滋賀県立美術館の外観
執筆者:遠藤友香
1984年8月26日に滋賀県立近代美術館として開館した「滋賀県立美術館」。 2017年4月1日から、改修工事のため長期休館し、2021年4月1日付けで、時代や傾向を限定することになる「近代」を館名から外し、滋賀県立美術館という名称になりました。
2021年6月27日に再開館し、目指す姿として「リビングルームのような美術館」を掲げるとともに、開館以来の作品の収集方針である「日本美術院を中心とした近代日本画」、「滋賀ゆかりの美術・工芸等」、「戦後のアメリカと日本を中心とした現代美術」に、「芸術文化の多様性を確認できるような作品」といった柱が一つ加わりました。
美術館というと、静かに作品を鑑賞しなければならないといった固定観念がありますが、滋賀県立美術館では、しーんと静かにする必要はなく、おしゃべりしながら過ごすことができるので、小さなお子さんがいる方にもおすすめ。飲食可能なキッズスペースも完備されており、お子さんと一緒に本を読んだり、休憩することもできます。展覧会を観覧しなくても利用可能です。
また、目が見えない、見えづらいなどの理由でサポートを希望される方や、その他来館にあたっての不安をあらかじめ伝えていただいた場合は、可能な限り対応してくれるので、安心して作品鑑賞を楽しむことができます。
そんな鑑賞者に優しい滋賀県立美術館で、開館40周年記念として2024年6月23日まで開催中なのが『つくる冒険 日本のアール・ブリュット45人―たとえば、「も」を何百回と書く。』展です。日本語では、「生(なま)の芸術」と訳されてきたアール・ブリュット。1940年代、フランスの画家、ジャン・デュビュッフェが、精神障害者や独学のつくり手などの作品に心を打たれ、提唱した美術の概念です。本展では、2023年に日本財団より受贈した、45人の日本のアール・ブリュットのつくり手による作品約450点を展示します。
たとえば、「も」を何百回と書いたり、他人には読めない文字で毎日同じ内容の日記を記したり、寝る間を惜しんで記号を描き続けたり―冴えたひらめきや、ひたむきなこだわりを形にするため、出どころの謎めいた発想と熱量をもって挑む、そんな冒険的な創作との出会いを楽しむことができます。
45人の作品が滋賀県立美術館に収蔵されるまで
2010年、フランス・パリのアル・サン・ピエール美術館で「アール・ブリュット・ジャポネ(邦訳:日本のアール・ブリュット)」展が開催されました。この展覧会では、滋賀を含む全国各地でその才能を見出された障害のある人や独学のつくり手たちの作品が日本のアール・ブリュットとして紹介され、話題を呼びました。さらに、会期後日本に戻ってきた作品群による巡回展が国内各地で開催され、逆輸入的に日本でもアール・ブリュットが注目を集めるきっかけとなりました。
本展に出品される45人の作品は、「アール・ブリュット・ジャポネ」展に出展された後、日本財団により所蔵されていたのもので、2023年にさらなる活用を目的に、アール・ブリュットを収集方針に掲げる国内唯一の公立美術館である本館に寄贈(寄託を含む)されました。これにより、本館は世界でも有数のアール・ブリュット作品のコレクション(731件)を有する美術館に。
5つの構成からなる展覧会
本展覧会は、「1.色と形をおいかけて」、「2.繰り返しのたび」、「3.冒険にでる理由」、「4.社会の密林へ」「5.心の最果てへ」といった5つのセクションで構成されています。
1.色と形をおいかけて
色と形、それはなにかをつくるとき、大切な要素です。本章の作品の中には、色と形をめぐる様々な試みをみることができます。まず、色。一つの色で描くのか、複数の色を用いて描くのか、配色に規則性を作るのか、それとも直感に従って画材を手にとってみるのか。
また形。モチーフの形に近づけていくのか、それとも離れていくのか、頭の中のとらえどころのないイメージを形にしてみるのか、いっそ手の動くままに任せてみるのか。
こうした思索や選択は、当然つくり手の内面ーひらめきや、気の迷い、動かす手の喜び、そういったものとも折り重なり、独自の色と形の表現が生み出されていくといえるでしょう。
本展の作品のなかにも、色と形をめぐる様々な試みをみることができます。その中には、つくり手のひらめきや、気の迷い、動かす手の喜びなどが透けて見えてくることでしょう。
村田清司
京都府生まれの村田清司は、滋賀県にある福祉施設「信楽青年寮」で暮らし、活動を行いました。1987年に絵本作家である田島征三に出会い、彼の助言により、他の作業よりも絵を描くことを優先した日々を送るようになります。
初期はマジックペンを用いて点描をしていましたが、その後パステルで描くようになりました。ほとんどの作品の中央には、顔と思われるものが描かれていますが、周囲を取り囲む色や形と混じり合っているのが特徴的です。
大梶公子
北海道生まれの大梶公子は、北海道深川市の福祉施設「あかとき学園」に所属し、制作を行いました。作品には、滲み重なり合った線で大小の人の顔が無数に描かれています。
彼女の作品の始まりは、無数に並んだ「丸」の中に「丸」を描き始めたことでした。それがいつしか目や鼻を思わせるものとなり、やがて手足や毛のような線が引かれるようになりました。しかし、作品が注目された途端に、彼女は「描かんよ」と宣言し、以後は制作しませんでした。
2.繰り返しのたび
本章では、繰り返しを中心とした作品を紹介します。繰り返されているものも様々で、自分の名前、お母さんの肖像、同じ内容の日記などなど……。
紙面を埋め尽くすかのような反復表現に、何か執念のような猛烈なエネルギーを感じる人もいるのではないでしょうか。ですが、例えば、日常の中で繰り返しに落ち着きを感じる、そんな経験はないですか? 梱包材の「ぷちぷち」を押し潰すことに夢中になったり、いつもの味噌汁の味にホッとしたり。
ここで紹介するつくり手たちの反復的表現には、人間にとって執念にも落ち着きにもなり得る繰り返しについて、考えるためのヒントを与えてくれることでしょう。
滋賀俊彦
京都府生まれの滋賀俊彦は、滋賀県甲賀市の福祉施設「信楽青年寮」で暮らし、制作を行いました。滋賀の母によれば、母がかけている眼鏡が頻繁に描かれているとのことであり、おそらく滋賀は、自身の母の姿を描いていたものと考えられます。
紙の両端は黒く塗りつぶされ、人間のような顔は、茶碗形をした輪郭に付けられた髪の毛、大きく飛び出した目で描かれています。そしてまっすぐに伸びている身体や、ただの線で描かれた腕や脚など、描き方は全て同じであることが特徴的です。
齋藤裕一
埼玉県生まれの齋藤裕一は、埼玉県川口市の福祉施設「工房集」に通い、制作していました。作品に描かれているのは「ひらがな」であり、例えば「も」や「はみ」が何度も繰り返されています。
文字はその日のテレビ番組が元となっており、「も」は「ドラえもん」で、「はみ」は「はみだし刑事」です。番組名に由来するひらがなを、何層にも重ねていくユニークな方法で、文字の集合とは思えないような、抽象的なイメージが生まれています。
3.冒険にでる理由
本章では、つくり手たち自身を捉えた映像を観ることができます。45人のつくるフィールドの多くは、障害者福祉施設や精神科病院などの福祉的現場です。こうした背景からも推察できるかもしれませんが、彼らのほとんどは美術作品を手掛けているという意識はなく、むしろ自分らしく生きていくことの延長線上として、つくるという行為を営んでいるといえるのかもしれません。
4.社会の密林へ
路上に落ちていたモノを拾い集めてつくったオブジェや、独特に着飾った派手な服装で町中を行くパフォーマンス、また自分の知る人々の顔、乗り物の精巧な再現など、ここでは自らが生きる社会を構成する人やモノへの関心を感じさせる作品を展示しています。
アール・ブリュットのつくり手たちは、これまでむしろ社会との関係の希薄さを切り口に語られることが多かったといえます。人知れず、黙々とつくり続ける、そういうイメージが重ねられることもしばしばあったといえるでしょう。
しかし、ここで鑑賞できる作品群には、必ずしもそのような印象は当てはまらないといえます。作品からは、むしろこの世界と繋がろうとする想いが感じ取れることでしょう。
八島孝一
大阪生まれ、大阪在住の八島孝一。八島の作品は、その材料の全てが「彼が拾い集めた物」でできています。大阪府大阪市の福祉施設「ぶるうむ此花」に所属する八島は、通所する施設の道すがら、拾ったものを持ち帰るという習慣があったようです。
1996年頃から、それらをセロハンテープで繋ぎ合わせて小さなオブジェをつくることを始め、2013年頃まで行っていたとされています。多数の素材を、それぞれの形状や特性を活用しつつミックスしたり、最小の組み合わせで的を射た形を表現したり、作品には八島の巧妙なアイデアが滲んでいます。
宮間英次郎
三重県生まれ、神奈川県在住の宮間英次郎。宮間は、大きな帽子と派手な衣服を身に着け、主に横浜を拠点に繁華街を自転車でゆっくりと回遊するパフォーマンスをしていました。
60歳の頃、ふと思いついてカップラーメンの容器を頭に被ってみると人が振り返り、それに造花を刺すと、さらに多くの人が振り返ったそうです。
こうした体験を経て、帽子や衣装はどんどん奇抜さを増していきました。金魚が入った瓶のついた重い帽子を片手で支えつつ、自転車で人混みを縫うようにして走っていく宮間は、やがて「帽子おじさん」として注目されるようになりました。
5.心の最果てへ
激しい感情を表明したり、やすらぎを求めたり、過去の記憶を掘り起こしたり、我を忘れて何かに没頭したりー本章で鑑賞できる作品からは、そういった心の動きを感じ取ることができるでしょう。
また、本章の展示の中には、精神科病院での長い入院生活の中でつくり続けていた人たちも含まれています。
冒険といえば、外の世界に果敢に飛び出していくようなイメージがあるかもしれません。しかし、つくる冒険においては、私たちの内側にある心も無限に広がる冒険の舞台ともいえます。では、その最果てに何があるか。ここにある作品は、自分でも言葉にすることができないような心の果てへアクセスするための方法であったともいえるのかもしれません。
秦野良夫
群馬県生まれの秦野良夫は、群馬県藤岡市の福祉施設「かんなの里」に所属し、制作を行いました。秦野の絵は、自宅に関する彼の古い記憶を描いたもの。しかし、本人があまり話さないため、彼の兄が作品を見るまで、誰も彼が何を描いているのか分からなかったようです。
彼は菓子箱を定規代わりに、ゆったりとしたペースで描きました。彼にとってこの絵を描くということは、頭の中にしか存在しない過去の自宅の景色を、紙の上に定着させていくような作業だったのかもしれません。
澤田真一
滋賀県生まれ、滋賀県在住の澤田真一。滋賀県栗東市にある福祉施設「第二栗東なかよし作業所」に所属し、制作を行っています。
表面全体を小さなトゲと線刻が覆う、個性的で力強い造形の作品を制作しています。作品のサイズや形状が様々であり、出来上がった作品は、スタッフたちによって丸3日間ほど薪を燃やして窯で焼かれ、炎ならではの自然なゆらぎのある赤茶色に色付いていきます。
展示作品は、2007年付近の澤田の作風であり、彼の制作スタイルは時代によって変わっていくため、現在の作品の姿形はまた異なります。
オープニングセレモニーの様子。(左から)保坂健二朗 滋賀県立美術館ディレクター(館長) 石川一郎 京都新聞社滋賀本社代表 吉倉和宏 日本財団常務理事 三日月大造 滋賀県知事
本展のオープニングセレモニーにおいて、滋賀県立美術館ディレクター(館長)の保坂健二朗氏は「今から11年前の2013年に、滋賀県出身の澤田真一さんがヴェネチア・ビエンナーレの日本館ではなく、むしろそちらの方がすごいのですが、企画展の部門に招待されて大きな話題を呼んだことは、ご記憶の方もいらっしゃるかと思います。
ヴェネチア・ビエンナーレに出展されたことを始めとして、例えば澤田さんの作品を始めとする日本のアール・ブリュットというものが今、世界中の美術館で、あるいはギャラリーの中で、あるいはコレクターによって注目の的になっており、欲しいぞとなっています。
国立の近代美術館が入っているパリのポンピドゥー・センターは、2年前の2022年に、約900点のアールブリュットの作品を受贈しました。「ABCDコレクション」という大きなコレクションがあって、実は2008年に当館もそのコレクションの展覧会を開催しているのですが、そのABCDコレクションを、パリの国立近代美術館が受贈したんですね。
これはなかなかすごいことでして、要するにパリの国立近代美術館ポンピドゥー・センターというのは、いわば世界の美術史を作ろうとしてきたところで、その美術館がアール・ブリュットを収蔵するというのは、これまでのスタンダードを変えていこう、女性の参加を検証しようとか、アフリカや黒人のアートとか、色々なものをきちんと評価していこうという動きの中で、プロではない作り手の作品もきちんと評価していこうではないかということを、世界のリーディングミュージアムが考えているということを示すわけです。
900点、ポンピドゥー・センターが受贈したのですが、澤田さんの作品が何点含まれているかというと4点です。少ないじゃないかと思われるかもしれないんですが、ポンピドゥー・センターに4点作品が入るってのは結構すごいことなんですね。
ABCDコレクションの場合には、元々3000点規模の作品があって、そのうち900点を選んでいるわけですが、そのうちの4点が澤田さんの作品だというところで、どれだけ彼らが澤田さんの作品に注目しているか、また澤田さん限らず、他の日本の作家も入っているんですが、そうしたことが見ていただけると思います」と述べました。
以上、滋賀県立美術館開館40周年記念として開催中の『つくる冒険 日本のアール・ブリュット45人―たとえば、「も」を何百回と書く。』展についてご紹介しました。生きるうえでの彼らのモチベーションにもなっているであろう制作された作品を鑑賞し、彼らの想いに寄り添ってみていただけますと幸いです。
■滋賀県立美術館開館40周年記念『つくる冒険 日本のアール・ブリュット45人 ―たとえば、「も」を何百回と書く。』
会期:2024年4月20日(土)〜6月23日(日)
休館日:毎週月曜日(ただし休日の場合には開館し、翌日火曜日休館)
開館時間:9:30-17:00(入場は16:30まで)
会場:滋賀県立美術館 展示室3
滋賀県大津市瀬田南大萱町1740-1
TEL:077-543-2111 (電話受付時間 8:30~17:15)
観覧料:
一般 950円(800円)
高校生・大学生 600円(500円)
小学生・中学生 400円(300円)
※お支払いは現金のみ
※( )内は20名以上の団体料金
※企画展のチケットで展示室1・2で同時開催している常設展も無料で観覧可
※未就学児は無料
※身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳をお持ちの方は無料
つくる冒険 日本のアール・ブリュット45人 ―たとえば、「も」を何百回と書く。 | 滋賀県立美術館 (shigamuseum.jp)