執筆者:遠藤友香
天部の神である風神と雷神を描いた「風神雷神図屏風」(京都・建仁寺蔵)で有名な日本美術の流派の一つ「琳派(りんぱ)」。琳派は、安土桃山時代後期に本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と俵屋宗達(たわらやそうたつ)といった2人の画家によって始まった流派です。
安土桃山時代は、武力による天下統一を成し遂げた織田信長が建てた安土城と、豊臣秀吉が建てた大坂城(桃山城)にちなんで名付けられました。この時代は茶の湯の隆盛、またヨーロッパとの貿易が盛んに行われるようになったため西洋文化の「南蛮文化」がもてはやされさり、芸術や工芸では雄大さや豪華絢爛なテイストも見受けられるようになりました。そして、安土桃山時代に発展した伝統的な日本の舞台芸術が「能楽」です。能は、歌舞伎の起源となった演劇の一形態であり、神話や仏教の教えを劇化したものです。
このような時代に始まった、本阿弥光悦と俵屋宗達による琳派の潮流を大成したのが、尾形光琳(おがたこうりん)です。彼の名前の「琳」という字から、琳派と呼ばれるようになりました。さらにその後、酒井抱一(さかいほういつ)や鈴木其一(すずききいつ)といった江戸琳派の画家たちによって、琳派が江戸の世に定着し、近代まで続いたと言われています。
芸術の流派は、能楽や歌舞伎などのように家系に直結するイメージがありますが、琳派は血のつながりや縁故がなくても、志を同じくする画家であれば「私淑(ししゅく)」として流派を継承できるのが特徴です。私淑とは、直接に教えは受けませんが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと。琳派が長い間繁栄して、優秀な画家を多数輩出できたのは、こういった家系によらない自由な背景が存在していたからでしょう。
この度、京都にある「細見美術館」では、江戸琳派を確立した酒井抱一に憧れ、慕った絵師たちによる江戸琳派の軌跡とその魅力を体験できる展覧会「琳派展 24 抱一に捧ぐ ―花ひらく〈雨華庵うげあん〉の絵師たち―」が、2025年2月2日(日)まで開催中です。
酒井抱一(1761年~1828年)は、姫路酒井家の次男として江戸の大名屋敷で育ち、20代の頃には肉筆浮世絵美人画や狂歌に親しむなど快活な青年時代を過ごしますが、37歳で出家して大名家の身分を離れます。絵師として活動する拠点を求め、50歳を目前にした文化6年(1809年)師走、身請けした遊郭・吉原の遊女とともに移り住んだのが下谷根岸の百姓家でした。同所はのちに「雨華庵うげあん」と呼ばれるようになります。
貧困や借金のため、苦界と呼ばれる吉原の妓楼へ身売りされた遊女たち。彼女たちは妓楼で働きながら借金返済のため、最長10年間、吉原を出ることが許されなかったといいます。まさに籠の鳥のような人生を送っていたのです。しかし、この苦界を脱出できる唯一の方法がありました。それは「身請け」です。客が遊女の身代(みのしろ)金を肩代わりして、自分の妻や妾にすること。酒井は、身請けした遊女の香川(のちに小鸞)と長い苦労の末に結ばれたのです。二人は心底愛し合っていたのでしょう。
次に、本展覧会をみていきましょう。
第1章 酒井抱一の画所(アトリエ)<雨華庵>
抱一が50歳を迎える前年の歳暮、文化6年(1809年)12月から没年(文政11年(1828年)11月)まで、約18年間を過ごした雨華庵。有名な《夏秋草図屏風》(重要文化財・東京国立博物館蔵)をはじめ、多くの抱一の作品がここで描かれました。雨華庵近辺には、抱一の親友で儒学者の亀田鵬斎(1752年~1826年)の住居もあり、下谷根岸は文人墨客が集う地でした。
吉原にも近く、抱一は雨華庵と吉原を拠点として江戸の文化人との交流を深めました。また、出家した抱一は雨華庵で仏事を行い、仏画も手掛けています。
雨華庵への転居直後に描かれた《紅梅図》、画僧としての矜持に満ちた《青面金剛図》、《吉原月次風俗図》ほか吉原に因む作品には、定番の華麗な花鳥図とは異なる抱一の一面が見出されます。雨華庵を安住の地とした抱一の根岸暮らしに思いを巡らせてみてください。
《紅梅図》酒井抱一 画 小鸞 賛
本図は、文化6年(1809年)に、抱一と香川(のちに小鸞)の二人が下谷根岸に転居した後、初めての新年に描いた記念碑的作品です。
抱一が紅梅を描き、小鸞が漢詩を書いています。小鸞には漢詩や書の素養があり、抱一との合作が散見され、本図はその早い作例です。漢詩には「雪を踏み分けて行く事も二人ならば労を厭わない。春は遠いが(梅の)よい香りは漂って来る」とあります。
伸びやかな梅の枝と、整った書風の賛が呼応し、二人の強い愛と絆をうかがわせる極めて素晴らしい作品です。抱一の初期作《松風村雨図》とともに、長く酒井家に秘蔵されてきたとみられます。
第2章 継承される雨華庵 2世鶯蒲(おうほ)や愛弟子たち
雨華庵では多くの弟子たちが抱一の指導を受け、次世代の江戸琳派絵師に育っていきました。抱一の高弟としては鈴木其一や池田孤邨(いけだこそん)が著名ですが、雨華庵そのものを継いだのは、市ヶ谷の浄栄寺から養子に迎えた酒井鶯蒲(雨華庵2世 1808~41年)です。雨華庵は表向き寺坊「唯信寺」として継承されました。
鶯蒲は34歳の若さで没し、以前はよく知られていませんでしたが、近年の研究で早くから抱一の薫陶を受け、2世にふさわしい力量を得ていたことが明らかになりました。また、抱一の直弟子やその弟子たちが雨華庵周辺にあって、若き鶯蒲を支えていました。
本章では、その中から特に山本素堂(生没年不詳)やその長男光一(1843年?~1905年?)に注目。素堂の新出《朱楓図屛風》には、彼が光琳以来の琳派の伝統的な絵画様式を、抱一を通じて確かに獲得した実力者であることが明確に示されています。
《旭日に波濤鶺鴒図(きょくじつにはとうせきれいず)》酒井鶯蒲
波間から昇る朱色の旭日に金砂子の霞がかかり、今まさに日の出という高揚感が伝わってきます。岩は、塗った墨がまだ乾かないうちに、濃度の違う墨を加えることで生じる滲みなどを利用した琳派独特の技法「たらし込み」を用いて質感が表現されており、緑の苔が趣を添えています。二羽の鶺鴒は『日本書紀』の国生み伝説に因む、吉祥・夫婦和合、すなわち夫婦の変わらぬ愛の象徴です。雨華庵 2世、鶯蒲作品の中でも有数の大作です。
第3章 雨華庵再興 4世道一の活躍
2世鶯蒲の甥で養子として雨華庵3世を受け継いだ鶯一(おういつ)(1827年~1862年)も早世したため、作品も記録も稀少でした。その没後、慶応元年(1865年)に雨華庵は不審火で焼失。翌年素堂の次男、道一(1845年~1913年)が鶯一の娘と結婚し、4世として雨華庵を再興しました。
明治期の新たな機運の中で道一の活躍は目覚ましく、一門の他の江戸琳派絵師ともども各種の博覧会等に次々と出品。のちに、皇室の御用も手掛けました。
本章では、抱一や其一の画風を基盤とした道一の明快な作風が、主に《白牡丹図》や《葛に女郎花図》をはじめとする草花図において顕著に認められることが理解できるでしょう。一方《蓬莱図》や《猪八戒図》には独自の造形意識も指摘されます。新時代における江戸琳派の旗手として幅広く充実した絵画制作を行った道一の魅力を、多様な道一作品の数々から浮かび上がらせます。

《白牡丹図》 酒井道一
道一は抱一の優麗な作風におおらかな独自性を加え、明治期の江戸琳派を牽引する役割を積極的に果たしました。
匂いたつような白牡丹と、滲みを利かせた黒い岩を取り合わせた本図から、雨華庵4世を掲げる道一の気概が伝わってきます。牡丹の構図は大輪の花を後ろ向きに捉えるなど抱一風ながら、岩の形には《蓬莱図》に通じる鷹揚さが見られ、淡雅で豊かな画風を前面に打ち出しています。
第4章 江戸琳派の末裔 5世抱祝による顕彰
大正期から戦後に至るまで、雨華庵5世を担ったのは酒井唯一こと抱祝(1878年~1956年)です。父・道一に倣い、代々受け継がれてきた江戸琳派様式の普及に努め、作例も少なくありません。
《十二ヶ月花鳥図屏風》には抱一の《十二ヶ月花鳥図》シリーズを彷彿とさせる月次の花鳥が、モチーフや構図と再現され、かつ大変簡素に描かれています。《高砂図》には「抱一5世」の署名があり、画系の継承と画風の顕彰に誇り高く臨んでいたことがうかがわれます。これらの抱祝作品は、新年や慶事の贈答品として、昭和初期まで江戸琳派の需要が高かったことを顕著に示すとともに、その終焉をも示唆しています。
18世紀末に抱一が琳派様式を描き始めて以来、150年以上にわたり続いた江戸の琳派様式。それを描き継いだ雨華庵ゆかりの絵師たちの活躍は、戦後の生活様式の変化とも相まって終息の時を迎えました。

《十二ヶ月花鳥図屏風》酒井抱祝
1年12ヶ月の各月に因んだ植物に、鳥や昆虫などを取り合わせた花鳥図が六曲一双屏風に貼られています。このような十二ヶ月花鳥図は、抱一が晩年の60歳代に数多く手掛けたことが知られています。その洒脱ながら華やかで季節感溢れる情景が共感を得たのか、抱一以降も江戸琳派の絵師たちは度々手掛けており、抱祝による本作は、現在知られるうちで最も新しい作品です。各月とも抱一作に祖型が認められる主題と構成で、抱一の画風をより簡潔なかたちで伝えています。
以上、京都・細見美術館にて開催中の琳派展 24「抱一に捧ぐ ―花ひらく〈雨華庵〉の絵師たち―」についてご紹介しました。抱一に憧れ、慕った絵師たちによる百数十年に及ぶ江戸琳派の軌跡とその魅力をぜひご堪能ください。
■琳派展 24「抱一に捧ぐ ―花ひらく〈雨華庵〉の絵師たち―」
開館時間 :10時ー17時
休館日 : 毎週月曜日(祝日の場合、翌火曜日)、年末年始(12月26日〜1月6日)
入館料 : 一般 1,800円 学生 1,300円
※学生の方は学生証をご提示ください。
※障がい者の方は、障がい者手帳などのご提示で100円引き
場所:細見美術館
京都市左京区岡崎最勝寺町6-3
Tel. 075-752-5555(代)

執筆者:遠藤友香
ストーリーを軸とした新しいXR体験を提供するクリエイティブカンパニーである株式会社CinemaLeapは、2024年12月1日(日)に大型XR(クロスリアリティー)エンタテインメント施設「IMMERSIVE JOURNEY(イマーシブジャーニー)」を、横浜駅直結の「アソビル」に開館しました。
2019年に設立されたCinemaLeapは、VR/AR/MR等の総称である、クロスリアリティ=XRの技術を使って映画制作を⾏う会社です。ヴェネチア国際映画祭XR部⾨に5年連続、カンヌ国際映画祭XR部⾨に2年連続でノミネートされるなど、世界的映画祭でXR映画のプロデュースを行っているほか、様々なパートナーとともにXRを駆使したプロジェクトを推進しています。日本初のXRに特化した国際映画祭「Beyond the Frame Festival」の開催や、XRクリエイターコミュニティ「Beyond the Frame Studio」の運営も行っています。

総務省の発表によれば、日本におけるXRコンテンツの利用状況は約7%であり、XRコンテンツの普及が進んでいない現状があります。CinemaLeapはその理由が、良質なXR作品に触れられる機会の少なさや、体験するハードルの高さといった構造的な課題にあると分析しています。今回誕生した「IMMERSIVE JOURNEY」では、日本初公開作品をはじめとする良質なXR作品を次々に公開できる体制を構築し、かつ複数名でのグループ体験も可能にしました。

来場者はヘッドマウントディスプレイを装着し、約1,000㎡の広大な空間をコントローラーなしに自分の足で自由自在に歩き回りながら、異世界を旅するかのような没入体験を味わえます。VRデバイスのカメラが壁や床に描かれているマーカーを認識するため、体験者同士が互いを認識できるようになっており、心ゆくまでXR作品に没入できます。

4名までのグループで体験することができ、5名以上の場合は2つのグループに分かれて同時に作品を楽しめます。最大同時体験人数は75名です。「みんなで」「行きたいときに」「次々と新しい作品を」楽しめるこの施設では、時代や場所の制約を超え、これまでにないスケール感でXRコンテンツを味わうことが可能です。体験時間はおよそ45分間。
第1弾作品は「Horizon of Khufu」。古代エジプトを舞台に、ピラミッドを雄大なスケールで体験できる

開館第1弾作品となるパリ発「Horizon of Khufu」は、4500年前の古代エジプトを舞台にしたクフ王とピラミッドにまつわる作品です。




©Excurio
時空の制約から解放された冒険者たちは、ピラミッドの頂上からギザ、カイロを望み、「太陽の船」でナイル川を航行、ピラミッド内を探検し、4500年前の古代エジプト人の神聖な儀式にたどり着きます。ハーバード大学教授が監修する緻密な歴史ガイドで、日本語訳は日本エジプト考古学の第一人者である吉村作治先生による監修となっています。

(左から)エジプト学者でストーリーガイド役を務めるモナ 猫の女神・バステト ©Excurio
これまで世界15都市以上で150万人を超える動員を記録するなど、世界中で人気を誇っている本作品は、今回が日本初上陸。作品内では声優のファイルーズあいさんがエジプト学者でストーリーのガイド役を務めるモナとして、沢城みゆきさんがピラミッド内に現れる猫の女神・バステト役として登場します。豪華声優陣と共に、古代エジプトへの壮大な冒険を是非お楽しみください。
先行体験者のうち約8割がXR体験に「とても満足」と回答。クラウドファンディングのリターンとして先行体験を提供

なお、2024年9月27日から10月31日の期間に実施したクラウドファンディングにおいて、リターンで先行体験チケットを選択した方に「Horizon of Khufu」を先行体験いただき、XR体験の評価について尋ねました。アンケートの結果、先行体験者のうち約8割が「とても満足」と回答していることがわかりました。
【先行体験者の声】
「XR体験が初めてだったのですが、とても没入感があり、楽しかったです。クフ王の棺に入るなど、通常では出来ないこともできて満喫させていただきました。思わず段差を跨いでしまったりと、凄く新鮮でした。ぜひともリピートしたいと思います!」(30代・女性)
「個人的にXRアトラクションを色々巡っていますが、これまでで最も体験時間が長く、それでいて疲れないものでした。素晴らしい。」(50代・男性)
最後に、CinemaLeapの代表取締役 大橋哲也氏のインタビューをお届けします。

株式会社CinemaLeap 代表取締役 大橋哲也氏
1.IMMERSIVE JOURNEYをオープンした狙いについて教えてください。
XRでの映画制作を5年程行っていますが、作品を届ける相手がどうしてもデバイスを持っている方に限られてきてしまうところが課題としてありました。それを海外で新しく出てきたフリーロームという技術を使って大型にして、自由に歩き回りながら体験できるようにしていくことで、同時に体験できる人数が飛躍的に上がった現状があります。かつ、これまでにないようなスケールの作品を作れるんだということを、実際に海外で体験したときに感じまして、それを自分たちでやっていこうと。それをやることによって、今までXRの映画コンテンツを作っても届けることができなかった人たちにも、魅力を体感してもらいたいと思い、今回施設をオープンすることにしました。
2.どういった年齢層をターゲットにしていますか?
老若男女問わず、下は8歳から上は90代の方までにすでにいらっしゃっていただいていて、車椅子でも体験できるところが喜ばれています。お客様の特徴としては、エジプトというテーマに関心がある方が中心です。美術館や博物館にいらっしゃる方は、特に女性の40代、50代、60代の方々が比較的多いのですが、親子でいらっしゃる方もいれば、お年寄りの方、また車椅子の方や杖を付きながらという方もいらっしゃいます。
「IMMERSIVE JOURNEY」を体験する前に自分のアバターを選ぶのですが、そのアバターで車椅子の形が選べまして、ぶつかったりしないような工夫がなされているので、安心してお楽しみいただけます。
3.開館第1弾作品は「Horizon of Khufu」ですが、今後展開していく作品はどのような視点でセレクトしていくのでしょうか?
エジプトのコンテンツに、例えば別の海外のコンテンツをさらに追加していくことができるんですね。なので、一つはそうやってエジプトのコンテンツに加えて、さらに海外の魅力的な作品を会場に来た方が自由に選べるようにしたいと思っています。
また、自分たちで日本の題材を使って、コンテンツを制作することも視野に入れています。例えば歴史、文化、観光、エンタメ、漫画、アニメなどと連携していくことは、すごく可能性があるんじゃないかなと思っていて、それができれば今後日本の色々な拠点でも展開して、楽しんでいただくことが可能だと考えています。あとは、コンテンツそのものを海外展開していくことも十分できるんじゃないかなと思っています。そのあたりを目標にして行っていきたいと考えています。
以上、横浜駅直結の「アソビル」に開館した大型XR(クロスリアリティー)エンタテインメント施設「IMMERSIVE JOURNEY」についてご紹介しました。この冬休み、お子さんを連れてご家族で楽しむのもおすすめです。ぜひ、古代エジプトの世界を体感してみてください。
また、今後日本のコンテンツ展開が行われれば、日本人が今まで知らなかった日本の良さを再発見できる機会にも繋がります。世界一素晴らしい国民性を持つ日本人として生まれた誇りを持って、日本の魅力についてもっと知っていきたいものです。
■「IMMERSIVE JOURNEY(イマーシブジャーニー)」
営業時間:平日:11:00~21:00 土日祝:10:00~22:00
チケット料金:
【一般チケット(3名様まで/税込)】
平日:4,000円/1名
土日祝:5,000円/1名
【グループチケット(4名様以上/税込)】
平日:3,800円/1名
土日祝:4,500円/1名
※団体(50名様以上)の場合は、お問い合わせください。
<体験概要>
体験時間:約45分 (ヘッドマウントディスプレイの着脱や説明等に別途15分程度)
体験可能人数:1名~4名 (5名以上の場合は2つのグループに分かれて体験可能です)
チケット購入方法:Immersive Journey公式ホームページ
※公式ホームページ右上の「チケット購入」欄から、チケット販売ページに遷移します。
会場:神奈川県横浜市西区高島2-14-9 アソビル3F ※横浜駅直結
※対象年齢8歳以上です。その他、注意事項を公式サイトでご確認の上、チケットをご購入ください。

ライカギャラリー東京での「MONACO Azur」の様子
執筆者:遠藤友香
写真家 瀧本幹也氏によるモナコの写真展「MONACO Azur」がライカギャラリー東京で、「MONACO Gracieux」がライカギャラリー京都にて、2025年3月9日(日)まで同時開催中です。

ライカギャラリー東京での「MONACO Azur」の様子

ライカギャラリー東京での「MONACO Azur」の様子
この写真展は、CM映像や広告写真をはじめ、映画作品の撮影を手掛け、国内外で作品発表や出版など多彩な活動を続ける瀧本氏がモナコに渡り、これまでのモナコの写真とは全く異なる、独自の視点で撮り下ろした写真を展示。モナコ政府観光会議局がこの写真展開催を後援し、日本の皆さまがこの写真展を通し、地球環境と伝統を守りながら、革新性を追求するモナコの新たな面に触れていただくことを期待しているといいます。

ライカギャラリー京都での「MONACO Gracieux」の様子

ライカギャラリー京都での「MONACO Gracieux」の様子
モナコは小さな面積の国ながら、優雅さと美しさを放っています。瀧本氏の写真は、過去から未来へと物語を紡ぎ、この美しい地球を守ることの大切さを静かに伝えています。モナコでの写真撮影について、瀧本氏は以下のように述べています。

ライカギャラリー京都での「MONACO Gracieux」の様子
「モナコは、自然の美と歴史、革新的な都市デザインが見事に調和した類まれな国です。実際に街を歩くと、その多面的な魅力に気づきます。歴史的建造物や先進的なデザインの街並みはモノクロデジタルで撮影し、紺碧の海や自然の美しさはカラーのフィルムで捉えました。このコントラストが、モナコの魅力をより一層引き立てています」。
最後に、キュレーターの太田菜穂子氏のステートメントをご紹介します。
モナコ その優雅、紺碧
小さいが故に、輝きを放つものがある。密やかゆえに、その優雅な仕草に心が奪われることがある。
人類が長い時間をかけて築き上げてきた社会をより良い方向へと導いてきた高貴な精神は今、限界知らずの人間の欲望の前に、消え去ろうとしている。
人間の魂のありようを表現するアートでさえ、最新テクノロジーが可能にした節操のない選択肢を前に、培ってきた美学や自制心を手放そうとしている。
ただ、そのような価値観の転換期において、選び抜かれた32枚の写真で綴られた、一つの国を永遠に語り継ぐ物語がここに生まれた。掌に収まる小型カメラだけが可能にする控えめな振る舞いが捉えたその時空間。
ここには、過去、現在、そしてこれからも流れるだろう“この国に約束された未来の時間”が写っている。
コート・ダジュールに面した世界で2番目に小さな国、モナコ。
瀧本幹也は祈りを込めて静かにシャッターを切った。
彼が描き出したその風景の連なりには、観る者にどのように世界と向き合い、どのようにこの美しい惑星を守るのかを無言で諭しているかのように感じるのは私だけだろうか?
■写真展 概要
<東京>
タイトル: 「MONACO Azur アジュール」
会期:2024年12月6日(金)―2025年3月9日(日)
11:00~19:00 月曜定休
会場:ライカギャラリー東京 (ライカ銀座店 2F)
ライカギャラリー東京 | ライカカメラジャパン - Leica Camera JP
東京都中央区銀座 6-4-1 2F
Tel. 03-6215-7070
展示作品数:17点
<京都>
タイトル:「MONACO Gracieux グラシュー」
会期:2024年12月7日(土) -2025年3月9日(日)
11:00~19:00 月曜定休
会場: ライカギャラリー京都 (ライカ京都店 2F)
ライカギャラリー京都 | ライカカメラジャパン - Leica Camera JP
京都府京都市東山区祇園町南側 570-120 2F
Tel. 075-532-0320
展示作品数:15点
©︎Tamaki Yoshida
執筆者:遠藤友香
世界屈指の文化都市・京都を舞台に開催される、日本でも数少ない国際的な写真祭である「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」。一千年の長きにわたって伝統を守りながら、その一方で先端文化の発信地でもあり続けてきた京都。その京都が最も美しいといわれる春に開催されます。
2024年は270,718人が来場され、これまでに約186万人の方に来場いただきました。「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025」は、2025年4月12日(土)から5月11日(日)まで開催予定です。メインプログラムには、世界10カ国から13組のアーティストが参加します。今年のテーマは「HUMANITY」。世界各地で社会課題が幾重にも山積みにされている現代において、いま私たちが対峙すべき命題です。
「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」は、本写真展について以下のように述べています。
「日本および海外の重要作品や貴重な写真コレクションを、趣のある歴史的建造物やモダンな近現代建築の空間に展開し、ときに伝統工芸職人や最先端テクノロジーとのコラボレーションも実現するなど、京都ならではの特徴のある写真祭を目指します。
2011年の東日本大震災を受け、日本と海外の情報交換の稀薄さを私たちは目の当たりにしました。それはおのずと双方の情報を対等に受信発信する、文化的プラットフォームの必要性への確信となりました。日本はカメラやプリントの技術において世界を先導しているにもかかわらず、表現媒体としての「写真」はまだまだ評価されていません。私たちはここに着目し、「写真」の可能性を見据えるべく国際的フェスティバルを立ち上げ、この世界が注目する伝統と革新の街「京都」で実現することを誓いました。
これまで多くの企業や団体、個人の皆様のみならず、市、府、国のご協力もいただきました。このフェスティバルの発展は皆様のご支援なくしてはありえません。国際的とはまだまだ言い難い日本と海外を対等に繋げるべく私たちは日々試行錯誤を重ねておりますが、同時に様々な出会いも生み出されています。私たちはそこから新しい価値が生まれてくることを信じ、このフェスティバルをさらに発展させるべく邁進します」。

(左より)KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭の共同創設者/共同ディレクター ルシール・レイボーズ氏、仲西祐介氏
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭の共同創設者/共同ディレクターであるルシール・レイボーズ氏と仲西祐介氏は、今回のテーマ「HUMANITY」について、次のようにステートメントを発表しています。
「私たちは個人として、世界の一員として、どう生きるのか。
人間性には、素質や経験などそのすべてがあらわれる。
変化し発展し続ける現代社会において、私たち人間はどう在るべきだろうか。
KYOTOGRAPHIE 2025のテーマ「HUMANITY」は、私たちの愛の力や共感力、危機を乗り越える力にまなざしを向けながら、日本と西洋という2つの異なる文化的視点を通じて人間の営みの複雑さを浮かび上がらせる。
関係性を大事にし、調和と相互依存を重んじる日本において、人間性とは、他者との関係性によって成り立ち、人間を自然界から切り離せないものとして捉えられる。一方、西洋では伝統的に個性や自由を尊重し、世界における人間の中心性を強調し、共通の善と普遍的な道徳原理を讃えている。
2025年のプログラムで展示する作品は、自らの経験が作品の中心になっていて、私たちの周囲を照らし出し感情を深く揺さぶる。それは一人ひとりの在り方をあらわにし、私たちが他者と出会い、思いやり、調和することができることを語っている。
写真の力を通じ、人間性とは何かをともに探し求めることが、他者への理解の一助となり、この混沌とした世界において自らがすべきことを共有するきっかけとなることを願う」。
また、2024年12月18日に行われたプレスカンファレンスの場でも、レイボーズ氏と仲西氏から、前述のステートメントと重複する部分はありますが、本写真展で展示する作品を選んだ意図が語られたので、以下ご紹介します。
「現在世界中で、2025年になろうとするのに未だ戦争が起きていたり、ロボットやAIに私達の生活が変えられていく中で、もう一度人間というのはどういったものかというのを考えるような年にしたいと思っています。
KYOTOGRAPHIEは、フランス人のルシール・レイボーズと日本人の仲西祐介で立ち上げ、スタッフも大変多国籍です。日本的な見方、それから西洋的な見方は違うと思うのですが、日本的な見方で人間性をみると、協調性だとか、人と人との繋がりを大切にしたりだとか、自然と人間を分けないで共存していく、そういった考え方の中で私達は生きています。一方、西洋的な考え方でみていくと、個人の自由や権利を主張しながら、人間中心的な世界を作っていくという考え方があると思うのですが、これら両方の視点で今回作品を選んでいます」。
次に、本写真祭に参加するアーティストを、厳選して6名ご紹介します。
1.プシュパマラ・N/京都文化博物館 別館

Bharat Bhiksha (after Calcutta Art Studio print circa 1878–80) , 2018 ©Pushpamala N
インドのバンガロールを拠点に、様々な分野で活動するアーティスト、プシュパマラ・N。彫刻家として活動を開始し、1990年代半ばから、様々な役柄に扮して示唆に富んだ物語を作り上げるフォト・パフォーマンスやステージド・フォトの創作を始めます。その作品は、女性像の構築や国民国家の枠組みといったテーマを主としています。

Motherland: The Festive Tableau, 2009 ©Pushpamala N
本写真祭では、近年テート・モダンに展示された《The Arrival of Vasco da Gama》を含む、3つの主要な作品シリーズを展示。この作品は、ヴェローゾ・サルガドによる1898年の絵画に基づいており、プシュパマラはインドへの新航路を発見した最初のヨーロッパ人とされるポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマに自ら扮しています。この発見で、ヨーロッパの植民地主義がアジア諸国へ広がっていくきっかけとなったとされています。また、母なるインドの歴史的表象について探求した継続的なプロジェクト《Mother India Project》も展示されます。これらの作品を通じて、プシュパマラの身体が政治的な意義を帯び、皮肉とユーモアを交えながら、記録資料、大衆文化、民俗学、考古学、碑文学、優生学の探求を通して、歴史上の様々なインドの人物像を再現します。
2.JR/京都駅ビル北側通路壁画・京都新聞ビル地下1階

The Chronicles of New York City, Domino Park, USA, 2020 ©JR
フランス出身のアーティスト、JR。道ゆく人に自分自身の認識と対峙するような問いを投げかける記念碑的なパブリック・アート・プロジェクトを発表しています。パリ郊外に住むステレオタイプの若者の在り方に異議を唱えた最初の大規模プロジェクト《時代の肖像》(2004-06年)を制作後、国際的に活動を開始しました。パレスチナとイスラエルの分離壁のそれぞれの側に暮らす人々のポートレート(2007年)、ケニアの巨大スラム街キベラの電車の車両に出現する女性の目(2009年)、アメリカとメキシコの国境のフェンスから覗く巨大な幼児(2017年)など、実物を超えるサイズのインスタレーションは、人々の日常の物語を拡張し、対話を促しています。

The Chronicles of San Francisco, Lightbox, USA, 2018 ©JR
2024年秋、JRと彼のチームは京都の様々な場所で移動式のスタジオを構え、道ゆく人に声をかけポートレートを撮影しました。ポートレートはコラージュされ、京都における人々の関係性や多様性を垣間見ることのできる、リアリティ溢れる写真壁画シリーズ《JR 京都 クロニクル 2024》に結実し、本写真祭にて発表されます。
3.マーティン・パー

Chichén Itzá, Mexico, 2002 ©Martin Parr/Magnum Photos
1952年、イギリスのサリー州エプソン生まれのマーティン・パー。1994年よりマグナム・フォトに所属しています。もっとも個性的といえる視覚芸術のアーティストのひとりであり、写真家、映像作家、コレクターとして一時代を築いています。ヴィヴィッドな色と難解な構図で知られるパーは、日本、アメリカ、ヨーロッパ、そして母国イギリスなど、世界各地の文化の特性を研究し、1985年以降は中国にも足繫く通っています。レジャー、消費、コミュニケーションといったテーマを辛辣な皮肉とともに長年探求しています。

The Matterhorn, Alps, 1990 ©Martin Parr/Magnum Photos
パーは2014年に財団を設立し、イギリスとアイルランドをテーマに作品を制作している新進気鋭の写真家や、これまで注目される機会がなかった写真家を支援しています。
KYOTOGRAPHIE 2025ではマスツーリズムをテーマに、長年世界中で撮影してきたユーモアたっぷりの作品に加え、開催直後に京都で撮影される新作を同時に発表します。
4.石川真生/誉田屋源兵衛 竹院の間

©Mao Ishikawa
1953年、沖縄県大宜味村生まれの石川真生。沖縄を拠点に制作活動を続け、沖縄をめぐる人物を中心に、人々に密着した作品を制作しています。2011年、『FENCES, OKINAWA』でさがみはら写真賞を、2019年には日本写真協会賞作家賞を受賞。国内外で広く写真を発表し、沖縄県立博物館・美術館のほか、東京都写真美術館、福岡アジア美術館、横浜美術館、ヒューストン美術館(アメリカ)、メトロポリタン美術館(アメリカ)などパブリックコレクションも多数。2024年に令和5年度芸術選奨文部科学大臣賞(2024)、第43回土門拳賞を受賞しました。

©Mao Ishikawa
本写真祭では、1970年代後半に当時米軍兵の中でも差別されてきた黒人兵だけが集まるバーで働きながら、男女の恋愛模様や当時の沖縄をシャッターに収めた最初期の作品《赤花》と、自身が愛してやまない人々を沖縄の離島で撮影している現在進行中の最新作をあわせて発表します。
5.アダム・ルハナ/八竹庵(旧川崎家住宅)

©Adam Rouhana
1991年アメリカ・マサチューセッツ州ボストン生まれで、エルサレムとロンドンを拠点に活動するパレスチナ系アメリカ人のアーティスト兼写真家であるアダム・ルハナ。オックスフォード大学で修士号を取得。彼の作品は『ニューヨーク・タイムズ』『Aperture』『Dazed』などに掲載されています。
ルハナの作品は、彼の主観的なレンズを通して、パレスチナが持つあらゆるコンテクストの中にあるオリエンタリズムを脱構築しています。アメリカで育った西洋人として、アラブ人として、そしてカメラを構えるパレスチナ人としての自分の立場を問うています。

©Adam Rouhana
ルハナの作品は、過去のテーマを内包しながら新たな物語を語ることで、パレスチナの同時代的な立ち位置を創出し、能動的な自己決定の倫理を体現するパレスチナの人々の生活を表現として昇華しています。ルハナは多くの場合、祖母が営む果樹園の風景や、パレスチナで過ごした幼少時の記憶にある家庭の暮らしからインスピレーションを受け、作品を制作しています。
6.吉田多麻希

©︎Tamaki Yoshida
コマーシャルフォトグラファーとして多くの企業で活動する傍ら、常々感じていた自然と人との関係の不平等さを見つめ直すべく、2018年よりプロジェクトをスタートした吉田多麻希。どこか他人事になりがちな大きな問題からではなく、より身近な視点から人と自然や生き物の関係を問いかけるのが吉田のスタイル。
現在は、生活排水による環境問題や、近年頻発している人と野生動物の事故などをテーマにしたプロジェクトに取り組んでいます。これらのプロジェクトにおいて吉田は、生き物の悲劇的な側面に焦点を当てるのではなく、人間の思考方法や無意識の行動に固執することに疑問を投げかけ、人と生き物の新たなバランスを模索することを目指しています。

©︎Tamaki Yoshida
2024年、KYOTOGRAPHIEインターナショナルポートフォリオレビューの参加者より受賞者が選ばれる「Ruinart Japan Awarad 2024」を受賞。本写真祭では、同年の秋にフランスを訪れ、ルイナールのアーティスト・レジデンシー・プログラムに参加して制作した作品を発表します。
以上、2025年4月12日に開幕する「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025」についてご紹介しました。「HUMANITY」をテーマに掲げる本写真祭を訪れ、世界各地で社会課題が幾重にも山積みにされている現代において必要とされる、愛、共感、危機を乗り越える力について熟考してみてください。
■KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025
会期 : 2025年4月12日(土)〜5月11日(日)
主催 :一般社団法人KYOTOGRAPHIE
チケット:一般パスポート 6000円(前売り5500円)、学生パスポート 3000円(前売りも同額)
入場無料会場もあり
■参加アーティスト Artists
プシュパマラ・N Pushpamala N.
JR
マーティン・パー Martin Parr
グラシエラ・イトゥルビデ Graciela Iturbide
石川真生 Mao Ishikawa
甲斐啓二郎 Keijiro Kai
■予定会場 Venues
京都文化博物館 別館
京都新聞ビル地下1階(印刷工場跡)
京都駅ビル北側通路壁面
京都市美術館 別館
両足院
誉田屋源兵衛 竹院の間
くろちく万歳ビル
ASPHODEL
八竹庵(旧川崎家住宅)
ギャラリー素形
DELTA/ KYOTOGRAPHIE Permanent Space 出町桝形商店街
嶋臺(しまだい)ギャラリー
※出展作家、会場名など全てのプログラム内容は、2024年12月12日現在のもので、予告なく変更になる可能性があります。
執筆者:遠藤友香
今や世界中で「公害の原点」「環境汚染の象徴」と考えられている「水俣病」。水俣病とは、1956年5月に公式に発見された、熊本県八代海沿岸及び新潟県阿賀野川流域において発生した公害病のひとつです。高度経済成長にあった日本において発生し、第二水俣病、四日市喘息、イタイイタイ病と並んで、日本における4大公害病のひとつに数えられています。
水俣病は、メチル水銀が工場排水に混じることで環境中に排泄され、これらを多く取り込んだ魚や貝を人間が摂取したことで起こりました。しかし、水俣病の原因がメチル水銀だとわかり、環境に配慮した対策が講じられたのは1968年になってからのこと。長年放置された結果、数多くの方々が水俣病に罹患する事態となりました。
水俣病の症状として、手足がジンジンしびれたり、痛みや熱などを感じにくくなることが挙げられます。運動障害としては、真っすぐに歩けない、日常動作がぎこちなくなるなどがあります。また、言葉が不明瞭になったり、相手の言葉が聞こえにくくなったりします。視野が狭くなることも特徴的な症状のひとつです。重篤な場合には、亡くなる方も出る極めて重い病気です。
この度、この水俣病事件についての展覧会「水俣・京都展」が、2024年12月22日(日)まで、京都の東山・岡崎エリアにある京都市勧業館「みやこめっせ」にて開催中です。1996年の東京開催以来、26都市で16万人の入場者を集めてきた本展は、近畿地方では18年ぶり、京都では初開催となります。
認定NPO法人「水俣フォーラム」は、本展に際し、以下の言葉を寄せています。
「加害企業のチッソの技術力は、世界の化学工場界の中でもトップクラスにありました。その生産過程で副生された原因物質のメチル水銀は、自然界にはまず存在しないものであり、わずか耳かき半分ほどで人を死に至らしめる猛毒でした。水俣湾をつつむ不知火海は、沿岸漁民の主食ともいうべき魚介類の宝庫でしたが、ここに注ぎ込まれたその総量が一億国民を二回殺してもなお余りあるほどに至るまで、チッソの生産活動は続けられました。
原因をそれと知りながら隠蔽を続けたのはひとりチッソに限りません。近代民主国家を標榜するわが国行政は、同じ工程をもつ他企業への問題の波及、化学工業界への打撃、ひいては工業化政策全体への遅延を恐れて加害企業を庇護しました。新潟水俣病の発生は、いわば必然だったのです。
その後も行政は、患者補償金支払いの継続確保という名目で、チッソへの格別の融資を続行する一方、医学界の権威を動員して病像を狭く限定することによって、万を数える被害民の苦痛を否定し続けてきました。
地球環境保全が声高に叫ばれる現在に至ってようやく成立した未認定患者の救済策をみても、この構造に本質的な変化があったとはいえません。これらの事実から、企業、国家、科学、ひいては現代社会全般のありようを再検討しなければならないことに気付きます。
しかし、水俣病の発生原因それ自体であるチッソの生産活動およびこれに類する経済活動・技術開発によって、現在の化学工業の成長と日本の経済的発展、「便利で豊かな生活」がもたらされたのは否定しようもない事実です。そしてそれはこの国だけのことではありません。世界中が、数えきれないほどの「水俣病」を生み出しながら近代工業化、産業の高度化を競っています。こと水俣病から目を転じても、この「近代科学技術による工業生産を基盤とした民主主義国家システム」がもたらす多くの矛盾や危機の具体例は、枚挙にいとまがありません。しかし、それを乗り越えるための具体的な方法については、誰ひとり解答をもっていないという状況の下、社会の病状は静かに悪化しています。最大多数の最大幸福の追求が、少数派への苛烈な抑圧を生み出すのみならず、結果として多くの現代人の内に、人としての存在の希薄化と関係性の腐蝕をもたらし始めています。
二十一世紀、日本。いま私たちは、このような時代の中で生きているのです。思い起こせば、壮絶な病苦と疎外、それゆえの貧困の極みにありながら、果敢に声を上げていった方々の優しさと巨きさ(おおきさ)によって、私たちは支えられ援けられて(たすけられて)きたのではなかったでしょうか。そうした方々の言葉にあらためて耳を傾け水俣病を問い直すことは、私たちがこれから先、どのように生きていくかを考える上で少なからぬ果実をもたらすことでしょう」。
次に、本展をみていきましょう。
1.幼い少女を「奇病」が襲った
潮が軒下にヒタヒタと寄せてくる水俣の海辺に、舟大工の田中さん一家は住んでいました。6人の子どもに恵まれ、ことに5番目で5歳の静子、末っ子の3歳になる実子が可愛いさかりでした。ふたり仲良く貝をとったり、浜で遊ぶ毎日でした。
1956年4月12日、前日まで元気だった静子の様子が急変、目がトロンとして口も聞けなくなってしまいました。驚いた両親が医者に連れて行きましたが、病名もわからず、静子は泣くばかり。この町一番のチッソ付属病院に入院しました。
4月29日、今度は実子が姉におんぶされて入院してきました。あんなにおしゃまだった実子が、座ることも食べることもしゃべることもできなくなってしまいました。母親と姉は途方に暮れて、病室で泣きました。父親は医者代の工面に走りまわりました。家財道具が減り、借金がかさんでいきました。
こうして田中さん一家は、伝染病を疑う周囲の偏見や差別の中、看病に明け暮れる辛い毎日を過ごすように。やがて静子と実子は、近づく人もいない白浜の避難院に移され、さらに8月の終わりには熊本大学付属病院に学用患者として転院。そして静子は夜中も泣き止まぬまま、次第に衰え、ついに1959年1月2日、急性肺炎で息を引き取りました。8歳と1カ月でした。
実子の命は取り留めましたが、一人では食べることもできず口も聞けず、おそらく両親の死もわからないまま、今も姉のもとで暮らしています。
2.水俣病・原点から|桑原史成
報道写真家・桑原史成氏は、水俣病に関して、以下のコメントを述べています。
「1960年の夏、撮影のために初めて水俣の地を訪れた。水俣病の原因が、チッソ水俣工場の廃液であることはいうまでもないが、不運は漁民の側にもあったように思えてならない。朝に魚、昼に魚、晩に魚。水俣湾内の魚介類は、いわば漁民の主食であった。貧しいゆえに魚を獲り、貧しいゆえに魚を食べる。この生活の構造と企業の犯罪行為が複合して水俣病が発生した。そして弱者のみが業病に苦しまなければならなかった。毒魚を食べずして患者にさせられた胎児も四十路を迎えた。すでに金銭的な補償は軽症患者まで含めてひとまずの決着を見たと言えるかもしれない。だが患者と家族にとっては終生許せることなどできない、あまりに苛酷な事件なのである。
3.智子は胎内で水銀に侵された<胎児性水俣病>
「智子は“宝子”です。この子が私の胎内で水銀を全部すいとってくれたから、残りの6人の子どもがみんな元気にスクスク育っているのです。ただこの子ばかりにかかりきりになって、他の6人の子にかまってやれないのが辛いです。他の子どもが病気になっても、つい智子に比べればハシカやカゼぐらいだと思ってしまうんです」と母親の上村良子さんは語りました。
当時の医学の常識では、毒物は胎盤から胎児へ侵入しないと考えられていました。しかし智子は生後3日目、手足が小刻みに震え、その後全身がけいれんするように。以来21年間、歩くこともしゃべることもできませんでした。智子から生涯自由を奪ったのは、メチル水銀でした。
4.いつかは治ると信じていたが<慢性水俣病>
岩本広喜さんが暮らす女島は、水俣から10km程離れた風光明媚な漁村です。水俣病は縁のないことと思ってきた彼らにも、水銀は忍び寄っていました。じわじわと現れる多様な症状に苦しみながらも、いつかは治ると信じて誇りを持って生きてきました。
「水俣病ということを口にすればするほど、魚が安くなって生活ができないという漁協幹部の立場もあるし、補償金欲しさと見られるのも我慢できなかった」と語る岩本さんは、やがて組合員の水俣病認定申請を促進する決議を行い、患者運動に身を投じました。両親も妻も認定患者。岩本さんの症状は、脱力、指の感覚麻痺、足のけいれん、言語障害、腰痛、目が見えにくいなどがあります。
5.原因は分かっていた
水俣病発生報告の1年後には、魚が原因であると証明されました。しかし、販売禁止にはなりませんでした。さらにその2年後には、チッソのアセトアルデヒド排水に含まれる水銀が魚を汚染していることが、妨害を乗り越えて突き止められました。しかし、操業中止にはなりませんでした。その2年後、アセトアルデヒド製造設備からの有機水銀排出が証明され、原因は明確に。しかし世間は見向きもしませんでした。一方で患者の発生は続いていましたが、名乗り出る者はいません。なぜなのでしょうか。誰がそうさせたのでしょうか。
「奇病よりも経営が大事」 吉岡喜一社長
吉岡氏が社長に就任した1958年は、チッソの業績が悪化し、経営再建に力を注いだ年でもありました。チッソは、稼ぎ頭であったオクタノールの増産によって、この危機を乗り切ろうとし、アセトアルデヒドの急激な増産を行いました。のちに業務上過失傷害致死罪で起訴された吉岡氏は、「私は当時、水俣奇病の問題よりも経営の建て直しに邁進しておりました」と答えています。
6.科学者たちは原因をあいまいにした
熊本大学の有機水銀説は、原因究明の地道な努力の末に辿り着いた正しい結論でした。しかし、中央の学者から多くの反論が出されました。その多くは真実を隠し、原因の確定を引き延ばすための工作でした。企業の犯罪に加担した科学者たちは裁かれることもなく、今日でもこの国では同じことが繰り返されています。
7.国はチッソを守った
1955年以降の日本経済は世界的な好況にも恵まれ、1955年から1961年までの工業生産は年平均22%、輸出は年平均46%の伸びを示しました。1960年「10年間で農民の6割を減らし、所得を倍増する」という言葉を掲げて池田勇人首相が登場しました。政府は重化学工業を中心とする大企業を援助し、沿岸漁業などの第一次産業は顧みられませんでした。日本の経済成長を支えるためチッソは、オクタノールの増産に邁進していきました。この時代、便利で豊かな生活を生み出すために工場の排水が止められることはありませんでした。
8.排水を止める法律は存在した
水質保全法 1959年3月1日施行
第5条 経済企画庁長官は、公共用水域のうち、当該水域の水質の汚濁が原因となって関係産業に相当の損害が生じ、若しくは公衆衛生上看過し難い影響が生じているもの又はそれらのおそれがあるものを、水域を限って、指定水域として指定する。
工業排水規制法 1959年3月1日施行
第12条 主務大臣は、工場排水等の水質が当該指定水域に係る水質基準に適合しないと認めるときは、その工場排水等を指定水域に排出する者に対し、期限を定めて、汚水等の処理の方法の改善、特例施設の使用の一時停止その他必要な措置をとることを命ずることができる。
食品衛生法も熊本県漁業調整規則もあった
1957年、熊本県は食品衛生法に基づいて水俣湾の漁獲禁止をしようとしたものの、厚生省から「水俣湾産の魚介類すべてが有毒化しているとは言えない」と回答され、その適用を見送りました。また、熊本県漁業調整規則は「何人も水産動植物の繁殖保護に有害なものを遺棄し、又は漏洩するおそれのあるものを放置してはならず」「これに違反する者があるときは、知事はその除害に必要な設備の設置を命じることができる」と定めていましたが、熊本県はこれも適用しませんでした。
9.新潟水俣病
阿賀野川は、猪苗代湖や尾瀬を水源とし新潟平野で日本海に注ぐ国内第2位の水量を誇る大河です。流域の人々はこの水を田にひき、舟で行き来し、コイ、ウグイ、サケなど豊かなタンパク源を手にしてきました。そこには川とともにある暮らしがありました。この阿賀野川の上流、福島県との境も近い鹿瀬町にアセトアルデヒド工場ができたのは1936年のこと。以来1965年まで30年間、有機水銀が流され続けました。
10.政府はようやく水俣病を公害と認めた
新潟水俣病の発生とチッソのアセトアルデヒド工程停止により、ようやく1968年9月26日、園田厚生大臣は「水俣病はチッソの廃水が原因の公害病」と政府見解を発表しました。水俣病公式発見から12年後のことでした。政府の意図に反して、患者たちは償いを求める行動を始めました。
11.チッソの社長が詫びた
政府見解を受けて、1968年9月28日、29日、チッソの江頭豊社長は、幹部をひきつれて患者宅を詫びてまわりました。多くの患者家族は首をうなだれて深いおじぎを返しました。しかし、中には積年の恨み、つらみの一端を涙ながらに口にし始めた者も。「待っとりましたばい、15年間! 仏様が。そもそも、あんた供は……」。全国を揺るがした激しい闘いの始まりでした。
12.1969年6月14日、提訴
「今日ただいまより、私たちは国家権力に立ち向かうことになったのでございます」。
見舞金契約によって沈黙を強いられてきた患者家族は、政府見解発表を機に新たな補償をチッソに要求しました。低額補償をもくろむチッソと国による、第三者機関への白紙委任要求に従うかどうかで患者互助会は分裂し、29世帯がチッソを相手に裁判を起こしました。
13.「おるが心、わかるか!」
ー1970年11月28日 チッソ株主総会
患者は白装束の巡礼姿に身を固め、大阪のチッソ株主総会に乗り込みました。水俣病で亡くなった人々への黙祷がなされ、患者の歌う御詠歌が流れました。そして患者たちの長年の怨みが爆発しました。
「よう分かっとりますか! あんたも人の親でしょう。両親(オヤ)ですよ。両親(オヤ)! 金では命は買えない!」浜元フミヨさんは父と母の位牌(いはい)を江頭社長に突き付けて、むしゃぶりつくようにして叫びました。
14.「社長! 同じ苦しみを味わおう!」
ー自主交渉の闘い
「ご勘弁を」と繰り返す島田賢一社長に、川本輝夫さんはカミソリを手に血書を迫ります。「わしどま、伊達や酔狂で東京に来とっとじゃなか。水俣のテントにゃ年寄りたちが待っとっとですよ。老いの身をながらえてその苦しみがわかりますか!」
15.判決を手にチッソ本社へ
1973年3月20日、原告患者はチッソの過失責任を認め、見舞金契約を無効とする勝訴判決を手にしました。原告の訴訟派と自主交渉派の患者は合体して東京交渉団となり、チッソ本社での直接交渉に臨みました。交渉は難航を極めましたが、チッソ島田社長に、人間として向き合い、患者の苦しみを受け止めることを求める魂の表現の場でした。そしてまた、判決内容を大きく超える補償内容を勝ち取る場ともなりました。
坂本トキノさんは「私は3年間、手も当てられない、崩れて泣き病んだ娘を預かってきたんですよ、この手で。夜も夜中も、親娘二人が泣いて……。そんなことが分かりますか、あんた方には……。だからあの娘がもらったお金で、あんたの子どもを買いますから。ねえ、そんで水銀飲ましてグダグダになして、あんたに看病させますから。してみなさい、そうすっと私たちの気持ちが分かるから……。体全身膿が出てね、腐れて……」と、怒りを露わにしました。
16.「仕事ばよこせ!」
胎児性患者として、一括りにされてきた彼らも40代を迎え、様々な課題を抱えています。就職先がなく働けない。友達が欲しい。恋人が欲しい。健康や生命への危機感から逃れられない。障碍者や水俣病患者として、偏見に晒されている。経済的には生きていけるけれど、身体の衰えや両親の高齢化など悩みは続きます。
17.誰も海を守れなかった
水俣湾内で捕獲された汚染魚は、ミンチにされドラム缶に詰められ、浚渫(しゅんせつ)された水銀ヘドロとともに埋められました。ヘドロ処理工事の安全性への不安から、地域住民による「工事差止め訴訟」も起こされましたが結局敗訴し、485億円と10年の歳月をかけて、水銀ヘドロの海は58ヘクタールの平地となりました。生き物の宝庫と言われた水俣の海が甦る日は来るのでしょうか。
■「水俣・京都展」
会期:2024年12月7日(土)~12月22日(日)
時間:午前9時30分~午後5時
※火曜・木曜は6時、最終日は3時まで、初日は10時から
会場:京都市勧業館みやこめっせ
[展示] 地下1階 第1展示場
[ホールプログラム] 地下1階 大会議室
京都市左京区岡崎成勝寺町9番地-1
Tel.075-762-2630
チケット:一般=当日1,700円、10枚つづり券10,000円、フリーパス10,000円
30歳以下=当日1,000円、10枚つづり券5,000円、フリーパス5,000円
・入場は閉場の30分前までです。
・ホールプログラムは未使用の展示入場券プラス500円が必要です。
・入場券1枚で展示会場に1名1回入場できます。
・小学校4年生以下および障害者の介護者は無料です。
・乳幼児を伴う入場も可能ですが、他の方の鑑賞を妨げる場合はご退場いただきます。
・高校生・中学生・小学生の団体(20名以上または1クラス以上)は、事前申し込みに限り展示鑑賞は無料となります。
・20名以上の団体の展示会場入場料は前売料金となります。
・フリーパス(お名前、顔写真入り)をお持ちの方は、会期中、展示、ホールプログラムとも何度でもお入りいただけます。

執筆者:遠藤友香
岡山芸術交流実行委員会は、岡山市中心部の岡山城・岡山後楽園周辺エリアで開催する、街歩きしながら最先端の現代アートなどに出会える3年に1度の国際現代美術展「岡山芸術交流2025」(会期:2025年9月26日(金)~2025年11月24日(月)、計52日間)の鑑賞料を無料とすることを決定しました。

アーティスティック・ディレクター フィリップ・パレーノ氏 Photo ©Ola Rindal
これは、誰もが街歩きとともに楽しめる、より開かれた展覧会を目指していたところ、アーティスティック・ディレクターのフィリップ・パレーノ氏から「屋外の都市空間を多く活用し、岡山の街自体が作品になる」という構想(ステイトメント)が示されたことによるもの。第3回目までとは発想の転換を行い、今まで無料だった屋外展示に揃えて、原則有料だった屋内展示も含め、より多くの人が鑑賞・参加できるように、すべての会場で鑑賞料を無料とするとのことです。
なお、2016年から3年ごとに開催している岡山芸術交流において(過去3回開催)で鑑賞料を無料とするのは、今回「岡山芸術交流2025」が初めてとなります。
このような試みを通じ、「地域の人々を含む、より多く幅広い人々にこの地域に根付いた国際現代美術展に参加してもらうこと」「これからのAI共存時代を担う多くの子どもに、世界的な現代アート作品などを生で体験する貴重な機会を提供すること」といった、岡山芸術交流2025が重点的に取り組むビジョンを形にしていくそうです。
■「岡山芸術交流2025」
会期:2025年9月26日(金) ~11月24日(月)
アーティスティック・ディレクター:フィリップ・パレーノ氏
タイトル:The Parks of Aomame / 青豆の公園

執筆者:遠藤友香
マルチメディアアーティストのスプツニ子!氏による個展「Can I Believe in a Fortunate Tomorrow? ー幸せな明日を信じてもよい?ー」が、2025年1月25日(土)までKOTARO NUKAGA(天王洲)にて開催中です。
本展に関して、スプツニ子!氏は以下のステイトメントを発表しています。

マルチメディア・アーティストおよび映像作家 スプツニ子!氏
「2000年代から2010年代にかけて、インターネットやソーシャルメディアの発展によって思い描かれたユートピア。しかし、2020年代になると、そのユートピアは瞬く間に、誤情報の拡散、不平等の深刻化、そしてそれらに伴う社会の分断といった冷厳な現実へと姿を変えました。この目に見える分断や漠然とした不安は、私の心に重くのしかかっています。
11月上旬に実施されたアメリカ大統領選挙は、こうした分断の現状を鮮明に反映しており、私たちは、テクノロジーがもたらすはずだった『幸せ』や『希望』が今どこにあるのか、再考する必要に迫られています。
効率性や利便性は、本当に私たちの幸せに繋がっているのか? テクノロジーは、私たちを解放するのか、それとも新たな束縛となるのか? 私たちは、まだ未来を信じることができるのか?
本展を通じて、こうした問いを皆さんとともに考えていければと思います」。
オーストリア・リンツ市を拠点に、40年にわたり「先端テクノロジーがもたらす新しい創造性と社会の未来像」を提案し続けている、世界的なクリエイティブ機関「アルスエレクトロニカ」への2009年の参加以降、メディアアート、テクノロジーの世界を駆け抜けてきたアーティストであるスプツニ子!氏による本展は、未発表の新作を含む3シリーズの作品で構成されています。
1.《Drone in Search for a Four-Leaf Clover》

《Drone in Search for a Four-Leaf Clover》
昨年金沢21世紀美術館で開催された「DXP(デジタル・トランスフォーメーション・プラネット)―次のインターフェースへ」展で展示され、現在イギリスの著名なデジタルアート・アワードのひとつであるThe Lumen Prize(ルーメン・プライズ)にもノミネートされている国際的にも高評価を得ている作品です。

《Drone in Search for a Four-Leaf Clover》
群生するクローバーの上をドローンがゆっくりと飛行する映像をAIが解析し、「幸せの象徴」とされてきた四つ葉のクローバーをいとも簡単に見つけ出すという映像作品ですが、テクノロジーによって大量に発見できるようになった四つ葉のクローバーは、果たしてわたしたちを幸せにしてくれるのでしょうか?
テクノロジーは、かつては人の目で地を這うようにして探すしかなかった四つ葉のクローバーを簡単かつ効率的に発見することを可能にします。その精度とスピードは驚くべきものではありますが、その「進歩」には違和感を覚える部分もあるのではないでしょうか。じっくりと向き合いたい作品です。
2.《Can I Believe in a Fortunate Tomorrow?》

《Can I Believe in a Fortunate Tomorrow?》
「彩雲」、つまり太陽近くの雲が虹のように七色を帯びて見える現象を、AIによってシミュレートした映像作品です。
雲の中の水や氷の粒で光が屈折・散乱することで雲が七色に輝く「彩雲」は、古来「吉兆」と信じられてきました。本作では、流れる雲の映像をAIに画像解析させ、虹色の輝きを合成することで「彩雲」がシミュレートされています。
映し出される映像は「彩雲」そのもので、見る人を本物の彩雲同様に幸せにする一方、映像自体はといえば、AIによるシミュレーション、つまりある種のフェイク映像とも言える存在であり、本作には、テクノロジーが示す未来の両義性が暗示されています。

《Can I Believe in a Fortunate Tomorrow?》
本展は、入口を入ってすぐ、この「彩雲」の作品から始まっており、テクノロジーがもたらす脅威の中にも幸福を見出したいというスプツニ子!氏の想いが読み取れます。
3.《Tech Bro Debates Humanity》

《Tech Bro Debates Humanity》
ふたつのモニターに、さまざまな人類の課題について議論をしつづける2人の男性が映し出されます。この2人は、アーティストであるスプツニ子!氏の容姿や声音を生成AIモデルによって「白人男性」化し、さらにイーロン・マスク氏やピーター・ティール氏などのいわゆる「Tech Bro」的思考を憑依させたアバター(コミュニケーションを行う分身・キャラクター)です。2人の議論の内容も、全てAIによって生成されています。
議論は「AIと労働と幸せの未来」、「データ、AI、ポピュリズム、そして民主主義の未来」、「人類はなぜ宇宙進出すべきか?」といった3つで構成されています。
最後に、スプツニ子!氏のインタビューをご紹介します。

「本展は2024年11月2日(土)にオープンしたのですが、それはちょうどアメリカ大統領選挙の3日前だったんですね。今個展をするならどんな個展にしたらいいのかを考えたときに、自分の心の中にあるちょっとしたざわつきのようなものやモヤモヤしている感情を、1回具体的に自分の中で作品として掘り起こしてみようと思いました。
アンザイエティ(不安)に感じている部分は一体何なんだろう思っていて、私自身テクノロジーは自分とすごく近い存在で、例えば大学時代はコンピュータサイエンス、数学を勉強していて、元々プログラムエンジニアで、2003年から2006年に大学に通っていたんです。自分はテクノロジーにとても夢を抱いていて、テクノロジーがユートピアを作るぐらいに思っていたんです。当時、インターネットの始まりという時期で、テクノロジーのおかげで私は解放されるっていう気持ちになりましたし、テクノロジーのおかげで世界中のたくさんの面白い人と繋がって、人々はより多様な人を知ることでもっと聡明になり、世界は平和になり、というような希望を抱いていたし、何だったら、そのテクノロジーが権力構造を解体するものになるんじゃないかと思ったんですね。
2000年代から2010年の始まりくらいまで、シリコンバレーといったテクノロジーの世界って、すごくパンクだったりちょっとリベラルな空気が特徴的だったんです。オープンで、プログレッシブ(進歩的、革新的)で、ダイバーシティを推進するようなカルチャーというのが結構特徴的だったんです。ただ、そのときにすごく夢を見たようなテクノロジーのユートピアが、いざ2024年になった今、全く自分が希望を得られた方と違う顛末が起きているっていう感覚があるんです。
ただ、私は性格上、絶望は好きじゃないというか、希望を持ち続けないといけないと思っているんです。たとえどんなにひどい状況にあっても。だから、私は本展のタイトルを「I can believe in a Fortunate Tomorrow.」にはせず、問いかけの「Can I Believe in a Fortunate Tomorrow?」にして、ちょっと希望を残すということにしました。絶望的な状況ってたくさんありますが、皆さんその中から変化を起こしていくと思うんです」。
■スプツニ子!(Sputniko!)氏 プロフィール
東京生まれ。東京を拠点に活動。 インペリアル・カレッジ・ロンドン卒業。ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(英国王立芸術学院)修了。
バイオテクノロジー、ジェンダー・パフォーマンス、異なる生体間のコミュニケーションといった幅広いテーマを取り扱うマルチメディア・アーティストおよび映像作家。科学やテクノロジーを駆使して現代社会における社会的価値観を掘り下げ、鑑賞者に向けて次々に登場する新しいテクノロジーの文化的、社会的、倫理的影響について問いを投げかけている。2013年から2017年までマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教として Design Fiction Group を主宰。現在は、東京藝術大学准教授を務めている。
作品はこれまでに、ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク/アメリカ)、ポンピドゥー・センター・メス(メス/フランス)、ヴィクトリア&アルバート博物館 (ロンドン) 、クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館(ニューヨーク/アメリカ)、森美術館等にて展示。また、ヴィクトリア&アルバート博物館(ロンドン/イギリス)、金沢21世紀美術館、M+(香港)に収蔵されている。
■「Can I Believe in a Fortunate Tomorrow? ー幸せな明日を信じてもよい?ー」
会期:2024年11月2日(土)-2025年1月25日(土)
開廊時間:11:00 - 18:00 (火-土) ※日月祝休廊
会場: KOTARO NUKAGA(天王洲)
東京都品川区東品川1-32-8 TERRADA Art Complex II 1F
画像提供:国立新美術館


国立新美術館
執筆者:遠藤友香
芸術を介した相互理解と共生の視点に立った新しい文化の創造に寄与することを使命に、2007年に独立行政法人国立美術館に属する5番目の施設として開館した「国立新美術館」。以来、コレクションを持たない代わりに、人々がさまざまな芸術表現を体験し、学び、多様な価値観を認め合うことができるアートセンターとして活動しています。具体的には、国内最大級の展示スペース(14,000㎡)を生かした多彩な展覧会の開催や、美術に関する情報や資料の収集・公開・提供、さまざまな教育普及プログラムの実施に取り組んでいます。
「森の中の美術館」をコンセプトに、建築家・黒川紀章氏によって設計された国立新美術館。建物の南側は、波のようにうねるガラスカーテンウォールが美しい曲線を描き、円錐形の正面入口とともに個性的な外観を創り出しています。免震装置による地震・安全対策、雨水の再利用による省資源対策、床吹出し空調システム等の省エネ対策、ユニバーサルデザインへの対応、地下鉄乃木坂駅直結の連絡通路など、さまざまな機能性を追求した設計となっています。

この度、国立新美術館は、2025年3月19日に開幕となる展覧会「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」の開催費用の一部を募ることを目的に、クラウドファンディングサービス「READYFOR」にて、2024年11月18日(月)から2025年1月31日(金)まで1,000万円を目標に支援を募っています。
国立新美術館は、まもなく開館から18年となり、年間200万人を超える来館者が美術に触れる機会を提供しています。特に、最大8mの天井高と約2,000㎡の広さをもつ企画展示室、その中を自在に仕切ることのできる可動式の壁が本美術館の大きな特徴で、この空間を活かし、ジャンルにとらわれず、その時代の視点を反映させた「国立新美術館ならでは」の展覧会を開催しています。 新しい表現を試みた作品や若手のアーティストを紹介する企画、テーマ性をもって多彩な作品で構成する総覧的な企画など、収益性だけにとらわれず、「本当に届ける意義がある展覧会」を信念をもって企画しています。
このような企画展の多くは、基本の予算に加え展覧会ごとに資金を獲得して実現しています。美術との出会いや新しい体験を楽しんでいただける展示を実現するために、予算確保に加え、コストを抑えながらも妥協することなく関係者一丸となって取り組んでいるとのこと。しかし、それでも資金の調達が難航する展覧会があり、 さらに、昨今の海外輸送費や資材・物価の高騰なども追い打ちとなり、国立新美術館として届けたい展示を形にするためには絶対的に資金が足りないケースも増えているといいます。

そこで今回、2025年3月19日(水)より開催する展覧会「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」の開催費用の一部を集めるため、新たな資金調達手段としてクラウドファンディングを実施することを決めました。本展は本美術館としても非常に大規模な展覧会です。特にルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969年)の未完のプロジェクト「ロー・ハウス」を原寸大で実現する展示は国立新美術館だからこそ企画できる大きな見どころのひとつであり、多くの方に楽しんでもらえるよう、無料で観覧可能なエリアに設置することにしたそうです。本プロジェクトでご支援いただいた資金は、こちらの展示制作の費用に充てる予定となっています。
今回クラウドファンディングを実施する展覧会「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」は、20世紀にはじまった住宅をめぐる革新的な試みを、衛生、素材、窓、キッチン、調度、メディア、ランドスケープという、モダン・ハウスを特徴づける7つの観点から再考するもの。特に力を入れて紹介する傑作14邸を中心に、20世紀の住まいの実験を、写真や図面、スケッチ、模型、家具、テキスタイル、食器、雑誌やグラフィックなどを通じて多角的に検証します。
1920年代以降、ル・コルビュジエ(1887–1965年)やルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1886–1969年)といった多くの建築家が、時代とともに普及した新たな技術を用いて、機能的で快適な住まいを探求しました。その実験的なヴィジョンと革新的なアイデアは、やがて日常へと波及し、人々の暮らしを大きく変えていきました。
今から100年ほど前、実験的な試みとして始まった住まいのモダニティは、人々の日常へと浸透し、今なお、かたちを変えて息づいています。本展覧会は、今日の私たちの暮らしそのものを見つめ直す機会にもなるでしょう。
国立新美術館は、個人向けのメンバーシップ制度を持たず、来館者とのつながりを持つ機会も限られていました。今回のクラウドファンディングプロジェクトは、資金面だけでなく、本美術館の活動を応援してくださるさまざまな方と繋がり、ファンを増やしていくことも大きな目的のひとつです。
コロナ禍以降、さらに展覧会や作品の鑑賞環境改善について考えることや、多種多様な表現とその発表の場が求められる昨今において、入場者数を増やすこと、また観覧料のみに収入を頼ることが難しいのは、日本中の博物館、美術館が直面する課題です。「これからの美術館経営のあり方を考えていく中で、ひとつの収入の柱として国立新美術館を応援してくださる皆さまからのご寄付の可能性を模索したい、そのために今回のプロジェクトは大きな契機になる、という思いを持っています」と国立新美術館は考えています。

国立新美術館 総務課長 河北百合氏
この度、国立新美術館初の試みであるクラウドファンディングに関して、国立新美術館 総務課長 河北百合氏にお話を伺いました。
「国立新美術館が今回クラウドファンディングに挑戦をするきっかけとして、実は展覧会にかかる経費がコロナ禍を経て、ウクライナ情勢やパレスチナ問題、その他光熱費の高騰など、美術館だけの問題ではない社会的な情勢の関係でコストが著しく上がってきていることがあります。
コロナ後の展覧会ですと、大体コストが1.5倍から2倍くらい跳ね上がってきているのが現状です。国立新美術館は、幅広い表現を取り扱う展覧会を国民の皆様にお届けすることを使命にしており、国内のみならず海外のものもご覧いただきたいと思うと、どうしても海外輸送の問題が生じてきます。
コストダウンをしながらでも、クオリティを変えずにお届けできる方法が何かないかということを、今非常に頑張っているところです。小さくまとめることも一つあるのかなとは思うのですが、やはり国立新美術館の展示室が非常に大きな空間で、そこでしかできない、あの空間展示の内容や表現ならではのお届けがありますので、そこの良さを活かして小さくまとまらないことも、私達が頑張らないといけないところなのではないかと。
今回、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエの未完のプロジェクト「ロー・ハウス」を、16.4メートル四方の大きな建物なのですが、展示室の中で構築できるというのは、多分国立新美術館ならではだと思いますので、こちらは無料で鑑賞していただきたいと思っています。2階の関連展示の施工費関係など、大部分は美術館の予算だったり、外部資金を調達しながら何とか用意ができたのですが、あともう少し足りないというところもありまして、そこをクラウドファンディングでお願いしたいと考えた次第です。
実は、もっと先に私達の想いがありまして、国立新美術館は通常の美術館と違ってコレクションを持たないという性質を持った美術館です。通常であれば、例えばここの美術館の所有しているこの作品が好きだからとか、この美術館がコレクションしている時代だとか、収集に至る背景、ストーリーが好きだからということでファンになっていただくことが多いと思うのですが、私たちはそういった魅せ方ができないことがあり、国立新美術館を好きになっていただける方とどう結びついていくのがいいのか、長年課題にしていたのです。
普通の美術館であれば、友の会や個人会員制度のようなものがあって、美術館の運営趣旨や方針に共感していただいた個人会員の皆様に運営を支えていただくということがあると思うのですが、国立新美術館はコレクションがないので、そういったファンの方たちとどう繋がっていくのか、そもそも国立新美術館は魅力があるのかといったことも館内で色々議論してきました。その中で、他の美術館とは違った国立新美術館ならではの魅力があるのではないかとも考えました。

美術館というと敷居が高いイメージがあると思いますが、国立新美術館はエントランスから自由に入っていただき、カフェやレストラン、ショップを自由にお使いいただけます。雨の日は濡れないように通り抜けて使っていただくこともあるんですね。よく館内を見てみると、近くのオフィスワーカーの方たちがちょっと息抜きにカフェでくつろいでいらっしゃったりとか、打ち合わせにお見えになったりとか、美術館の展覧会のために来るというよりは、何かこの空間が好きで、ちょっとした気分転換だったり、日常からの延長も含めて美術館に来るというような方も一定数いらっしゃって、コレクションや展覧会観覧に限らず、そういった国立新美術館で過ごす時間や空間そのものを楽しんでくださる方々とも繋がることができるのではないかと考えるようになりました。
今回、国立新美術館らしい展覧会を続けていくためにクラウドファンディングを実施しているのですが、建築が好きな方が応援していただくということもあるとは思うのですが、国立新美術館の展示が好き、国立新美術館そのものが好きといった方と繋がるとためにもクラウドファンディングがいいのではないかと考え、今回挑戦してみようと考えた次第です」と述べました。
以上、時代を映す、挑戦的でダイナミックな展示をつづけるため、国立新美術館初のチャレンジとなるクラウドファンディングについてご紹介しました。ぜひ、国立新美術館のファンの皆様からの温かい支援をお待ちしております。
■クラウドファンディングプロジェクト「国立新美術館|時代を映す、挑戦的でダイナミックな展示をこれからも」
国立新美術館|時代を映す、挑戦的でダイナミックな展示をこれからも(国立新美術館 2024/11/18 公開) - クラウドファンディング READYFOR
・目標金額:1,000万円
・募集期間:2024年11月18日(月)~2025年1月31日(金)23時(全75日間)
・資金使途:2025 年春開催の展覧会「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s–1970s」の開催費用の一部(ミース・ファン・デル・ローエの未完のプロジェクト「ロー・ハウス」を原寸大で実現するための展示制作費〈観覧無料エリアに設置予定〉)
・形式:寄付金控除型 / All in形式
※All-in形式は目標金額の達成の有無に関わらず、集まった支援金を受け取ることができる形式です。
・返礼品:5,000円〜1,000,000円まで計22コース
5,000円〜1,000,000円まで、計22コースをご用意。クラウドファンディングでしか手に入らない、大判トートバッグ、リユースタンブラー、ロゴ入り筆記セット、オリジナルグッズや、【特別体験プログラム】国立新美術館学芸課長が語る「展覧会ができるまで」、【特別体験プログラム】休館日の国立新美術館で建築探検など、充実のラインナップとなっています。
国立新美術館|時代を映す、挑戦的でダイナミックな展示をこれからも(国立新美術館 2024/11/18 公開) - クラウドファンディング READYFOR
■「リビング・モダニティ 住まいの実験 1920s‒1970s」
開催期間:2025年3月19日(水)~6月30日(月)
会場:国立新美術館 企画展示室1E、2E
東京都港区六本木7-22-2
主催:国立新美術館、東京新聞、独立行政法人日本芸術文化振興会、文化庁

宮城県・多賀城市にある「多賀城」は神亀元年(724年)に創建され、令和6年(2024年)に創建1300年を迎えます。この記念すべき年を東北全体でお祝いするため、多賀城創建1300年記念イベントが、令和6年11月23日(土)、24日(日)、30日(土)、12月1日(日)、7日(土)、8日(日)に開催されました。


イベントとしては、3Dホログラム技術で多賀城正殿が現代に甦る「多賀城政庁跡正殿3Dホログラム復元イベント」をはじめ、多賀城創建1300年記念オリジナルクラフトビール「いやしけよごと」や多賀城市内外の特産品を使用したフードなどが楽しめる「BARブース」の出店、2日間限定で宮城県内の人気グルメが集結する「グルメブース」の出店、そして最終日のフィナーレには多賀城市出身ヴァイオリニスト「郷古廉氏のソロコンサート」が行われました。光・音・食の「吉事(よごと)」で「夜事(よごと:ナイトコンテンツ)」を存分に楽しめるイベントで、大盛況のうちに幕を閉じました。
次に、3Dホログラム復元イベントと、ヴァイオリニスト 郷古廉氏によるソロコンサートについてみていきましょう。
1.多賀城政庁跡正殿 3Dホログラム復元イベント・南大路ライトアップ

多賀城政庁正殿跡を会場に、1300年の時を経て、現代のデジタル技術によって「多賀城」が甦りました。日本を代表するデジタルクリエイター達が集結し、3Dホログラムと音楽によって、多賀城が再現される特別な夜となりました。時代を越えた奇跡の夜を体感するため、小さなお子さん連れの方々を含む、大勢の来場者が訪れました。

また、会場には「光のブランコ」が設置され、お子さんたちに好評を博しました。
2.多賀城市出身ヴァイオリニスト 郷古廉(ごうこすなお)氏 ソロコンサート

多賀城跡 城前官衙 特設ステージでは、NHK交響楽団第1コンサートマスターを務め、現在国内外で最も注目されている若手ヴァイオリニストのひとりである郷古廉氏によるソロコンサートが開催されました。本演奏会のために、県内在住の作曲家である吉川和夫氏が書き下ろした「無伴奏ヴァイオリンのための『レゲンデ(伝説曲)』」など2曲が披露され、観客を魅了し、会場を感動で包み込みました。

(左から)宮城県副知事 小林徳光氏、ヴァイオリニスト 郷古廉氏

(左から)多賀城市長 深谷晃祐氏、ヴァイオリニスト 郷古廉氏

(左から)宮城県経済商工観光部長 梶村和秀氏、ヴァイオリニスト 郷古廉氏、作曲家 吉川和夫氏
演奏を終えた後、郷古氏は「生まれ育った故郷で、しかも記念すべき年にこういった舞台で演奏できたことはすごく光栄でしたし、とても嬉しかったです。普段こういった野外で演奏することはあまりないので、どういう感じになるのかなと思っていました。
演奏する曲について色々考えたのですが、バイオリンだけの曲ってそんなに多いわけではないので、この場にふさわしい曲を考えたら、やはり音楽の父とも言われるバッハの曲を演奏したいと思ったのと、せっかくこういった1300年という記念の年ですから、何か新しい曲をこのために作曲していただいて、それをここで初演したいという気持ちがありました。
吉川先生は、僕が昔、音楽理論や作曲を学んでいた先生で、宮城県と非常に繋がりのある作曲家の方なので、ぜひ曲を書いてくださいと僕がお願いをしました。曲も素晴らしかったですし、本当に今日の機会にぴったりの曲だなといういうふうに思いました。
特に、先生の口からこの曲の意図や作品の意味を直接聞いたわけではないですが、演奏していると非常に古(いにしえ)のときから現代への時間の流れだったりとか、これから未来に向けての希望だったり、そういったものが感じられるし、非常に素晴らしい作品だなと思います」と語りました。
以上、多賀城創建1300年記念イベントについてご紹介しました。これからも新たな歴史を刻んでいく多賀城に、ぜひ注目してみてください。

万物の法則を可視化した神聖幾何学「フラワーオブライフ」。創ること、動くことで導かれる立体構造の知られざるエネルギーの法則を理解できる、アーティストtocchi氏による展覧会「ミスマルノタマ - 神聖幾何学 Flower of Life -」が、2025年1月26日(日)まで東京都渋谷区神宮前にある「GYRE GALLERY」にて開催中です。
tocchi氏は、幼い頃からこの世のすべては茶番だと気づいていたといいます。管理社会の罠にはまることなく育ち、10代の頃から「真理とは何か」という探求を開始。26歳の時に実家が火事になり、近くの神社を訪れ、狛犬が手まりを踏んでいるのを見た瞬間、それまでダウンロードされていた情報の断片が一気に繋がったとのこと。
そして、東日本大震災を機に、神聖幾何学の立体構造を形に現わし、万物の法則を構造で証明しました。それは人類が何千年も気づくことのできなかったものであり、精神世界と科学が統合された次元の話です。唯一無二の理なので、物理学や量子力学など、あらゆる分野の角度から説明することができるそう。
tocchi氏は「人生をかけて遊んでいたら、誰もカタチにできなかったものをカタチにしちゃった。さらに、日々おもしろく実験しながら『神聖幾何学 フラワーオブライフを生きるとはどういうことか』を自らの生き様として体現し続けています」と述べています。
次に、本展覧会についてみていきましょう。

「神聖幾何学は言葉より前から存在しており、言葉で表現することは不可能である」と言われています。言うならば、神聖幾何学(フラワーオブライフ)とは万物の法則です。宇宙や地球から私たちの身体や魂まで、目に見えるものも見えないものも同じ構造で成り立っています。「外」(現れ)はすべて異なりますが、「中」(構造・法則)はすべて同じで元はひとつです。これまでは意識を「外」に向ける流れがあり、私たちは「中」の仕組みを忘れてしまっていました。すべては中心から始まるのです。本来は「中」から「外」ができあがっていくという順番ですが、外側の目に見えるものをすべてと思いこみ、内側の目に見えないエネルギーの法則はないものになってしまいました。

では、世界中にシンボルとして残るフラワーオブライフの「中」の構造はどうなっているのでしょうか。プラトン立体と呼ばれる5つの正多面体、正四面体(火)・正八面体(風)・正六面体(土)・正二十面体(水)・正十二面体(電気)。プラトンは「正多面体は宇宙の森羅万象を支える根源的な力」 と言いましたが、一般的にそれらの立体は別々のものと考えられていました。しかし実は、これらすべての立体がひとつになって成り立っているのがフラワーオブライフだったのです。

綿棒を紡いで神聖幾何学の立体を作ることで、その「中」の構造・エネルギーの法則がインストールされます。作り続けることで、自らの「中」の構造との共鳴が始まり、内なる中心が回り出します。すると「外」の世界でもおもしろいことが次々と現れ、フラワーオブライフの構造そのものに、自分が内側から変わっていき、本来の状態に戻っていくのです。これは、私たち一人ひとりの蘇りの話です。綿棒とボンドさえあれば誰でも挑戦でき、綿棒を繋げて神聖幾何学の立体をつくることで、目に見えないエネルギーの法則自体を自らが形成し不可視を可視化することができます。「新しい時代が始まるからこそ、究極のデジタルの世界から、究極のアナログに向かっていきたい」と、tocchi氏は考えています。

フラワーオブライフとはミスマルノタマで、隠されてきたものが再び世に出てくる時代のこと。また、神聖幾何学という立体世界でもあります。それは、超数学、超科学だからこそ超精神世界なのです。音でもあり、色でもあり、波動そのものでもあります。

今回の個展のテーマは「自分という扉の向うに」。自分たちがこれから知っていく世界、その道しるべ、己の奥へ向かっていくことを体感できるよう、会場には、万物の法則性そのものを現わした立体作品が展示されています。「外(現れ)」だけではなく「中(構造・法則)」を現わしたアートの数々の世界感に触れることで、神聖な気持ちを抱くことでしょう。言葉では表現できないからこそ、来て、観て、感じとってみてください。
tocchi氏は、2024年12月6日(金)に開催されたギャラリーツアーの中で、「ここにあるスマホは1台ですが、パーツは計り知れないんですよね。皆さんが1だと認識しているのもは、実は1ではない。そこに気づいていかないと、本当の意味で数字を知ることができないんです。
数秘術という言葉を聞いたことがあると思うのですが、本当の数秘術は立体の中に隠されているので、今社会に出ている世界の話は表層の話になります。
これから本当の世界を知っていくというか、またそれを開いていかないと時代は大きく変わらないんです。結局、僕たちが見ているこの世界って現れの世界ですよ。つまり、見えない世界から現象化した世界なので、その現れを変えようとしても実際変わらないんですね。根本が変わらない限り。だから、真ん中から変えていくというか、そこに非常に重要な役割を持っているこの企画の意味があるのです」と語りました。
以上、万物の法則を可視化した神聖幾何学「フラワーオブライフ」について理解できる展覧会「ミスマルノタマ - 神聖幾何学 Flower of Life -」をご紹介しました。まるで、神社仏閣を訪れたような、神聖な気持ちに導いてくれる本展に、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
■「ミスマルノタマ - 神聖幾何学 Flower of Life -」
会期:2024年12月7日(土)~ 2025年1月26日(日)
※休館日:12月31日(火)、1月1日(水)、1月2日(木)のみ13:00~19:00 まで
時間:11:00‐20:00
会場:GYRE GALLERY | 東京都渋谷区神宮前 5 10 1 GYRE 3F
お問い合わせ:Tel. 0570‐05‐6990 ナビダイヤル(11:00~18:00)