執筆者:遠藤友香
ふと目に入った、何気ない日常の「モノ」にレンズを向けるー。カメラを手にしたことのある人であれば、誰しもが経験したことがある行為ではないでしょうか。カメラからスマートフォンへ、撮影するという行為はさらに一般的になり、SNSの普及により「モノ」を撮影した多くの写真が世界中に溢れています。
滋賀県立美術館開館にて、2025年3月23日(日)まで開催中の写真展「BUTSUDORI ブツドリ:モノをめぐる写真表現」。ブツドリとは、もともとは商業広告などに使う商品(モノ)を撮影することを表現する言葉です。
本展は「モノ」を撮影することで生まれた写真作品を、この「ブツドリ」という言葉で見直し、日本における豊かな表現の一断面を探る試み。展覧会は6章で構成され、広告写真が生まれるよりずっと前の時代から始まり、構成主義やシュルレアリスムの時代を経て、戦時のプロパガンダ写真やバブル経済期の洗練された広告写真、そして現代のブツドリまで200点以上の写真作品を鑑賞することができます。中でもおすすめの作品をピックアップしてご紹介します。
1.たんなるモノ
本章では、幕末の写真家・島霞谷(しまかこく)が撮影した《鮎》と《頭蓋骨標本》、モノを撮影することを実験的に思索した大辻清司の「大辻清司実験室」に掲載された作品、日常を独自の表現として昇華した川内倫子の《M/E》を展示しています。
モノを写すとは、一体どういったことなのでしょうか。これは「写真が何を写し取るのか」といった問いにも通じるものです。写真工学的には、写真とは反射した光を写し取るもの。しかし、モノが写された写真を見たとき、それがモノに反射した光だと認識する人は少ないでしょう。多くの人は、写真を見て「モノ」そのものを認識するはずです。
モノを写すことに真摯に向き合った写真家のひとりに大辻清司(1923‐2001)がいます。大辻は、戦後間もない頃から商業写真家として活動を開始。彼の生み出す作品はシュルレアリスムの影響が色濃く、造形的で前衛的な作風が特徴となっています。写真を通じて新しい視覚的な表現を模索し続けました。
こちらは、1年間に亘って雑誌『アサヒカメラ』に全12回連載された「大辻清司実験室」の「〈たんなるモノ〉(1975年1月号)」と「いとしい〈モノ〉たち」(1975年2月号)に掲載された作品です。「いとしい〈モノ〉たち」に掲載された作品に写されているのは、大辻のアトリエにある彼にとって愛着のあるモノたち。大辻はこれを「偏見偏物写真」と呼び、それぞれのタイトルには思い出が綴られています。これらのモノたちが大辻にとって大切な存在であっても、論理的に観る側にとっては「たんなるモノ」として映ることでしょう。
しかし、ここで重要なのは、実際にはこれらの写真が観る側にとっても「たんなるモノ」が写された写真には見えないということです。写真を通して表現されたモノ自体の形状や質感、配置、光の扱い方は、観る者の記憶や感情を喚起し、モノを個人的な意味の枠を超えた普遍的な表象へと昇華させます。また、写真に添えられたタイトルも大きな役割を果たしています。タイトルを通じて、私たちはそれを単なる物質としてではなく、背後に物語性を宿した存在として認識することでしょう。
2.記録と美
文化財写真の歴史は、明治時代の初期から始まります。明治維新後に起こった仏教排斥運動、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、社寺の荒廃や貴重な文化財の損壊が進みました。1872年、このことを重く受け止めた明治政府によって、当時最新の技術であった写真を用いて、危機に瀕した文化財の調査を行うことが決定されました。この文化財調査は「壬申検査」と呼ばれ、写真家・横山松三郎(1838‐1884)が随行し、正倉院宝物や仏像などの写真が撮影されました。
文化財写真は、単に文化財を記録するだけでなく、その背後にある歴史や価値を伝える重要な役割を担っています。ただ形や色を写し取るのではなく、写真を通じて文化財の歴史的意義や美意識、文化的な価値を表現する意図が込められています。文化財写真は単なる記録媒体ではなく、鑑賞者に文化財が持つ「意味」を喚起させるための「媒介」として機能しているのです。
本章では、重要文化財に指定されている壬申検査のガラス原板、作家性を帯び始めた頃の古美術写真、そして仏像写真におけるそれぞれの眼差しをみていきます。また、これらの文化財写真とともに、古書をオブジェとして撮影した潮田登久子の《Bibliotheca》を展示しています。
3.スティル・ライフ
明治から大正にかけての日本では、写真に芸術性を求めるアマチュア写真家らを中心に、絵画的な写真が志向されました。いわゆるピクトリアリズムと呼ばれる写真動向において、1920年代より、一部の芸術写真家らは、静物写真に注目しはじめます。これらの1920年代、30年代の静物写真とともに、本章では母の遺品を撮影した石内都の《mother's》、物体を撮影することで他者からの見え方を模索する安村崇の《態態》を展示しています。
石内は、1979年に写真集『APARTMENT』および写真展「アパート」にて、第4回木村伊兵衛写真賞を受賞。2014年には、アジア人女性で初めてハッセルブラッド国際写真賞、2024年には「ウーマン・イン・モーション」フォトグラフィー・アワードを受賞するなど、国内外で高く評価されています。
こちらの石内の《mother's》は、遺品という「死」の象徴を扱いながらも、一人の人間の確固たる「生」が写し取られています。石内にとって、母の遺品を撮影することは、亡くなった母との遺品を介した対話でした。《mother's》が展示され、個人的な記憶や感情を超え、一つの作品として自立していく中で「たくさんの見知らぬ女たちの生き様を、母の遺品を通して私は写真に託したのではないか」と、石内は考えるようになったそう。この言葉が示す通り、《mother's》は個人の物語にとどまらず、多くの女性たちの物語を今の私たちに伝えているのです。
4.半静物? 超現実? オブジェ?
1930年前後から、カメラやレンズによる機械性を生かし、写真でしかできないような表現を目指した写真が盛んになります。これらのいわゆる新興写真は、ドイツの新即物主義(ノイエザッハリヒカイト)やシュルレアリスムに影響を受け、前衛写真へと引き継がれていきます。
先で触れた通り、前衛写真に大きな影響を与えたシュルレアリスムは、フランスの詩人アンドレ・ブルトンが1924年に刊行した『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』に端を発した芸術運動です。文学から始まったその運動は、絵画、そして写真にも影響を与えました。それは、単なる空想の中に非現実の領域を表そうとしたものではなく、現実の中に存在する「Surreel(強度の現実)」を捉えたものであり、現実と繋がった世界を提示しようとした運動でした。現実との連続性という意味で、写真はシュルレアリスムという思想にとって適したメディアであったと言えるでしょう。
本章では、モダンフォトグラフィの潮流の中で、前衛的な写真表現をおこなった中山岩太や安井仲治などの作家の作品を展示。これにあわせて、オノデラユキの《古着のポートレート》、野菜や魚などの食材や、花や昆虫を素材として特異なオブジェを制作する今道子の作品も展示し、前衛写真との表現上の共通性を概観します。
5.モノ・グラフィズム
1920年代頃から、写真と同様に広告の世界でもモダニズムの動向が見られるようになりました。欧米の新しい美術やデザインの影響を受け、日本でも近代的なデザインが模索される中で、写真を用いたデザインが注目を集めるようになります。
1926年に金丸重嶺(1900‐1977)が鈴木八郎(1937‐2005)と共に、日本初の広告写真撮影を行う商業写真スタジオ「金鈴社」を設立するなど、着実に商業写真への意識が写真家の中に芽生え始めます。その後、1920年代後半から30年代にかけて、振興写真の時代が到来すると、写真を用いたグラフィック表現は一層加速することになります。
本章では、モノをめぐるグラフィックデザインとして、日本における初期の広告写真から、ポスターなどの広告にみられるグラフィック表現を紹介します。また、ホンマタカシが猪熊弦一郎のアンティークコレクションを撮影した『物物』のプロジェクトを展示。写真家による多種多様な「物撮り」のイメージをお楽しみください。
6.かたちなるもの
最後の章では、かたちなるものを捉えようとしているとも言える、新興写真や前衛写真に影響を受け、「造型写真」という言葉で独自の表現を目指した坂田稔、動植物を即物的に捉えた写真集『博物志』を発表した恩地孝四郎、日本の伝統的なデザインから、さまざまな「かたち」にフォーカスした岩宮武二、日本の写真における抽象表現の先駆的な存在である山沢栄子、そしてカラフルなスポンジを組み合わせ造型化した鈴木崇といった5人を取り上げています。
そもそも「かたち」とは何でしょうか。『美学辞典』を参照してみると、以下のように書いてあります。
「日本語の「かたち」は静態的な意味合いが強いが、漢字の「形」には「形成する」や「現れる」という動詞的、動的な意味があり、西洋語の場合も同様で、英語のformがそのまま動詞として用いられることに注意しなければならない。この動詞的用法は、形の前提をなす「統合」の働きに対応している。その概念に従えば、形は形成活動に先立ってその外に存在する抽象的な容器や枠組のようなものではなく、むしろ形成活動の結晶であり、形のなかにはこの形成の過程のダイナミズムが籠められている」。
鈴木崇の作品《BAU》シリーズでモチーフとなっているのはスポンジです。その形は、様々な使用用途に適応させようとした結果、多種多様になっています。また硬さや密度で色を違えてあるのも特徴で、ひとつの既製品の中に複数の色が層として含まれることもあります。
鈴木は、そんなスポンジを複数組み合わせ、新たなかたちが生まれたと感じたらそれを写します。そこには明らかに「形成の過程のダイナミズム」が感じ取れます。と同時に、その形成の際、相当な程度で色が寄与していることにも気づきます。「かたち」とは何か、改めて考えさせられます。
以上、私たちにとって身近な「ブツドリ」について認識を深められる写真展「BUTSUDORI ブツドリ:モノをめぐる写真表現」についてご紹介しました。
滋賀県立美術館は、展示室でもしーんと静かにする必要はなく、おしゃべりしながら過ごすことが可能です。また、目が見えない、見えづらいなどの理由でサポートや展示解説を希望される場合や、その他来館にあたっての不安をあらかじめ伝えられた際には、事前の情報提供や当日のサポートの希望に可能な範囲で対応してくれるなど、鑑賞者に大変優しい美術館です。
ぜひ、会場に足を運んで、写真の奥深さを感じ取ってみてはいかがでしょうか。
■滋賀県立美術館 開館40周年記念 「BUTSUDORI ブツドリ:モノをめぐる写真表現」
会期:2025年1月18日(土)~3月23日(日)
※会期中に一部展示替えがあります
休館日:毎週月曜日(ただし休日の場合には開館し、翌日火曜日休館)
開場時間:9:30~17:00(入場は16:30まで)
会場:滋賀県立美術館 展示室3 滋賀県大津市瀬田南大萱町1740-1
観覧料:一般1,200円(1,000円)
高校生・大学生800円(600円)
小学生・中学生600円(450円)
※( )内は20名以上の団体料金
※企画展のチケットで展示室1・2で同時開催している常設展も無料で観覧可
※未就学児は無料
※身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳をお持ちの方は無料
主 催:滋賀県立美術館、京都新聞
特別協力:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都写真美術館
助 成:公益財団法人DNP文化振興財団
企 画:芦髙郁子(滋賀県立美術館 学芸員)