(3,490万円)やデザイン業(1,210万円)と比較して低い水準にとどまっており、文化・創造産業の中でも資金供給が十分とは言えない状況です。さらに、日本の文化芸術予算が全政府予算に占める割合は約0.11%と、他国と比較しても低く、国民一人当たりの文化GDPは先進国最低レベルとなっています。この課題を克服することが、アート市場の拡大や地域創生、さらには日本全体の経済成長において極めて重要です。
2023年、経済産業省は初めてアートに関する報告書を発表し、アートには文化的価値に加えて企業と地域における経済産業的な価値があると分析しました。企業においては、創造性豊かな人材の育成や、企業理念の浸透によるエンゲージメント向上、事業差別化のための新たな手段として注目されています。実際に、住友商事やコクヨ等の大手企業も「脳が活性化している状態やポジティブな感情が強く出て、新しい企画などが浮かびやすい」など、アート投資の効果をあげています。
また、地域においては、地域コミュニティの活性化や治安の改善、不動産価値の向上、観光促進などの社会的・経済的価値をもたらします。実際米国では、壁画があるビルの価値が2.4倍に、またアートギャラリー・アートセンターの設置により住宅価格が196%上昇するなど、アートに取り組む地域で地価が上昇した事例があります。
こうした背景の中、経済産業省は、国内外で開催されている「ビエンナーレ」や「トリエンナーレ」といった芸術祭の経済産業的意義に注目しています。アート作品の流通促進やデジタル技術の活用など、アート産業の新たな可能性を探り、アート市場の拡大を通じた地域創生と経済成長への貢献を目指しています。
(左から)株式会社アートローグ代表取締役CEO、大阪関西国際芸術祭 総合プロデューサー 鈴木大輔、The Breakthrough Company GO 代表取締役CEO 三浦崇宏氏
2024年12月4日、本芸術祭に先駆け、東京・六本木において「アートはビジネスに必要か」をテーマに、The Breakthrough Company GO 代表取締役CEOの三浦崇宏氏と、株式会社アートローグ代表取締役CEOで大阪関西国際芸術祭 総合プロデューサーの鈴木大輔によるトークセッションが開催されました。
鈴木からの、アートがビジネスに及ぼす影響や、ビジネスにおいて未来を作っていくためにアートに触れることに対する意義についての質問に際し、三浦氏は「アートとビジネスには深い関わりがあり、大きく3つあると思います。ます、単純にアートビジネスは、これからどんどん伸びていくと思っています。共同保有の市場だったり、オークションの市場だったり、投資対象としてのアートとか、また観光ビジネスとしてのアートですね。日本中で、あるいは世界中でいろんなアートフェアが観光の切り札になっているというのもありますので、アートビジネスの市場そのものが日本では小さ過ぎますが、グローバルでは大きいので、これに追いつく過程において、すごく伸びてくる市場だと思います。
もう1個は、経営者とクリエイターとかリーダーにとって、アートはすごく大事な影響があると思っていて、要はリーダーの仕事って、不確定な状況で意思決定することなんですよね。確定的な状況で意思決定するのは、社員でも誰でもできるんですよ。要は、Aを選んだら70%成功、Bを選んだら30%成功だったら、Aの70%を選ぶでしょう。これは誰でもできるんです。ただ、僕らリーダーって、Aをやることでこんなリスクがある、Bにもこういうリスクがある、会社としてどっちを選ぶのかというリスクのある意思決定をするという行為が、実は経営者の一番大事な仕事だと思っています。実はアートを購入するとか、アートと向き合うということは、不確定なものと向き合うってことですよね。
例えば今、壁に品川亮さんという作家の作品がありますけれども、この作品が一体何を意味しているのか、この作品の価値は一体何なのかということは、誰も決められない、誰にもわからないことなんですよ。でもそれをどこに飾るか、どう愛せるか、これは相手に委ねられるわけですね。一つの決まった答えがない状況において、それをどう自分なりに解釈して、選び取って、自分なりに行動どうするのかということは一つのレッスンというか、習慣づけになるので、アートってすごく大事だなと思っています。
3つ目は、これから先全ての人間にとって、センスこそが一番重要になっていくと思ってるんですよ。要は、当たり前の判断とか、当たり前のもの作りって全部AIがやってくれるんです。AIって一体何かというと、AIって生成してないんですよね。生成AIっていいますが、無から有を作ってるわけじゃないんですよ。例えば、何か絵を描いてくれと言ったら、ピカソ、マティスなど、色々な画家の色々な絵があって、既にあるものの間にある何かを、点を取っているんです。点と点の素晴らしいものがある間の中にある、何か中途半端なものを作っているのがAIの仕事なんですね。
逆に言うと、その特異点というか、一つのその領域を限定する点を作るのは人間の仕事なんですよ。その点を作るのが一部の天才だとして、AIが作ってきたものに対して、これにどれくらいの価値があるかというのを見出すには、人間がある程度センスを磨かないといけないんです。センスって何かというと、膨大な量のいいもの、素敵なものを見た結果からくる総合的な判断力のことです。だから、アートとか人間がすごく素敵だと思うものをたくさん見た人間じゃない限り、そのものが優れているか、いいかっていう判断ができないわけですよ。だから、どんな人間でも意思決定とか、いいものを作って判断するためには、アートに触れる経験の数が大変重要になってきて、そういうことがこれから必要だと思いますね」と語りました。
以上、「Study:大阪関西国際芸術祭 2025」に関してと、アート産業化の現実と課題、The Breakthrough Company GO 代表取締役CEOの三浦崇宏氏と、株式会社アートローグ代表取締役CEOで大阪関西国際芸術祭 総合プロデューサーの鈴木大輔によるトークセッションについてご紹介しました。ぜひ、より良い未来社会を創造する上で極めて重要な役割を果たすアートに注目してみてください。
執筆者:遠藤友香
「渋谷スクランブルスクエア」の14階・45階・46階・屋上に位置する展望施設「SHIBUYA SKY」は、「SKY GALLERY EXHIBITION SERIES」と題して、本施設の来場者に、渋谷最高峰の景色を眺めるだけにとどまらず、まだ見ぬ世界への興味を抱かせ、想像力を育てる体験を提供することを目的に、本格的な企画展を定期的に開催しています。
8回目となる今回、「異彩を、放て。」をミッションに掲げ、異彩作家とともに新たな文化の創造を目指すアートエージェンシー「ヘラルボニー」による企画展『「PARADISCAPE」異彩を放つ作家たちが描くせかい』を、2025年1月16日(木)から3月31日(月)まで開催することが決定しました。
国内外の主に知的障害のある作家の描く2,000 点以上のアートデータから、この世界の在り方を独自の視点で描いた原画約50点を厳選し、書き下ろし作品とあわせて屋内展望回廊SKY GALLERYに展示します。
本展は異彩作家たちの視点から「生命が輝く世界」を再構築する試みです。ある作家は、動物の「目」に込められた感情に惹かれ、またある作家は「色」や「形」を通じて生命のエネルギーを表現します。彼らが描くのは、日常の中で見逃されがちな生命の瞬間、異なる感覚で捉えた生命そのものの多様な風景です。彼らの視点や感覚を通して、新たな生命の魅力を伝え、訪れるひとびとに「世界」との心の対話を生み出す空間を構成します。
本展示は3つのテーマに分けて作品を展示します。
1.アーバンサファリ
渋谷の上空に構成された、都市の人工物と多種多様な生き物が共存することで生まれる超自然的な風景。現代的な都市生活と野生動物の生息地が隣り合わせにあるかのような想像は鑑賞者に新鮮な驚きを与えてくれます。本展示のために、SHIBUYA SKYの展望体験をインスピレーションとして制作された作品も展示しています。
■出展作家
鳥山シュウ|やまなみ工房
鳥山シュウ
鳥山シュウ《ひろがる》
大好きなアニメやゲームキャラクターを模写することから絵を描く楽しみを持った少年期から、彼の世界観は更なる広がりを見せるようになりました。細やかで緻密な線の集合体で描かれた動物や風景、妖怪やモンスターのような生き物が楽し気に生活される街並みなど、彼の頭の中のイメージそのままが絵に映し出されています。絵を描くことで人とつながりが生まれ、夢を実現させるための活力であると、彼の創作への意欲が絶えることはありません。本展ではSHIBUYA SKYを体験し、キービジュアルを制作しています。
鳥山氏は「渋谷46階から見た景色は特別なものでした。写真とは違う、ずっと遠くの空と街が自分の頭の中で空想とリアルでごちゃまぜになりました。僕の目の前に広がる世界に心が動くのを感じました。今を生きていることや言葉にできない想いを絵に込めました。僕の絵を見て楽しんでもらえると嬉しいです」とコメントしています。
小野崎晶
小野崎晶
小野崎晶《わたしのゲルニカ》
自閉症であることで、幼い頃はさまざまな苦境に直面することもありましたが、現在は自宅で営業しているヘアサロンの店頭に立ち、お客さまのシャンプーなどを担当する傍ら、休日は精力的に絵を描き続けています。彼女が描く作品は、表情豊かでまるで楽しそうに会話をしているような動物達や、色鮮やかで溢れるほどの生命力を感じさせる草花が画面を一杯に埋め尽くします。描く作品は彼女の心が住む世界の風景であり、同時に現実世界に対する「あなたが笑顔でありますように」という彼女の願いでもあります。
2.群と移動
厳しい自然を生き抜くための群れが形成する美しいシルエットや動きのリズムは、自然界の調和を感じさせます。また、群れを構成するそれぞれの個体にも独特な特徴や行動、そして表情があり、群れの中での役割や関係性が複雑に表れます。時には鳥たちに寛容さや癒しの表情を読み取ることもできるでしょう。眼下に広がる都市と、行き来するひとびとの流れを背景として作品を眺めることで、いのちが描き出すパターンの中に私たち自身の姿をも見ることができます。
■出展作家
田﨑飛鳥
田﨑飛鳥
田﨑飛鳥《ウミウ》
陸前高田市在住。彼は生まれながらにして、脳性麻痺と知的障害があります。幼いころから絵本や画集に興味を持ち、彫金作家である父、實さんの勧めで絵を描き始めるとその才能は伸びていき、アート展では賞を受賞するまでに。東日本大震災の津波により、自宅、今まで描いてきた約200点の絵、親しんできた豊かな自然と、そこに住むひとびと……かけがえのない大切なものを一瞬で失い、あまりの衝撃と悲しみから、ショックで一度は筆を置いてしまいましたが、父からの言葉で再び筆を取り、壮絶な経験を経て、今日まで多くの観る人の心を動かしています。
3.境界のない世界
世界を自由に往来する、生き物の声に耳をすませてみましょう。大地の多様性と生命力を育む大らかさ。海の神秘的で深淵な世界。そして人間の夢や希望を象徴する存在としての空。豊かな表情の生き物や、多彩な色の組み合わせの風景、またそれらが溶け合う創造性に富んだ作品群は、自然界の驚異と美しさ、そしていのちの輝きそのものを伝えます。異彩を放つ作家の視点で描かれた新鮮な世界像は日々の生活を営む中で無意識に世界を整理し、境界を引いてしまう私達の意識に語りかけます。
■出展作家
岩瀬俊一|やまなみ工房
岩瀬俊一
岩瀬俊一《くじらとサメ》
ペンを用いて、人物や動物などモチーフが決まると、彼独自の視点で余白を余すことなく、紙面全てにゆっくりと描きこんでいきます。彼の内向的で真面目な性格が作品にも反映され、描く線の一つひとつがとても丁寧で、まるで細い糸が絡み合っているかのように繊細に描かれています。日常では、ほとんど言葉も発することなく意見を求めても、顔を赤らめながら、か細い声で一言口にする程度しかない彼の作品からは、内に秘めた思い全てが放出され、訴えかける力強さに満ち溢れています。彼もまた自己を表現する術を作品制作に見出した1人であり、これからも彼の世界観は大きく広がっていくことでしょう。
金沢 21 世紀美術館 チーフ・キュレーター/株式会社ヘラルボニーアドバイザー 黒澤浩美氏
全体の監修・キュレーションを担当した、金沢21世紀美術館 チーフ・キュレーター/株式会社ヘラルボニーアドバイザーの黒澤浩美氏は、「SHIBUYA SKYの屋上展望空間『SKY STAGE』は360度のパノラマビューが広がり、渋谷駅を中心に放射状に伸びる大きな通りを俯瞰できます。都会の空が狭いなんて間違っていたのだと実感する、開放的なスペース。空が大きく頭上に広がり、地球のどこまでも繋がっていることを実感します。このたび、その屋上の下の回廊に、異彩を放つ作家たちが描く、新しい生態系「PARADISCAPE」を創出。境界のない自由でのびやかな表現に触れて、生きとし生けるものと自然も全てが、ずっと繋がっていることを感じていただければ嬉しく思います」と述べています。
(左から)株式会社ヘラルボニー 代表取締役 / Co-CEO 松田崇弥氏、松田文登氏
株式会社ヘラルボニー 代表取締役 / Co-CEOの松田崇弥氏と松田文登氏は、「『ハチ公』は、主人である上野英三郎教授の逝去後も変わらず毎日渋谷駅で彼の帰りを待ち続け、その姿は愛と絆の象徴としてひとびとの記憶に刻まれています。その地上の象徴と響き合うかのように、渋谷上空に位置する『SKY GALLERY』に、異彩を放つ作家たちによって描かれた生命の息吹が、力強く躍動します。再開発により絶えず姿を変える渋谷の景色の先にこれからの社会の在り方を想像します。それは生命の普遍的な輝きと存在の根源を鮮やかに映し出す、ヘラルボニーが提案するパラダイス。渋谷上空で、あなたをお待ちしております」と語っています。
■SHIBUYA SKY
フロア:14階(チケットカウンター)、45階・46階(屋内展望施設)、屋上(屋上展望空間)
営業時間:10:00〜22:30(最終入場 21:20) ※最新の営業時間は公式WEBサイトをご確認ください
休館日:元日(※臨時休館日あり)
執筆者:遠藤友香
1921年にイタリア・フィレンツェで創設された「GUCCI(グッチ)」は、世界のラグジュアリーファッションを牽引するブランドのひとつとして知られています。
この度、GUCCIのクリエイティブ・ディレクターであるサバト・デ・サルノの発案のもと、ファッションとGUCCIのコレクションをとりまく表現世界を探求するブックシリーズ『Gucci Prospettive』が誕生しました。
第4弾となる今回は、対照的かつ多様な世界が共存しながら、絶え間なくクリエイティブな交流が行われている国際都市であるロンドンに焦点を当てたもの。「あらゆるものを受け入れるオープンなスピリットこそが、ロンドンを選択した理由である」と、サバト・デ・サルノは述べています。また彼は、「GUCCIで私にとって初めてのクルーズコレクションの舞台となる場所を選ぶとき、ロンドンは自然な選択でした。この街は私に大きな影響を与えてくれました。人生の岐路に立った時、この街は私を歓迎し、耳を傾けてくれました。同じことがグッチオ・グッチにも言えます。彼の物語は、ザ・サヴォイとの魔法のような出会いを果たし、伝説のように語り継がれるものとなりました」と語っています。
Courtesy of Gucci
20世紀初頭のザ・サヴォイ ホテルから、GUCCI 2025年クルーズ ファッションショーの会場となったテート・モダンのタンクまで、ロンドンとGUCCIの道は幾度となく交差してきました。人々とアイデアをつなぐ象徴的な場所であるテート・モダンは、この街の二面性を体現しています。コンクリート打ちっぱなしのタンクに詩情豊かなグリーンを取り込んだ空間は、ファッションショーの完璧な舞台となり、過去と現在をつなぐ絶え間ない対話を生み出しながら、グッチと英国の首都ロンドンとの強い絆をさらに際立たせました。
Courtesy of Gucci
『Gucci Prospettive』は今回もContrasto社から出版され、新たな地平を探求するためのプラットフォームを提供します。第4弾となる「Ancora Londra」は、クリエイティブスタジオ「A Vibe Called Tech」の創設者であるシャーリーン・プレムペとクリエイティブ・ディレクターの ルイス・ダルトン・ギルバートがキュレーションを手掛け、相反する要素が混在するロンドンに、多様なカルチャーが共存するだけでなく、相互の対話が生まれ続けている理由を理解し解き明かすことを試みています。
「ロンドンは夢見る人々の街です。思いがけないところからインスピレーションが湧き、偶発的に、時には驚くような形でアイデアに命が吹き込まれます」。「ロンドンを東西南北で分けて語ろうとしても、結局はステレオタイプやありきたりなイメージに行き着いてしまいます。この街も、そこで生きる人々も、一言で分類するのは難しいのです。なぜなら、彼らとこの街が本当に体現しているものは、私たちが抱える内なる矛盾の美しさと緊張感だからです」と、プレムペとギルバートは語っています。
Courtesy of Gucci
Courtesy of Gucci
プレムペとギルバートは、4つの章「DREAM BUILDINGS/PEOPLE WATCHING/WATCHING PEOPLE/BUILDING DREAMS」を通して、空間と個人の結びつきに着目し、その関連性を見事に描き出しました。モダニズムの大胆なラインが目を引くバービカン・センターからメイフェアのクラシックなエレガンスに至るまで、ロンドンの建築は深い歴史的ルーツを守りながら、絶えず自己改革を続けてきたことを物語っています。本書で描き出されるロンドンは、予期せぬインスピレーション源となるさまざまな体験の集合です。ここでは、建築とスタイルの組み合わせにおける対照的な文化が見られ、各ページが新たな発見の機会となっています。
Courtesy of Gucci
Courtesy of Gucci
本書はロンドンへの賛辞であると同時に、未来への考察でもあります。対照的な要素をインスピレーション源として捉え、住む人々、訪れる人々、そして夢見る人々に継続的に影響を与え続けるロンドンという都市の再生力とクリエイティビティを探求しています。『Gucci Prospettive』第4弾の制作にあたって、サバト・デ・サルノは、シャーリーン・プレムペとルイス・ダルトン・ギルバートに、故郷に捧げるこの特別なエディションのキュレーションを依頼しました。
本書は、2024年5月にロンドンのテート・モダンで発表されたGUCCI 2025年クルーズ コレクションのローンチと同時に出版されます。2024年11月14日、ニューボンドストリートのGUCCIショップで出版を祝うイベントが開催され、3階のGUCCIサロンではキュレーターたちとのディスカッションが行われ、その後、1階のGUCCIショップでのレセプションにゲストが集いました。
先日、ニューボンドストリートのGUCCIショップでは、新たなアートコレクションが展示されました。そこには『Gucci Prospettive 4: Ancora Londra』に登場しているRachel Whiteread、Cerith Wyn Evans、Bob and Roberta Smith、Corbin Shaw、Remi Ajani、Sonia BoyceやSunil Guptaといったアーティストたちの作品も含まれています。
執筆者:遠藤友香
三井物産株式会社と三井不動産株式会社の開発によりオープンした「Otemachi One」で展開中の、アーティスト YOSHIROTTENによる大型パブリック・アートのシリーズ作品《RING PARK》。《RING PARK》の第3弾作品である《彩雲の柱 / Pillars of the Iris》が、2024年12月25日まで公開中です。光をテーマにした作品と音楽で、ホリデーシーズンを幻想的に彩ります。
「Otemachi One」は、大手町「一丁目」から世界に向けて新しい価値を発信し続ける「オンリーワン」の街として開発され、「大手町三井ホール」と約30の商業店舗とオフィスビル、そして「フォーシーズンズホテル東京大手町」が融合した大規模な施設です。
同施設からのオファーを受けたYOSHIROTTENが年間を通して全3回のパブリックアート作品を発表。その環境から着想を得た《RING PARK》というタイトル・コンセプトの下に、日本有数のビジネス街で展開される気鋭アーティストの作品群は、施設の緑地エリアや巨大窓ガラスなどを活かし調和するサイトスペシフィックな試みとなります。
《RING PARK》は、2024年を通して展開されるパブリックアートのシリーズ作品です。このシリーズ作品の制作を開始した際、YOSHIROTTENは最初にメイングラフィックと呼ばれる図案を制作しました。この図案は大手町の「O」をモチーフにしています。4つの「O」の重なり合いは、この場所に集まる人々が出会い交差し繋がる様子を表現しています。また、同時に4つの季節でもあり、色の変化はその移ろいを表しています。《RING PARK》は、通年を通して場所や手法・素材を変えながら様々なかたちで発表されます。メイングラフィックも色彩や形状を変化させながら登場します。
今回で《RING PARK》の最終回となる作品《彩雲の柱 / Pillars of the Iris》は、施設の緑地である「Otemachi One Gerden」を会場に発表されるインスタレー ション作品です。YOSHIROTTENの探究するテーマである光を用いたアートが、煌めくような特別な空間を作り出します。また、YOSHIROTTEN作品の音楽制作パートナーである電子音楽家TAKAKAHNが本作のために制作したアンビエントミュージックも、非日常的な体験に誘ってくれることでしょう。
ぜひ、「Otemachi One」に足を運んで、YOSHIROTTENによる作品《彩雲の柱 / Pillars of the Iris》の世界感に酔いしれてみてはいかがでしょうか。
<YOSHIROTTEN プロフィール>
アーティスト YOSHIROTTEN氏
ファインアートと商業美術、デジタルと身体性、都市のユースカルチャーと自然世界など、複数の領域を往来するアーティスト。2023年にアートプロジェクト「SUN」を発表し、幕張新都心の陸・海・空で展開された大規模な市街展示を含むいくつかの機会でインスタレーション作品を展開。2024年10 月、鹿児島霧島アートの森で自身初となる美術館での展覧会を開催。
■「Otemachi One Public At by YOSHIROTTEN RING PARK
season3《彩雲の柱/ Pillars of the Iris》」
会場:東京都千代田区大手町1丁目2-1 Otemachi One 1F
Otemachi One Garden (大手町駅C4、C5 出口直結)
会期:2024年11月25日(月)~12月25日(水)
入場:無料
OTEMACHI ONE