執筆者:遠藤友香
日本はかつて、17世紀から19世紀までの約200年間、政策により海外との交わりを断っていた歴史を持っています。ヨーロッパ諸国やアメリカ、ロシアの要請で開国することになったとき、最初に設けられた5つの港のうちの一つとなったのが横浜でした。1859年のことでした。以来横浜には、新しい文化が次々と流入し、時に衝突を孕んで混じり合う特別な場所として今日まで発展してきました。
そんな横浜で、3年に一度開催される現代アートの祭典「横浜トリエンナーレ」。2001年にスタートし、200を数える国内の芸術祭の中でも20年以上の長い歴史を誇っています。第8回目となる今回は、北京を拠点として国際的に活躍するアーティストとキュレーターのチーム、リウ・ディン(劉鼎)とキャロル・インホワ・ルー (盧迎華)をアーティスティック・ディレクター(AD)に迎えます。
全体テーマは「野草:いま、ここで生きてる」で、これは中国の小説家である魯迅(1881~1936年)が中国史の激動期にあたる1924年から1926年にかけて執筆した散文詩集『野草』(1927年刊行)に由来します。『野草』は、当時魯迅が向き合っていた個人と社会の危機に満ちた現実を、抽象的に描き出しています。『野草』には、魯迅の宇宙観と人生哲学が込められています。
本芸術祭は、横浜駅から山手地区におよぶエリアを使って、ADが手がける国際展「野草:いま、ここで生きてる」(横浜美術館、旧第一銀行横浜支店、BankART KAIKO、クイーンズスクエア横浜、元町・中華街駅連絡通路の5会場)と、 地域の文化・芸術活動拠点による展示やプログラム「 アートもりもり!」の2本柱で構成されています。「野草」展には93組の多様な国/地域のアーティストが参加。このうち新作を発表するアーティストは20組、日本で初めて紹介されるアーティストは31組です。
第8回横浜トリエンナーレ総合ディレクター/横浜美術館館長の蔵屋美香
記者会見において、第8回横浜トリエンナーレ総合ディレクター/横浜美術館館長の蔵屋美香は「横浜は160年近くの間、国際貿易港として栄えてきました。その歴史を踏まえて、本芸術祭は国際性を大きな特徴の一つにしています。31の国と地域からアーティストが参加をしており、世界の声を横浜に一堂に集めてご紹介する機会となります。
私達の暮らしは考えてみますと、災害や戦争、それから気候変動や経済格差、そして互いに対する不寛容など、かなり生きづらさを抱えています。今回の展覧会は、この生きづらさがどうして生じてきたのかということをたどりながら、みんなで手を携えて共に生きていくための知恵を探る企画となっています。
国際展「野草:いま、ここで生きてる」と「 アートもりもり!」といったテーマで手を結ぶことによって、国際性からローカルに根ざすものまで、様々なアートが横浜に息づいている様を、街歩きを楽しみながらご覧いただける企画になっています。
もう一つの特徴は、色々な人を歓迎するトリエンナーレであるということです。横浜美術館は3年の間工事休館をしていましたが、この横浜トリエンナーレを持ってリニューアルオープンします。エレベーター、多機能トイレ、授乳室など、バリアフリーの設備を完備しています。
例えば、小さい子供がいる、あるいは体力に自信がない、足が悪いなど、街歩きを楽しむのはちょっと辛いなという方にも、美術館会場で安心してたくさんの作品を楽しんでいただける優しい作りになっています。そして、今回親子が安心して楽しめる子供のアート広場「はらっぱ」というスペースもご用意しています」と述べています。
※「つくる・あそぶ・くつろぐ」ために用意された美術館内のスペース「はらっぱ」では、スタンプを使って創作したり、展覧会の感想を書いたり、休んだり、いろいろな過ごし方ができます。乳幼児を連れて休憩できるコーナーもあります。
ADのキャロル・インホワ・ルー(盧迎華)
また、ADのキャロル・インホワ・ルー(盧迎華)は「この度、2年以上に及ぶ入念な準備を経て、ついに「野草:いま、ここで生きてる」を皆様にお届けできることを大変光栄に思います。
1902年4月4日、当時21歳の魯迅は、高い志を胸に中国から横浜に降り立ち、その後7年にわたる日本留学を開始しました。当初医学の勉強を目的としていた魯迅でしたが、まもなく文学の追求にその目的を切り替え、帰国後、魯迅は1910年代後半から、中国の知識人界の第一人者となりました。魯迅は厨川白村を始めとした日本の重要な文学者から着想を得ました。
今回の「野草」というタイトルは、魯迅の同名の文学作品『野草』に由来しています。『野草』は、あらゆる制度や規則、規制、統制、権力に超然と立ち向かい、個人の生命の抗いがたい力を、高潔な存在へと高めた内容となっており、希望ではなく絶望を出発点としています。
ビエンナーレやトリエンナーレのような大規模な国際展は、資本やアウトマーケットなどが大きな力をふるう一方で、単なるスペクタクルとなってしまっており、歴史的な深さの欠如や現実との乖離といった課題を抱えていることに気づきました。私達はこれらの問題に取り組みたいと考えています。私達はこのトリエンナーレに今日私達が置かれている複雑な歴史的状況を反映させたいと思っています。私達は人間社会の活動や経験、歴史をつぶさに見つめ、私達自身や隣人、そして友人の歴史から学ぶことができると信じています。英雄のように成功した人物の人生だけではなく、多くの一般的な庶民の人生を描きたいと考えています。
近年の様々な危機の連鎖は、人間の存在の脆弱な状態を明らかにしただけではなく、20世紀に考案された政治制度や社会組織のモデルの様々な限界を露呈させています。社会主義体制の衰退と、東西冷戦の終結に続く現代の世界秩序は、新自由主義経済と保守性と保守政治の支配によって特徴づけられています。新自由主義体制は、市民ではなく消費者を、共同体ではなくショッピングモールを生み出します。新自由主義体制は、個人が互いに阻害され、自己認識が道徳的に破綻し、社会化が弱体した原子化した社会を作り出しました。
私達は、今日の経験を芸術的なアプローチで表現する必要性を感じており、このトリエンナーレで、今日版の『野草』を構成したいと考えています。アーティストの作品を通して、私達は20世紀初頭からの歴史的瞬間、出来事、人物、思想の傾向のいくつかを辿ります。歴史的な作品と、現在を直接的に扱った作品を並置することで、時間の境界を曖昧にし、歴史と現在が互いに鏡のように映し出されるようにします。本トリエンナーレのテーマは、新しい社会関係を創造し、個に立脚した国際主義を呼びかけるというビジョンを持って、個人の主体性や謙虚なヒューマニズム、勇気、レジリエンス、信念全体を語っています。ぜひ、ご紹介した展覧会のアイデアをご自身で探索してみてください」と語りました。
次に、「野草:いま、ここで生きてる」展で展開されているアート作品をご紹介します。
■横浜美術館
1.オープン・グループ《繰り返してください》
オープン・グループ(ユリー・ビーリー、パヴロ・コヴァチ、アントン・ヴァルガ)《繰り返してください》2022年
ウクライナのアーティスト6人によって2012年に結成されたオープン・グループ。うち3人を軸に編成を変えながら、コミュニティへの関与や協働、対話や討論をもとに作品を制作しています。
この映像は、ロシアによるウクライナ侵攻にともなって、リヴィウの難民キャンプに逃れた人々に取材したもの。国民に配布された戦時下の行動マニュアルに想を得ています。そこには、音によって兵器の種類を聞き分けたうえで、いかに行動するべきか、という手引きが示されています。武器の音を口で再現する人々の姿は、生きるために新たな知識が必要となったウクライナの今ある現実を生々しく伝えています。
2.志賀理江子《霧の中の対話:火ー宮城県牡鹿半島山中にて、食猟師の小野寺望さんが話したこと》
志賀理江子《霧の中の対話:火ー宮城県牡鹿半島山中にて、食猟師の小野寺望さんが話したこと》2023-2024年
志賀理江子は2008年に宮城県に移住して以来、その地に暮らす人々と触れ合いながら、人間と自然との関わりをメインテーマとした作品を制作し続けています。
回廊に並んだ11点の写真は、主に宮城県の牡鹿半島で撮影されました。そこに作家自身の手で書き込まれたテキストは、牡鹿半島の鹿猟師、小野寺望へのインタビューの記録です。「誰の杓子定規で物事を考えるか」と小野寺が問うとき、東日本大震災からの「復興」と原発再稼働を巡る議論に抜け落ちた視点があらわになる、と志賀は言います。私達の体内に流れる血としての「赤」によって可視化された光景は、人間・社会・自然の間を循環するより根源的なエネルギーの存在を示しているかのようです。
3.志賀理江子《緊急図書館》
志賀理江子《緊急図書館》2024年
志賀は、3階の回廊に展示された写真作品とあわせて、小さなライブラリーを開室しています。名付けて「緊急図書館」。小説、紀行文、詩集、哲学書、科学書、社会学の本など、著名/マイナー、国外/国内を問わず、オールジャンルの本が書棚に並びます。これらは回廊の写真作品に書き込まれた小野寺望のインタビューの内容に沿った15にキーワードにしたがって、ゆるやかに分類されています。その書籍も各々の視点から、私達の生活を取り巻く待ったなしの課題、危機に対処するヒントを与えてくれます。
4.厨川白村『象牙の塔を出て』
厨川白村『象牙の塔を出て』
厨川白村は、約100年前の大正時代に活動した英文学者・文芸評論家です。この時代の日本では、資本主義が勃興し、経済的、政治的な対立が激化していました。その中で厨川は『象牙の塔を出て』(1920年刊)を発表しました。そして、芸術家は「象牙の塔」に閉じこもらず、現実に起きている問題と密接な関係を持たなければならないと主張しました。
また、関東大震災で亡くなった後に出版された『苦悶の象徴』(1924年刊)では、人間の生命力が抑圧されたときに生まれる苦悶を表現するものこそ芸術である、と説きました。魯迅は『野草』の執筆と同時にこの本の翻訳を進めており、『苦悶の象徴』は『野草』の思想にも影響を与えたと言われています。
5.尾竹永子《福島に行く》
尾竹永子《福島に行く》(2014ー2019)
尾竹永子は2014年から2019年にかけて、福島第一原子力発電所周辺を5回にわたって訪れました。この映像作品は、その際に写真家のウィリアム・ジョンストンが撮影した写真と、尾竹による文章で構成されています。
災害や戦争で家を追われ、あてもなくされてしまう。私達はこうした事態を遠くのことと捉えがちです。しかし実際には横浜から電車で3時間半ほどの場所に、3.11の後、今も人が戻ることのない地域が広がっています。尾竹の身体は直立することなく、うずくまったり地面に寝そべったりしています。打ちのめされたようにも、傷ついた大地に寄り添うようにも見えます。
6.サンドラ・ムジンガ《出土した葉》
サンドラ・ムジンガ《出土した葉》2024年
赤い浮遊物と、地面に立つ茄子色の物体。そのかたちは恐竜やSFに登場する怪獣を思わせます。鉄を用いた骨組みは、ロボットやサイボーグを連想させるかもしれません。まるで古代と未来が複雑に重なり合うようです。
サンドラ・ムジンガは、遠い過去または遥かな未来において、今より厳しい環境に生きる「自分ではないもの」になってみたらどう感じるかを想像するのが好きだ、と語ります。では、私達もこれらの「怪獣」の身になって、例えば自分が地球環境の変化により死の脅威にさらされていると想像してみましょう。すると、表面の皮膚だけでできたその姿が、私達を包み、外の世界から守ってくれる衣服のようにも思えてきます。
7.イェンス・ハーニング《Murat》
イェンス・ハーニング《Murat》2000年/2024年プリント
現在、市場主義を重視し、公共サービスや福祉を切り詰める「新自由主義」が世界に広がっています。イェンス・ハーニングは1990年代から、そうした社会で生じる排除や包摂、境界や越境といったテーマを扱ってきました。
この作品は、コペンハーゲンに住む移民一世を撮影したものです。ファッション系の雑誌やSNSでよく見る、「街角で見つけたおしゃれな人のスナップ」手法を真似て、モデルが着ている服のブランド名や値段が書かれています。しかし一般的に流行を語る際、ランウェイでトレンドが生み出されることが圧倒的で、ここに写るような人々が取り上げられることはあまりないと言っていいでしょう。作者は、社会的に見えなくなっている排除の現実を私達に突き付けます。
8.岡本太郎《題不詳(縄文土器)》
岡本太郎《題不詳(縄文土器)》1956年
第二次世界大戦後、日本は荒廃した社会の再建に全力を尽くしました。その一方で、多くの知識人が「帝国日本」の権力システムや、近代化の過程で信奉し取り入れてきた西洋の合理的な知の在り方に鋭い批判の目を向け、「主体性」の確立を主張しました。こうした知の在り方や権力システムを無自覚に受け入れてきたことが、人々を戦争に導いたという確信と反省があったのです。
日本の芸術の分野では、このような内省を踏まえ、古代天皇制が確立するより遥か前の古い伝統に、戦前戦中のナショナリズムに代わる新たな文化的アイデンティティを求める傾向がみられました。1950年代の日本芸術にみられた「縄文ブーム」はその傾向のひとつです。岡本太郎、児島善三郎など、欧米留学から帰国した当時の日本の前衛芸術家は、縄文時代(紀元前12,000年頃から紀元前300年頃)の遺物、美学に目を向け、その中に創作の源泉を見出そうとしました。彼らは、縄文土器の巨大なエネルギーに、人類が進歩の過程で失ってしまったものを見出し、文化そのものを再構築するにあたって重要な示唆を得たのです。
1930年にヨーロッパへ渡った岡本太郎は、パリで抽象絵画に目覚め、また民俗学も学びました。帰国した岡本は、日本における前衛芸術運動の中心人物として活動する一方、戦後の1951年、東京国立博物館における「日本古代文化展」で、縄文土器の美を発見します。1956年には、自ら撮影した土器の写真と「縄文土器論」を収めた『日本の伝統』を刊行します。民俗学の知識と強烈な発信力を兼ね備えた岡本は、こうして縄文ブームの火付け役となりました。その影響は、美術、建築、デザインなど幅広い分野に広がりました。
■BankART KAIKO
9.クレモン・コジトール《ブラギノ》
クレモン・コジトール《ブラギノ》2017年
ブラギヌ一家はシベリア東部、北方性針葉樹林(タイガ)地帯に住んでいます。都会を離れ、自給自足の暮らしをしているのです。しかし、美しい自然に囲まれたその日常は、決して平穏ではありません。一家は、川の対岸に住むキリヌ家と、土地や資源の分配を巡って長年対立しています。
資本主義の世から逃れて新しい生き方を始めたはずなのに、そこに生じたのは一層激しい所有欲と、そして憎悪でした。両家の唯一の接点は、子供達の遊び場である川の真ん中の小島です。子供達は、互いへの好奇心と親から教えられた憎しみの間で揺れ動いています。次の世代を担う彼らは、果たして共に生きるための別のルールを見出すことができるでしょうか。
■旧第一銀行横浜支店
10.プック・フェルカーダ《根こそぎ》
プック・フェルカーダ《根こそぎ》2023年ー2024年
アーティストのプック・フェルカーダ
気候変動や環境破壊は、人間の未来や生存に関わる深刻な問題です。自然界が人間の思い通りにならないだけでなく、人間自身が自らに不適切な自然環境をつくり出しています。人間が生き延びるためのヒントは、自然を改変することにではなく、むしろ自然を見習うことにあるのではないでしょうか。
作家はこの新作で、多くの種類が同じ土に共存し、柔軟に形を変え、依存しあって生きる植物の性質に注目しました。そんな植物のように、私達も、常に変わりゆくものとしての世界を受け入れ、凝り固まった考えや旧態依然とした社会の仕組みを打ち破ることができれば、その時、この映像の主人公であるヒューマノイドもはじめて安住の地を見つけるかもしれません。
次に、「 アートもりもり!」の展示作品をピックアップします。
■BankART Life7「UrbanNesting:再び都市に棲む」
11.佐藤邦彦《Retouch》
佐藤邦彦《Retouch》
横浜には、日本の近代の歩みを示す様々なモニュメントがあります。土地の歴史を語り市民に誇りを持たせてくれる一方で、今日注視する人は多くありません。そこで改めてモニュメントに注目し、そこから歴史と現在、そして写真との関係を考えてみたい、と佐藤邦彦は語ります。
写真シリーズ《Retouch》は、横浜にあるモニュメントを撮影し、画像加工で碑文を削除したもの。モニュメントを、言葉のない物体の写真とキャプションとして再構成しています。
■黄金町バザール2024 ―世界のすべてがアートでできているわけではない
12.井上修志《日和山の階段を新しい視点まで延長してみる》
井上修志《日和山の階段を新しい視点まで延長してみる》2021
宮城県石巻市にある日和山の山頂まで続く大きな階段。2011年3月11日に起きた東日本大震災では、多くの人々が津波から逃れるために、この山に登り生還しました。作家もその一人でした。
山頂から一望できる被災した街は、強固な防潮堤の建設や土地のかさ上げなど、震災からの復興真最中の工事現場となっていました。科学技術の進歩と共に更地になった街は、新たな姿へと変化していきました。
井上修志は作品として、日和山の階段を延長しました。これまで多くの人が見ていた風景を少し高い視点から臨み、新たな視点から現在を俯瞰して考えてみたそう。その行動は、次の世代へと伸びる階段の新たな一段を作るものになるでしょう。
■みなとみらい線馬車道駅コンコース
13.石内都「絹の夢―silk threaded memories」
石内都《絹の夢―silk threaded memories》2011年
写真家の石内都
馬車道周辺は、かつて横浜開港から近代の礎を築いた「生糸貿易」に携わる商館や検査所が置かれ、関東甲信越一円から集積された生糸が欧米へと輸出されました。この絹に縁ある地に石内都は《絹の夢―silk threaded memories》として、紡がれた空間を立ち現します。
《絹の夢》で撮影されているのは、主に「銘仙」と呼ばれる着物で、くず繭の糸を平織りした絣(かすり)の絹織物です。横浜に運び込まれた高級な輸出用の絹とは対極的な、むしろその副産物であったとも言えます。一方でデザインは、ヨーロッパの前衛的な動向を取り入れた斬新な柄物が多くみられ、日本の近代化を支えた女性たちの普段着として愛用されていました。
今回の展示では、この《絹の夢》のシリーズから銘仙の着物地と共に、繭や生糸、石内の生まれ故郷である群馬県の製糸工場など、絹が煌びやかな織物になる過程にもフォーカスしています。
■みなとみらいぷかり桟橋
14.中谷ミチコ《すくう、すくう、すくう2024》
中谷ミチコ《すくう、すくう、すくう2024》2024年
アーティストの中谷ミチコ
《すくう、すくう、すくう2024》(「掬う、救う、巣食う」の意からくる)は、奥能登芸術祭2020+で発表された作品20点のうちの6点を再構成した作品です。
当時、展示会場となった石川県珠洲市飯田町に住む様々な老若男女20人に、水を掬う仕草の両手の写真を撮影していただき、データで受け取った画像をもとに、水粘土で原型を制作、石膏で型取りし、雌型の空洞に透明の樹脂を流し込んだ彫刻作品群を制作しました。県を跨いだ移動の自粛が呼び掛けられた時期に、送られてきた写真データを頼りに、遠方で生きる他者の気配をたぐり寄せる試みだった、と中谷ミチコは語ります。
私達は自然災害や戦争を含む厄災に幾度となく翻弄され、それでも日々は続き、何度も挫けながら平穏を取り戻すためにまた働き、生きています。
2024年の元旦に発災した能登半島地震によって、モデルとなってくれた方々の住む珠洲市も大きなダメージを受けました。今回の展示にあたり、この作品の購入者を募り、収益は能登半島地震義援金として珠洲市に寄付/返還するとのことです。
以上、第8回横浜トリエンナーレについてご紹介しました。知識欲が刺激され、またかなり思考力が深くなる芸術祭です。気になる方は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
■第8回横浜トリエンナーレ
会期:2024年3月15日(金)-6月9日(日) 開場日数:78日間[休場日:毎週木曜日(4月4日、5月2日、6月6日を除く)]
開場時間:10:00–18:00(入場は閉場の30分前まで)
6月6日(木)–9日(日)は20:00まで開場
チケット:「野草:いま、ここで生きてる」鑑賞券
横浜美術館/旧第一銀行横浜支店/BankART KAIKOの3会場に入場可能(別日程も可)
一般:2,300円
横浜市民:2,100円
学生(19歳以上):1,200円
セット券:鑑賞券と「BankART Life7」「黄金町バザール2024」のパスポートがセットになったチケット
一般:3,300円
横浜市民:3,100円
学生(19歳以上):2,000円
フリーパス:すべての会場に何度でも入場できます(取扱場所は横浜美術館のみ)
一般:5,300円
横浜市民:5,100円
学生(19歳以上):3,000円
チケット購入方法:オンライン
公式WEBサイトにアクセスしてください。
「野草:いま、ここで生きてる」会場
・横浜美術館
・BankART KAIKO(ショップエリア「横浜クリエイティブCOOP」内 )
セット券プログラム 会場
・BankART Station (みなとみらい線新高島駅B1F)
・黄金町バザールインフォメーション 「高架下スタジオSite-Aギャラリー」(横浜市中区黄金町1-6先)
※「野草:いま、ここで生きてる」会場の、旧第一銀行横浜支店、BankART KAIKOでは、チケットは購入できません。
※フリーパスは、「横浜美術館」会場のみで購入できます。オンラインの取り扱いはありません。