執筆者:遠藤友香
KYOTOGRAPHIEコンシェルジュによる総合・周辺観光案内所「インフォメーション町家 八竹庵(旧川崎家住宅)」では、レンタサイクルの貸し出しも。
世界屈指の文化芸術都市・京都を舞台に開催される、日本では数少ない国際的な写真祭「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」。国内外の気鋭の写真家による作品が、2024年5月12日まで、趣のある歴史的建造物や近現代建築といった、京都ならではのロケーションを舞台に展開されています。
12年目を迎えた「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2024」のテーマは「Source」。生命、コミュニティ、先住民族、 格差社会、地球温暖化など、 10カ国・13アーティストの多様な視点による12プログラムを開催中です。
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭の共同創設者・共同代表であるディレクターのルシール・レイボーズと仲西祐介は、今回のテーマについて、以下のように語っています。
「源は初めであり、始まりであり、すべてのものの起源である。 それは生命の創造であり、衝突が起きたり自由を手に入れたりする場所であり、何かが発見され、生み出され、創造される空間である。 人生の分岐点にかかわらず、私たちは岐路に立っており、原点に戻るか、 新しいことを始めるかの間で揺れ動いている。 生命、愛、痛みのシンフォニーが響き渡るのは、この神聖な空間からなのだ。 その源で、無数の機会が手招きし、何か深い新しいものを約束してくれる。 2024年、KYOTOGRAPHIE は12の会場で13の展覧会を展開し、 SOURCE を探求し、オルタナティブな未来を望む」
(左から)仲西祐介、ルシール・レイボーズ
この度、ルシール・レイボーズと仲西祐介に、芸術各分野において毎年優れた業績をあげた者、又はその業績によってそれぞれの部門に新生面を開いた者を選奨する「令和5年度(第74回)芸術選奨文部科学大臣賞」が贈られました。
贈賞理由として、東日本大震災後に東京から京都に居を移し、わずか2年で「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭」を創設。国内外から多数の写真家を招聘し、10年の間に世界有数の写真祭に育て上げたことが挙げられています。2023年には、音楽フェスティバル「KYOTOPHONIE」も開催。二人との関わりが深いフランス、アフリカ諸国、ブラジルなどの表現者を日本に紹介したことは、特に意義深いとのこと。活動拠点を京都市内の出町桝形(ますがた)商店街に置き、地元コミュニティーとの交流も積極的に行っています。
では、早速「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2024」のおすすめ作品をみていきましょう。
1.ジェームス・モリソン《子どもたちの眠る場所》/京都芸術センター
京都芸術センターが校舎を跡地活用する明倫小学校は、全国に先駆けて誕生した学区制小学校「番組小学校」のひとつで、1869年(明治2年)に開校しました。現在の建物は1931年(昭和6年)に改築された戦前の小学校建築の特徴をそのまま残し、1993年(平成5年)に閉校したのち、2008年(平成20年)に国の登録有形文化財に登録されています。
2000年(平成12年)4月、京都市、芸術家、その他芸術に関する活動を行う人々が連携し、京都市における芸術の総合的な振興を目指して、京都芸術センターが開設されました。
そんな京都芸術センターでは、ジェームス・モリソンによる《子どもたちの眠る場所》が展開されています。ジェームス・モリソンは今から20年近く前、子供の権利に関わるアイデアを考えるよう依頼され、自分の幼少期のベッドルームについて思考を巡らせました。
子供時代にベッドルームがどれほど重要であったか、そしてその寝室が自分の持ち物や、自分という人間をどのように映し出していたか。そこで、子供たちに影響を及ぼしている複雑な状況や社会的課題について思考する方法として、様々な境遇の子供たちの寝室に目を向けるのはどうかと思い至ったといいます。
最初から、発展途上国の「恵まれない子供たち」のことだけを取り上げるのではなく、もっと包括的な、あらゆる境遇の子供たちのことを取り上げたいと考えていたといいます。
例えば、エバレット(4歳)は一人っ子。アメリカ・ミシガン州リボニアの一軒家に両親と住んでいます。ここは住民間の結びつきが強いコミュニティで、彼にはたくさんの友達がいます。この地域はもともと、デトロイトから移り住もうとする自動車産業労働者のために開発されました。リボニアは長年、白人以外の住民を歓迎せず、アメリカで最も白人の多い街のひとつとして知られていました。エバレットの母親を含む何人かの住民は、最近この地区の差別的な過去を糾弾し、多様性を促進する声明を発表しました。
エバレットの両親は、骨董品、美術品、バーボン、時計など、様々な品を収集するコレクターです。エバレットは、大好きなスーパーヒーローのスパイダーマンのおもちゃを何百個もコレクションしています。アメリカのスーパーマーケット「ターゲット」で売られているスパイダーマンのおもちゃを片っ端から買った後、ヴィンテージのフィギュアを集め始めました。エバレットは、スパイダーマンが宿敵ヴェノムと戦う夢を見ました。大人になったら、マーベルでスーパーヒーローを作る仕事をするか、消防士になるのが夢です。
シンタロウ(13歳)は、横浜で父親と妹と暮らしています。彼の母親は1年前、米農家である高齢の父親宅へ物を届ける途中に、交通事故で亡くなりました。その遺灰は、子供たちが母の存在を感じ続けられるように、家に置かれています。
シンタロウは週3回サッカーをし、身長を伸ばすために毎晩10時間は寝るようにしています。昨年、父親と妹は6週間のオーストラリア旅行に出掛けましたが、シンタロウはサッカーの練習を休みたくないと断りました。家に誰もいない寂しさはありましたが、自分で食事を用意し、学校にも行くことができました。最近ではアルゼンチンで5週間のトレーニング合宿に参加し、寮で他の少年たちと寝泊りしましたが、寂しさを感じることはありませんでした。彼の夢は世界一のサッカー選手になることです。
ライアン(13歳)は普段はアメリカのペンシルベニア州で両親と2人の姉妹と暮らしていますが、今は11歳から16歳までの肥満児が通う学校の寮で暮らしています。9歳のときに見つかった脳腫瘍が原因で、「プラダ―・ウィリ症候群」という食欲が旺盛になる遺伝性疾患を患っています。このためライアンの体重は大幅に増えましたが、この学校に通い始めてから9キロの減量に成功しました。友達とまた野球ができるように、できるだけ体重を減らしたいというのが彼の願いです。
この学校では、スープ、果物、野菜などの低カロリー食品が無制限に提供されるとともに、ヘルシー仕様のピザやパスタが用意されるため、ライアンは食事の時間に気を揉むことが少なくなってきました。というのも、家にいたときのように常にお腹が空いているということがないからです。全生徒は一日一万歩歩かなければなりません。ライアンは、自分を病気から救ってくれた医療関係者に感謝して、大きくなったら医者になりたいと考えています。
ハムディ(13歳)は、ヨルダン川西岸のベツレヘム校外にあるパレスチナ難民キャンプで、両親と5人の兄弟とともにアパートに住んでいます。彼らの家には、居間、キッチン、寝室が3つあります。このキャンプはもともと、1948年に国連が設置した一時的なものでした。それから60年以上経った今、当時の3倍の数の住民が暮らしています。超過密状態です。
ハムディは男子校に通っており、十分に勉強して学位を取り、自分よりも良い機会を得ることを父親は望んでいます。ハムディはベツレヘムの路上で暴力を受けた経験があります。16歳の異母兄はイスラエル占領に反対するデモの最中に兵士に殺され、ハムディは9歳のとき、戦車に乗ったイスラエル兵に立ち向かったために足を撃たれました。彼の負傷は、さらなる抵抗を思いとどまらせるものではありませんでした。
2.クラウディア・アンドゥハル《ダビ・コぺナワとヤマノミ族のアーティスト》/京都文化博物別館
20世紀に入ると、三条通には洋風の建物が次々と建てられました。旧日本銀行京都支店、現京都府京都文化博物館別館はその代表でしょう。赤レンガに白い花崗岩のストライプという華やかな意匠で、すぐさま界隈のランドマークとなりました。設計者は日本の近代建築の先駆者である辰野金吾と、その弟子の長野宇平治。レンガ造りの建物は、19世紀イギリスのクイーン・アン様式をもとに辰野がアレンジした「辰野式」で、当時の最先端でした。
本展は、ブラジル人アーティストで活動家のクラウディア・アンドゥハルと、ブラジルの先住民ヤマノミとのコラボレーションを発表する日本初の展覧会です。ヤマノミはアマゾン最大の先住民グループのひとつであり、ベネズエラからブラジルにまたがる地域で暮らしています。
クラウディア・アンドゥハルは1931年にスイスでユダヤ教徒の父と、カトリック教徒の母の間に生まれ、ルーマニアのトランシルヴァニア地方で育ちました。ナチスドイツ政権とその同盟国および協力者による、ヨーロッパのユダヤ人約600万人に対する国ぐるみの組織的な迫害および虐殺「ホロコースト」を生き抜いたアンドゥハルは、1946年にニューヨークに渡ります。その9年後にはブラジル・サンパウロに移り住み、その地で写真家としてのキャリアをスタートさせました。
アンドゥハルが写真家として特に強い関心を寄せたのは、社会的弱者のコミュニティでした。1971年、アンドゥハルはブラジル北部のヤマノミの居住地域を初めて訪れます。この出会いが、アンドゥハルのライフワークの出発点となりました。彼女にとって、アートはヤマノミの人々のための意識啓蒙や政治的活動のツールとなったのです。
本展覧会の後半では、《ヤマノミ・ジェノサイド:ブラジルの死》と題した映像と音声によるインスタレーション作品が展示されています。この作品は、非先住民社会による侵略がヤマノミ居住地域にもたらした脅威を告発。特に、ブラジルの軍事独裁政権(1964ー1985年)が推進したアマゾン占領政策によって、ヤマノミの置かれた状況はさらに悪化しました。
居住地域への侵入や違法行為がヤマノミにもたらす問題は、決して新しい問題ではありません。こうした問題は、ヤマノミだけでなく、ブラジル国内外の数多くの先住民を苦しめています。
アマゾンにおける破壊的行為や地球規模の気候変動危機がニュースでも大々的に取り上げられるようになった今、本展は世界各地の先住民の人々への理解や、その主権の拡大のためにアートが担う役割を示すものでもあります。本展は、ただの美術展にとどまらず、ヤマノミの人々の存在を可視化し、新たな脅威から守り続けるための基盤となるものです。
3.ヴィヴィアン・サッセン《発行体:アート&ファッション 1990‐2023》/京都新聞ビル地下1階
御所の南西にある京都新聞ビル。その地下には、2015年まで印刷工場がありました。地下1階から2階まで高さ10m弱、約1,000㎡に及ぶ空間で、輪転機が稼働していました。ここにいると、いまだにインキの香りがふと鼻をかすめます。印刷工場だった時代は、まだ過去にはなっていません。様々な用途に使われるスペースとして、再び命が吹き込まれたかのようにも見えます。
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭では、ヴィヴィアン・サッセンの日本初となる大規模個展を開催中です。本展は2020年から続くMEP(ヨーロッパ写真美術館 フランス・パリ)とのパートナーシップの一環であり、2023年にMEPで開催されたヴィヴィアン・サッセンの回顧展の巡回となります。
本展では、多様性溢れる十数のシリーズ作品を展示するとともに、過去作、未発表作品、ビデオインスタレーションなど、200点以上の作品を通じて、ヴィヴィアン・サッセンの30年にわたる創作活動の足跡を辿ります。キュレーターのクロチルド・モレットは、「表層と深層、静謐さと力強さという両極で揺れ動きながらも、そのあわいにある本質を浮かび上がらせることで、サッセンがいかに作品を繊密に作り上げていくかについて迫る」と述べています。
ヴィヴィアン・サッセン(1972年生まれ、アムステルダム在住)は、ファッションデザインを学んだ後、オランダのユトレヒト芸術大学で写真に取り組みました。1992年に卒業してからは、アーティストおよびファッションフォトグラファーとして写真に専心します。そうしてアートとファッションという異なる2つの領域を横断することで、作品における鮮やかな色彩、仕掛け、フレーミング、被写体へのアプローチにおいても異彩を放ち、唯一無二で多彩な視覚表現を生み出しています。
子供の頃にアフリカで育ったバックグラウンドや、文学や美術史も、ヴィヴィアン・サッセンにインスピレーションを授けています。またシュルレアリスムの遊び心、曖昧さ、神秘性にも通じるものを見出し、作品にもその影響が見受けられます。死、セクシャリティ、欲望、他者ーそのすべての関わりが、写真や映像、ペインティング、コラージュを組み合わせる作品群を構成するモチーフへと昇華されています。
4.ティエリー・アルドゥアン《種子は語る》/二条城 二の丸御殿 台所・御清所
二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府を開闢(かいびゃく)した徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として築城しました。1867年(慶応3年)には、15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明したことでも知られています。徳川家の栄枯盛衰を見届け、日本の歴史の転換点の舞台でもあった二条城は、1994年に世界遺産となり、2017年には年間で国内外から約244万人が入城するなど、今日では日本でも有数の観光名所になっています。
本展は、写真家のティエリー・アルドゥアンとグザヴィエ・バラルおよびフランスの出版社「Atelier EXB」との長年のコラボレーションの一環として開催されています。ティエリー・アルドゥアンは、世界各国の500種以上の種子の写真を撮影。撮影された種子の大半が、フランス・パリの国立自然史博物館の所蔵品です。撮影にはオリンパスが開発した実体顕微鏡を使用し、被写体となる種子の選定やライティングには細心の注意を払っています。その結果、捉えられたイメージは意外性溢れる形態と美しさを提示しています。
ティエリー・アルドゥアンは本展のために、京都の農家が代々受け継ぎ栽培している「京野菜」の種子の撮影も行いました。種子の物語は、原始農業から現代のハイブリッドな種子に至るまで、果てしない多様性に満ちた世界における生命の生存戦略に改めて光を当てます。
キュレーターのナタリー・シャピュイは、種子について以下のように述べています。「種子は神秘的な存在です。種子を観察することは生命の歴史を紐解くことであり、人類誕生以前の自然界を再考・再認識することでもあります。
地球の気候が大きく変動した第三紀には、植物は新たな生息域を開拓し、適応していくことを迫られました。様々な試練を乗り越えるために必要なエネルギーを蓄えた貯蔵庫付きの小さなカプセル、すなわち種子は、多彩な移動戦略を編み出しました。カラフルな色彩で鳥を惹きつけるもの、翼を生やしたもの、防水性の外皮をまとって波に乗り流されるもの、風に飛ばされるもの、植物の毛皮にくっつくためのフックを備えたもの……何千年もの時間の中で、種子の旅は地球上に植物の豊かな多様性を生み出してきたのです。
野生の植物の栽培化や商品化を通じて、種子は人類文明の発展にも寄与してきました。新石器時代には、作物の栽培によって人類の定住が始まり、社会規範や土木技術が形成されます。古代では植物は学者たちにとって魅力的な研究テーマとなり、中世には物々交換や収集の対象でした。近代に入ると、種子は探検家たちとともに長距離を移動するようになります。農業、科学、美学、商業を背景とした人類の欲望に翻弄されながら、種子は今も世界中を駆け巡っています。
植物のエネルギーは国境を越えて広がり、その壮大なスケールの旅は地球の多様性の象徴となっています。種子は、政治や科学、知識が絡み合った、人間と自然の複雑な関係性を物語ります。種子を通じて、私たちの起源だけでなく、未来の世界像までもが見えてくるのです」。
5.柏田テツヲ《空をたぐる》/両足院(建仁寺山内)
両足院は中国の影響を色濃く受け、貴重な古漢や、漢籍・朝鮮本などの文化財も数多く所蔵する塔頭です。唐門からは四角い敷石が斜めに連ねられ、その先に印象的な円窓が配してあります。白砂に苔、青松の景色と相まって、長い歴史を体現するかのような様式美が強い印象を残しています。
大阪で生まれ育った柏田テツヲは、高校の3年間を野球留学(保護者の住む都道府県とは別の、かなり距離の遠い高校に入学し、野球部に所属することの意味)で宮崎県の山奥で過ごし、部活動で禁止されていたため携帯電話を持たずに暮らしました。多感な時期に情報から遮断された反動もあり、日々接する自然の移ろいや脅威に毎日のように心を動かされ、五感が研ぎ澄まされていったと語ります。19歳で写真による制作活動を始めるようになってからも、自ずと自然は作品作りのモチーフのひとつとなりました。
柏田テツヲは、屋久島で滞在制作をした作品で、2023年のKYOTOGRAPHIEのインターナショナル・ポートフォリオレビューの参加者から選ばれる「Ruinart Japan Award」を受賞。2023年秋にフランスのランス地方を訪れ、世界最古のシャンパーニュブランドであるルイナールのメゾンに、アーティスト・イン・レジデンスとして2週間滞在します。現地で職人たちと話したり、ブドウ畑やルイナールが再生を試みる森と対峙する中で、1、2度の気温変化でブドウの糖度が変わりシャンパーニュ作りに大きな影響を与えていることを知り、地球の温暖化がいかに自然環境に影響を与えているかを目の当たりにします。
一個人である自分に何ができるのかを考えながらブドウ畑を歩いていたとき、柏田テツヲは蜘蛛の巣に引っ掛かりました。ほとんど目に見えないながらも存在するという点で、蜘蛛の巣と地球の温暖化に通ずるものを感じ、インスピレーションを受けた作品を現地で滞在しながら制作しました。彼の手によりブドウ畑の葉をつたう様々な色の糸を用いて張り巡らされた「蜘蛛の巣」は、私たち人間の行いそのもののメタファーのようでもあります。温暖化という、目に見えない現象を引き起こしたり、はたまた影響を受けたりしながらも、地球とともに生きていく私たち人間の行いは、まるで空(くう)をたぐるようなものかもしれません。彼の作品は、生命の強さと儚さ、自然の多様性と希少性、そして人間の領分の有限と無限を紐解き、紐付けていくかのようです。
6.ジャイシング・ナゲシュワラン《I Feel Like a Fish》/TIME’S
商業施設や飲食店で賑わう三条木屋町の高瀬川沿いにそびえるコンクリートのビル「TIME’S」は、世界的に活躍する建築家・安藤忠雄の設計により、1984年に建てられました。敷地全体が水面レベルまで下げられ、川と建物が身近に感じられるのが特徴的。木屋町通りの桜が咲く春の眺望も素晴らしいものがあります。
龍馬通りには、1721年(享保6年)に創業した材木商「酢屋」があり、幕末には坂本龍馬をはじめ、多くの海援隊の隊士をかくまっていたという歴史を持っています。
ジャイシング・ナゲシュワランはインド出身の写真家。労働者階級で育ったという生い立ちを乗り越えるように祖母から教育を受けてきました。社会から疎外されたコミュニティの生活を写し取ることに重点を置き、ジェンダー・アイデンティティやカースト制、農村の問題をテーマとした作品を発表しています。
ジャイシング・ナゲシュワランは、自宅にある水槽の中の魚を見るたびに、自分自身を見ているようだと言います。魚には向こう側に広がる世界が見えています。しかし、生きるのに適切だと思われるその世界に魚が触れようとすると、目の前に壁が立ちはだかります。魚が生きて水槽から出るためには、奇跡を起こさなければなりません。インドのカースト制度は、そのような金魚鉢を数多く生み出しています。そしてカーストが低いほど、鉢のサイズは小さくなります。
ジャイシング・ナゲシュワランの祖母は、タミル・ナードゥ州の小さな村、ウシランパッティの出身でダリット系の家庭に生まれました。ダリットは数千年前から続くインドのカースト制度の最下層の人々のことで、「触れてはならない」カーストとして知られ、差別、排除、暴力に直面しています。そこで彼女はヴァディパッティに引っ越して、学校のないダリットも通えるような小学校を設立しました。彼女はナゲシュワラン家の最初の奇跡でした。のちにジャイシングもこの小学校に通いました。
ジャイシングが写真家になろうと決めたとき、自分のカーストを捨て、ダリットであることを忘れる唯一の方法は、都会に出ることだと考えました。父親は、差別が彼につきまとうだろうと警告しました。
長らくジャイシングは自分を第2の奇跡だと考えてきました。国際的な都市を転々とし、著名人を撮影し、映画の道へも進みました。しかし、写真を撮れば撮るほど、彼はダリットがインドの視覚的意識の中にほとんど存在しないことに気づきました。そして、ある日突然大病を患い貯金がなくなり、コロナウイルスにより故郷に戻ることを余儀なくされました。
今、ジャイシングは自分が生まれ育った土地の美しさを目の当たりにして、写真家としてキャリアを積んだはずの自分が持ち合わせていなかった親密な繋がりを実感しています。そうして気が付いたのです―自分が今、この世で一番失いたくないものは、家族と家なのだと。そしてこう語ります。
「私はもっと深く、金魚鉢の中に入ってしまったのです。私の仕事は、ダリット・コミュニティにおける現在進行形の虐殺行為を訴えることです。私は毎日のようにダリット・コミュニティの人々が殺されたり、カーストに基づく様々な虐殺行為を目撃したりするニュースで目を覚まします。アートを通じ私に生み出された意識には、もっと深い物語があることを実感しています。カースト制度が根絶される日が来るまで、私は金魚鉢の中の魚のように感じ続けるでしょう」。
7.川田喜久治《見えない地図》/京都市京セラ美術館
1928年(昭和3年)、京都で執り行われた天皇即位の大礼を記念して「大礼記念京都美術館」として開館した「京都市京セラ美術館」。関西の財界や美術界、市民の寄付により、鉄骨鉄筋コンクリート2階建ての帝冠様式建築として建設された本館は、現存する日本の公立美術館の中で最も古い建築としても有名です。
2015年に再整備計画が策定され、2020年春に通称を「京都市京セラ美術館」として、リニューアルオープン。青木淳と西澤徹夫が共同し基本設計を行い、現代的なデザインが加わりながら、創建当時の和洋が融合した本館の意匠が最大限保存されています。
川田喜久治は、広島と長崎への原子爆弾の投下から15年後にあたる1965年に、敗戦という歴史の記憶を記号化するメタファーに満ちた作品「地図」を発表。このデビュー作はセンセーショナルな驚きとともに、自身の初期のスタイルを決定的なものにしました。以来、現在に至るまで、常に予兆に満ちた硬質かつ新たなイメージで私たちの知覚を刺激し続けています。
本展では、戦後を象徴する「地図」、戦後から昭和の終わりを見届け、世紀末までを写す「ラスト・コスモロジー」、高度経済成長に始まり、近年新たに同タイトルで取り組んでいる「ロス・カプリチョス」の3タイトルを一堂に鑑賞可能です。この3作品はこれまでそれぞれ発表の機会を得ていますが、ここに寄り添う65年という長い時間が一つの場所を構成するのは初めてとなります。
自身の感覚の中に時代の論理を見る川田喜久治の極めて個人的な視座が捉えた時間と世界は、如何にして観る者の世界にシンクロしていくのでしょうか。
「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2024」のテーマである「Source」には、起源やオリジンといった名詞のほかに、「入手」するという動詞の意味があります。レイト・スタイルにおいて「見えない地図」を手に入れた写真家は、刻一刻と変化する現代の張り詰めたカタルシスを写し、写真というメディウムと、時代と場所を自由に行き来きし、「この時、この場所」を俯瞰しようとしています。
8.From Our Windows 潮田登久子《冷蔵庫+マイハズバンド》/京都市京セラ美術館
潮田登久子は1975年からフリーランスの写真家として活動をスタート。写真家の島尾伸三との間に、1978年に娘のまほが生まれてすぐ、1888年築の東京・豪徳寺の洋館(旧尾崎テオドラ邸)に引っ越します。
本展では、娘が生まれてからの約7年間にわたり、夫や娘、洋館での暮らしを捉えた《マイハズバンド》と、自身の生活を記録に留めるように自宅の冷蔵庫を定点観測したことから始まり、その後親族や知人、友人らの冷蔵庫を20年におよび撮影した《冷蔵庫/ICE BOX》シリーズを展示。
潮田登久子は本作品について、以下のように述べています。
「2019年3月、40年間借りていた古い西洋館2階の部屋を整理中、部屋の隅の洋服ダンスの奥から、長年寝かされたままの段ボール箱が見つかりました。一眼で私が撮影、現像、プリントしたものを入れたものだとわかりました。すっかり忘れていたのですが、この部屋で島尾伸三(夫)と生まれたばかりのまほと3人で暮らしていた1978年から1985年位までの生活と、それ以前の作品が残っていて、ただ懐かしいだけでは片付けられない、当時の気持ちに引き寄せられている自分に気づくのでした。
(中略)
思いがけないこの生活の伴侶でもある冷蔵庫を眺め、開けたり閉めたりして撮影してみることにしました」。
以上、12年目を迎えた「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2024」についてご紹介しました。問題提起する作品や、思考力が深くなる作品など、どれも見逃せません。気になる方は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
■「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2024」
会期:2024年4月13日(土)~5月12日(日)
場所:インフォメーション町家 八竹庵(旧川崎家住宅)、誉田屋源兵衛 竹院の間・黒蔵、京都芸術センター、京都文化博物館 別館、嶋臺(しまだい)ギャラリー、京都新聞ビル地下1階、二条城 二の丸御殿 台所・御清所、両足院、ASPHDEL、Sfera、TIME’S、京都市京セラ美術館、DELTA / KYOTOGRAPHIE Permanent Space
時間: 会場によって異なります
チケット:パスポートチケット 一般 5,500円/学生 3,000円
京都市民割 一般 5,000円
団体割引 一般 4,950円 / 一人
山梨県・小淵沢にある「中村キース・ヘリング美術館」では、1980年代のニューヨークを生きたキース・ヘリングの作品を写真や資料とともに紐解くコレクション展「キース・ヘリング:NYダウンタウン・ルネサンス」展と、世界的ファッションスタイリストであるパトリシア・フィールドのアートコレクション展「ハウス・オブ・フィールド」展を2024年5月19日(日)まで開催中です。
中村キース・ヘリング美術館は、1951年生まれの長野県出身の建築家である北川原温によって設計されました。詩や音楽をモチーフにした個性的な設計で知られています。公共・民間の多くのプロジェクトを手掛け、2015年ミラノ万博日本館(120カ国以上が参加、日本館が史上初の金賞受賞)の建築プロデューサーを務めました。
中村キース・ヘリング美術館館長の中村和男氏は、「1980年代の日本経済は、ニューヨークを象徴するロックフェラー・センターを日本企業が買収するなど、バブルで右肩上がりの情勢でした。それに比べ、当時のニューヨークは経済不況で治安も悪く、犯罪都市というレッテルを貼られていました。
一方ではストリートアートが注目され、クラブカルチャーが重要なエッセンスとなっていました。同時に、レーガンの保守的政権下で白人男性主義的な社会に対する反体制派の声も聞こえていました。ニューヨークで私が初めてキース・ヘリングの作品に出会ったのは、そんな1987年のことでした。へリングは明るくポップな作品だけでなく、反戦反核、有色人種やセクシャルマイノリティへの差別撤廃など、社会の不平等に訴える作品を生涯制作し続けました。そのメッセージは40年を経た現代社会にも警鐘を鳴らし続けています」と述べています。
まずは、「キース・ヘリング:NYダウンタウン・ルネサンス」展についてみていきましょう。
■「キース・ヘリング:NYダウンタウン・ルネサンス」展
本展では、キース・ヘリングが活動した1980年代ニューヨークにおける「アンダーグラウンド・カルチャー」「ホモエロティシズムとHIV・エイズ」「社会に生きるアート」「ニューヨークから世界へ」の4つの視点から、中村キース・ヘリング美術館収蔵のキース・へリングコレクションを紐解きます。
1970~80年代にキース・ヘリングが生きたニューヨークは、パンク・ロックやヒップホップファッションなど新しいカルチャーが注目され、成功を目指す人々が世界中から集まる可能性に満ちた街である一方、犯罪が蔓延する危険な状態が続いており、それらが危ういバランスで成り立っているスリリングな街でした。
80年代にそのような社会の中で生まれたキース・ヘリングの作品は、命に関わる感染症との共生、児童福祉教育や人権問題をはじめとする持続可能な社会実現に向けた課題など、今日を生きる私たちにも強烈なインパクトを与えます。ヘリングが残したメッセージを、同時代を生きた写真家たちの記録写真や多くの資料が並ぶ展覧会を通して発信しています。
中でも観ていただきたいのが、日本初公開となる「マウント・サイナイ病院のための壁画」(1986年)です。本作品は、ニューヨークの小児病棟で、患者である子どもたちのために制作された幅5mを越す大作です。描かれた病院の立て直しに伴い、倉庫で保存されていた壁画を日本では初公開、世界的にも34年ぶりに公開します。なお、本作品は、キース・ヘリングが子どもたちの未来のためにどのように貢献してきたのかを表す重要な作品として世界的にも注目されています。
また、キース・ヘリングは一部の富裕層だけではなく、すべての人にアートを届けたいという信念から、経済状況や年齢に関わらず身近に接することのできるアートとして、多くのグッズも制作しました。
次に、「ハウス・オブ・フィールド」展をご紹介します。
■「ハウス・オブ・フィールド」展
「ハウス・オブ・フィールド」展は、映画『プラダを着た悪魔』(2006年)、米TVドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』(1994年-2004年)で、衣裳デザイナーおよびスタイリストとして、アカデミー賞衣装デザイン賞ノミネート、エミー賞衣装賞を受賞するほか、現在Netflixで公開中のTVドラマシリーズ『エミリー、パリへ行く』(シーズン1、2)Netflix(2020、2021年)で活躍するパトリシア・フィールドが、半世紀をかけて蒐集したアートコレクションを紹介する展覧会です。
ニューヨークに生まれ育ったパトリシア・フィールドは、24歳の時に初めて自身のブティック「パンツ・パブ」をオープンしました。このブティックは、のちに自らの名を冠した「パトリシア・フィールド」となり、イースト・ビレッジを中心に移転を繰り返します。そして場所を移しながら「ハウス・オブ・フィールド」と呼ばれるコミュニティを形成していきました。
「ハウス」は、1970年代以降のニューヨークのアンダーグラウンドシーンで、黒人や、ラテンアメリカのスペイン語圏出身のラティーノのLGBTQ+コミュニティで、“従来の枠組みに囚われず生活を共にする集団がその結束を示す言葉”として使われてきた言葉です。現在も「ハウス・オブ・フィールド」は、パトリシア・フィールドを中心に彼女のブティックに所属するスタッフやデザイナー、アーティスト、美容専門家、彼女を慕う人々のコミュニティとして健在しています。
パトリシア・フィールドは作品を購入することでアーティストたちを支え、アーティストたちも彼女を敬愛しポートレートを贈りました。それらの個性豊かなアートが、壁やショーウィンドウ、試着室の扉にいたるまで空間全体を彩るブティックは、2016年春に惜しまれながら閉店し、彼女のアートコレクションの主要作品約190点が2016年に中村キース・ヘリング美術館に収蔵されました。
本展では、パトリシア・フィールドが半世紀をかけて集めたコレクションから、日本初公開作品を含むペインティングや写真、オブジェなど約130点を公開します。人間の欲望をポジティブなエネルギーに変換するかのようなパワフルな作品は「自分らしく生きることとは何か」を問いかけ、本展を通してパトリシア・フィールドの歩んできた道のりや想いを汲み取ることができるでしょう。
また、中村キース・ヘリング美術館館長の中村和男氏は本展に関して、以下の言葉も述べています。「キースはHIVになって苦悩を抱え、31歳で亡くなりました。生きていくということに関しては、誰しもがエネルギーがあって、お金持ちだけがエネルギーがあるわけではなく、貧しくたって絵が描けなくたってエネルギーを持っていて、そのエネルギーを、あるときには街の中でスケボーで解消したりとか、いろんな遊びで解消していた。そういうエネルギーの中で作品が生まれ、そこの中で今回ルネッサンスという表現もとっています。
アートにはメッセージを感じ取る部分があり、それは画商が扱うだけでなく、誰にでも開かれています。今回、展覧会を開催するにあたり、パトリシアの世界も表現したいと思いました。パトリシアが集めたものは有名な画家が描いたものではなく、もう辞めてしまった方とか、亡くなった方とか、本来なら画商が扱えないものですが、観たときに僕らをハッとさせます。このエネルギーと、光と影のようなところに、面白さを感じていただけると思います。
最後に私が強調したいのは、キース・ヘリングによる病院での壁画です。これはニューヨークの小児科病院の病棟の中で描いたものです。単純さと、なにかほっこりする絵本で見たような、全く新しい創造性の中に、彼の持つ優しさを感じます。皆さんにはこの作品だけではなく、小児病棟で癌になった子供たちが長期入院しているとき何を感じていたのかということにも思いを巡らせて欲しい。
僕らには絶対計り知れない。彼ら、彼女たちや親御さんにとって、その世界の中で生きていると、いつまで生きられるかどうかってことすらわからない不安に襲われる。そんな中、彼は優しさの中でその壁画を描いた。子供たちも勇気をもらったかもしれない」
最後に、パトリシア・フィールドから届いたメッセージをご紹介しましょう。
「日本のアートラバーの皆さんがお越しくださっていることを、とても嬉しく思います。私の蒐集した作品と、この美しい美術館に興味を持っていただいたことに深く感謝し、私の愛を贈ります」と述べています。
■「キース・ヘリング:NYダウンタウン・ルネサンス」展
会期:2023年6月3日(土)ー2024年5月19日(日)
開館時間:9:00-17:00(最終入館16:30)
休館日:定期休館日なし
※展示替え・メンテナンス等のため臨時休館する場合があります。
観覧料:大人:1,500円/ 16歳以上の学生:800円/ 障がい者手帳をお持ちの方:600円
15歳以下:無料 ※各種割引の適用には身分証明書のご提示が必要です。
同時開催:「ハウス・オブ・フィールド」展(自由の展示室)
※コレクション展観覧券で観覧できます。
世界初にして最大の国際的な高級ホテルブランドであり、世界で最もエキサイティングな地域に200以上のホテルを展開するインターコンチネンタル ホテルズ&リゾーツに属する「ホテル インターコンチネンタル 東京ベイ」では、2024年4月23日に、日本最古の伝統芸能である能の世界を気軽に体験できる宿泊プランをご用意しています。
能楽は、700年ほど前に観阿弥・世阿弥親子によって大成されました。現存する世界最古のパフォーミングアーツとして、ユネスコ世界無形文化遺産に登録されている、日本を代表する古典芸能です。
その表現方法は人間の普遍的な喜怒哀楽を独特の動きを抑えたスタイルで、徹底した「様式美」を作り出しています。また能の起源は奉納芸能であるため、日本の神仏をテーマにしたものや、世阿弥が生きた時代に流行っていた、平家物語や源氏物語を主題とする作品が多くあります。
この度の「能鑑賞付き宿泊プラン」 は、宿泊の当日に3階にある宴会場 「ハーバービューテラス」にて、 能楽を初めてご覧いただく方にもわかりやすいワークショップ形式で、能楽の「お囃子」 と呼ばれる楽器の演奏と解説からスタート。能面や能の衣装「装束」 の解説のあと、「謡」と「舞」で表現する 「仕舞」 を鑑賞していただき 、 最後に「謡」と「舞」と「お囃子」を同時に実演する「舞囃子」 の形式で、能楽の中でも700年間人気であり続ける「高砂」を上演します 。
出演者は、 重要無形文化財総合指定保持者のシテ方観世流 能楽師の上田貴弘氏、上田公威氏他、小鼓方大倉流能楽師16世宗家であり人間国宝の大倉源次郎氏など、総勢8名による演目となっています。
シテ方観世流 能楽師の上田貴弘氏
シテ方観世流 能楽師の上田貴弘氏は、「シテ方観世流は、能楽を大成した観阿弥・世阿弥親子から続く能楽の流派で、現在二十六代目となっています。観世流の拠点は、銀座エリア最大の商業施設「GINZA SIX」の地下3階にある「二十五世観世左近記念観世能楽堂」となっています。
今回は「能楽への誘い―春を寿ぐー」というタイトルで、能楽鑑賞が初めての方にも能楽の魅力を楽しんでいただけるよう、ワークショップ形式、かつバイリンガル対応で解説を入れながら進めます。
「屋島(やしま)」は源義経が主人公の演目です。讃岐の春の海の美しい情景で、こちらは「仕舞」という形式でみどころを主役のシテの謡と舞、そしてコーラスとなる地謡(じうたい)で構成しています。
「高砂(たかさご)」は、以前は結婚式におめでたい曲として、700年程謡われている能楽の人気曲です。兵庫県高砂が舞台、和歌の守護神 住吉明神が主人公です。春の美しい情景の中を颯爽と舞い、夫婦の和合と和歌の徳を寿ぐ曲となっています。こちらは舞囃子(まいばやし)という形式で、仕舞の形式にお囃子が入ったものでより華やかです。
能楽は、人間がもつ喜怒哀楽を内に込めたパワーを表すので、初めはわかりにくいかもしれませんが、解説を聞いたり、予習をしたりすると、本物に触れる面白さが見つけやすくなるかもしれません。是非皆さまには、今回の催しをきっかけに能楽堂にもお出ましいただけたらと思います」と述べています。
ぜひこの機会にホテルでゆっくり寛ぎながら、春を寿ぐ能の時間をお楽しみください。
■能楽への誘いー春を寿ぐー能鑑賞付き宿泊プラン
【宿泊日】2024年4月23日(火)より1泊
【料金】1室2名様利用時の1名様料金
※料金は消費税、サービス料を含み、別途宿泊税を頂戴します。
[プランに含まれる内容 ]ご宿泊1泊、能楽イベント参加費
クラシックルーム 69,500円
クラシックルーム NAGOMI ラウンジアクセス付き 82,250円
クラシックルーム クラブラウンジアクセス付き 86,500円
*チェックインは15:00 ~、チェックアウトは12:00まで
【能楽イベントの内容】
日時:4月23日(火) 開場 18:00 / 開演 18:30 / 終演 20:00 予定
場所:3階 宴会場「ハーバービューテラス」
構成:番組
一、お囃子ライブ 二、お囃子解説ワークショップ 三、仕舞 「屋島」
四、能面・装束解説ワークショップ 五、舞囃子「高砂」
出演:シテ方観世流
上田貴弘、上田公威、角幸二郎、木月宜行
笛:竹市学、小鼓:大倉 源次郎、大鼓:大倉慶乃助、太鼓:林雄一郎
【4月23日限定】能鑑賞
鑑賞料お一人様 12,000円
■注意事項
こちらのお申込みは能鑑賞のみのご案内となります。宿泊代は含まれていません。
お申込み後、メールアドレスへお支払い用リンクをお送りします。
お支払い完了後、ご予約確定となります。
演者はやむを得ぬ事情により変更になる場合もあります。
お席はお申込み順とさせていただきます。
執筆者:遠藤友香
岩手・宮城・福島 MIRAI文学賞・映像賞実行委員会は、2024年3月30日に仙台市内にて、「第二回岩手・宮城・福島MIRAI文学賞・映像賞」授賞作品の授賞式を開催しました。
「岩手・宮城・福島MIRAI文学賞・映像賞」は、震災の記憶を風化させず未来を志向するために、未来を担う若者に地域の魅力・希望・未来を切り取ってもらい、文字と映像の力で3県を訪れる人が増えることを期待し設立されました。選考は、実行委員会が依頼した各界の有識者により審査されました。
MIRAI文学賞 授賞作品には、ファラ崎士元氏(33歳・団体職員)による作品「日本のグリムを追って」と、梅若とろろ氏(23歳・大学生)の作品「かえるところ」が選ばれました。
MIRAI映像賞 授賞作品には、なないろ氏(21歳・大学生)の作品「東北サプライズ 〜胸がときめく、面白い旅へ〜」 と、Arrangers‘氏(21歳・大学生)の作品「心を調律する東北「音旅」」が選考されました。
受賞作品は公式ホームページでの公開に加え、3県の観光PR等での活用を予定しています。
授賞式において、岩手・宮城・福島 MIRAI文学賞・映像賞実行委員会事務局の八重嶋拓也氏は、「今年受賞した作品は素晴らしかったですし、応募いただいた作品を拝見拝読しますと、かなり1年目に比べて表現の幅が広がったなと感じております。東北の自然ですとか、文化、歴史、食、観光、人の温かさを、こんなふうに切り取って表現してくださるんだなってことを事務局としてもそうですし、地元の1住民としてもすごく嬉しく感じました。この作品を通じて、実際に3県に足を運ぶ人がもっと増えたらと考えております」と述べました。
MIRAI文学賞を授賞された梅若とろろ氏の作品「かえるところ」は、主人公の創がバイト先の先輩の実家がある福島県須賀川市を訪れ、様々な人や店と出会い、温かみに触れる中で、心に引っかかっていた悩みを見つめ直していくストーリーです。
梅氏は「この度は、素晴らしい賞をいただき、大変光栄です。私は福島県須賀川市生まれました。円谷英二監督の生家が近所にあり、幼い頃、父に連れられ、レリーフを見に行ったのを覚えております。そのため円谷英二監督は私にとって、身近な存在でした。歴史と文化に恵まれた須賀川市を訪れていただきたく、この地を訪れた青年の心の回復を描きました。震災当時から今日まで、私達は日々の生活を、一歩一歩歩んでまいりました。次世代へバトンを繋げられるよう、微力ながら故郷へ貢献できればと思います」と語りました。
MIRAI映像賞を授賞された「心を調律する東北「音旅」」のArrangers‘氏は、「昨年の9月に合宿で東北を訪れまして、みんなで東北の魅力や未来性というものをたくさん話し合った結果、やはりリラックスだとか、癒しというものが出たんですけども、それに加えて、東北の人の温かさとか、あまり多くを語らないような、東北の人の人柄だったり喋り方、そして他の観光地とはどこか違う素朴さというものが東北の魅力なんじゃないかというふうに感じました。
SNS映えとか、スマホというものに無意識的に疲れてしまっている若者が東北に足を運んで、スマホというものを忘れて自分に浸る、そして東北という環境に浸るというストーリーを表現しようと考えました。東北ならではの三陸鉄道とか、街作りとか、他にも、サウナ、そしてサウナから直接目の前の湖に飛び込むという、あまり東京でできないような経験がありまして、そのような若者にも刺さるような、琴線に触れるポイントも詰め込みましたので、ぜひ視聴いただき、よければ足を運んでいただきたいなというふうに思っています」と述べました。
文学賞を審査された、石巻専修大学の遠藤郁子教授は、「今回も非常に意欲的な作品が集まって、こちらも読みながら、いろいろなことを考えさせられました。授賞作の2作品は、両方とも紀行文的な性格の文学だったのすが、本当にその地に何か根ざしたような手触りを感じるような文章でしたし、若い感性によるで瑞々しい描き方で、その場の文化と触れ合っている様子がとても魅力的でした」とコメントしました。
映像作品を審査された福島大学の奥本英樹教授は、「映像賞最終選考に残った5作品を見て感じたことは、本当に今の若い世代っていうのは、絵作りがすごく上手になったなって感じました。生まれたときからスマホがあって、多分いろいろな映像を自分で作るっていうことも、もうすごく経験してる子たちが多いんだなっていうまず思いがあります。全て、すごくレベルが高かったので、そこに驚きました。
「心を調律する東北「音旅」」は、切り口がやっぱり素晴らしかったなと思います。この映像は音にフィーチャーしてるんですけれども、都会はあまりにも音が多すぎて、その音の一つ一つには実は意味があるのかもしれないけれど、それは多すぎると雑音になってしまう。だけど、こういう静寂の中に、一つ一つの音を切り取って聞いてみると、そこには自然だったり人だったり、いろんな営みが感じられて、そういったその音の素晴らしさ、我々は五感で生きているわけですから、その一つの五感にフィーチャーしたその切り口がすごく素敵だったなと思います」と述べました。
■「岩手・宮城・福島MIRAI文学賞・映像賞2024」作品募集開始
「岩手・宮城・福島MIRAI文学賞・映像賞2024」は、2024年4月1日から2024年11月30日 23時59分までの期間、作品の募集を行っています。
募集作品は、岩手・宮城・福島に足を運びたくなることをテーマとした未発表作品で、文学賞は12,000字以内で、現地を訪ねたくなる、若者を主人公にした小説、映像賞は、3~5分以内の現地を訪ねたくなる、ジャンル不問の動画です。
応募資格は、18歳(高校生可)~35歳までで、国籍・プロアマを問いません。文学賞・映像賞ともにMIRAI賞として、2名ずつに記念品と賞金50万円が贈呈されます。我こそは! と思う方は、ぜひ応募されてみてはいかがでしょうか。
執筆者:遠藤友香
2016年にクリスチャンとステファニー・ウッツによって、ドイツ初のアーバン・アートと現代アートに特化した美術館として開館した「Museum of Urban and Contemporary Art(MUCA)」。開館以来、MUCAはこの分野での作品収集の第一人者として知られています。
現在、1,200 点以上のコレクションを誇り、ヨーロッパでも最も重要なアーバン・アートと現代アートのコレクションの一つとして認められています。ポップ・アートからニューリアリズムまで、都市環境の中の芸術、抽象絵画、社会・政治問題など、多様なテーマを扱い、コレクションの形成を開始してから25年以上にわたって影響力を拡大し続けています。
この度、MUCAが所蔵するコレクションを紹介する展覧会、テレビ朝日開局65周年記念「MUCA(ムカ)展 ICONS of Urban Art 〜バンクシーからカウズまで〜」が、2024年6月2日(日)まで、東京・森アーツセンターギャラリーにて開催中です。
本展に参加するアーティストたち、例えば、世界的に人気を博すバンクシーやカウズ、アーバンアートを牽引する国際的に著名なアーティストのインベーダー、JR、ヴィルズ、シェパード・フェアリー、バリー・マッギー、スウーン、オス・ジェメオス、リチャード・ハンブルトンらは、都市のインフラをキャンバスに、コミュニケーションを行っています。彼らは儚い美学に対する独自の感覚を持ち、最も革新的な芸術運動のパイオニアになりました。それぞれの作品はストーリーを語り、視覚芸術の歴史に貢献しています。
アーバン・アートは、言語、文化、宗教、出身地の壁を越えた視点から世界を見つめ、考えることを可能にする新しい芸術のかたちを生み出しました。その強みは、ルールや規制に縛られることなく、観客として私たちに目を向けさせることにあります。アーバン・アートは、社会的不公正、資本主義、人種差別などのテーマを、魅力的な手法と普遍的なモチーフで浮き彫りにします。
今回は、本展に出展されている5組のアーテイストの作品をご紹介します。
1.カウズ
アメリカ合衆国のアーティストでデザイナーのカウズことブライアン・ドネリーは、幼い頃から絵を描き始め、NYのスクール・オブ・ビジュアル・アーツで学士号を取得。その鍛え抜かれた眼で、歴史上最も有名な名画を正確に模写し、印象的なポートフォリオを作り上げました。
1990年代、グラフィティで注目を集めるようになると、自分自身のスタイルを確立することを決意。バス停や電話ボックスの広告に、自ら改良したデザインをスプレーし、カウズ(KAWS)と名乗るようになりました。この活動名は、1990年代にNYの街を席巻した商業ポスターに描かれた大きな文字の組み合わせに基づくもの。広告の上にスプレーをするということは、公共空間を取り戻すための、彼なりの挑発的な取り組みの一つでした。
バツ印の目が特徴の立体的な「コンパニオン」というキャラクターシリーズは、特に人気が高くなっています。また、シンプソンズ、スヌーピー、スポンジ・ボブなど、既存のキャラクターを再解釈し、リデザインすることも。悲しげで死にそうな彼のコンパニオンは、永遠に陽気なミッキーマウスに対するアンチヒーローと見ることもできます。
ナイキを始め大手ブランドとのコラボレーションや、カニエ・ウェストのようなミュージシャンのアルバムジャケットをデザインするなど、アートと商業の境界を常に曖昧にしています。彼の作品は、世界中のギャラリー、美術館、野外展覧会で展示されており、ハイ美術館(アトランタ)、フォートワース現代美術館(テキサス)、ローゼンブルム・コレクション(パリ)などでも見ることができます。
カウズ《4フィートのコンパニオン(解剖されたブラウン版)》2009年
NYのブルックリンを拠点に活動するアーティストのカウズは、1990年代後半に独自の漫画キャラクターを広告看板に落書きしたことでその名が知られるようになりました。自身の活動を進化させるにつれ、コレクター向けの「フィギュア」を制作するように。彼の愛すべきキャラクターを立体化した作品は、その後ファインアート彫刻である本作の基礎となりました。この大型作品は、最も有名なキャラクターである「コンパニオン」のバリエーションの一つです。
カウズ《カウズ・ブロンズ・エディション #1-12》2023年
この12体のブロンズ・エディションは、2010年以降に大規模なパブリック・インスタレーションとして、各地に出没したカウズのキャラクター作品を記念して制作されました。これらのブロンズ像は、ソウル、香港、富士山、さらには宇宙など、世界中の様々な場所に出没した巨大なパブリック・インスタレーションを小型化したものです。
泣いているキャラクターがいたり、子供を抱いているキャラクターがいたりと、いわゆる人間の日々の生活を表現しており、親しみを感じる作品です。
2.シェパード・フェアリー
シェパード・フェアリー(本名 フランク・シェパード・フェアリー)は、スケートボードやパンク音楽と同時に、早くから芸術への情熱を育んでいった、現代のストリート・アーティスト、グラフィック・デザイナーの中で最も優れた才能を持つ一人です。15歳で糖尿病と診断された彼は、それ以来、人間の死というものを意識しながら、人生で大切だと考える全てのものをたゆまず追求していきました。
彼の作品は、バーバラ・クルーガー、キース・へリング、ジャン=ミシェル・バスキア、ロビー・コナルなどのアーティストから多大な影響を受けていることが特徴です。フェアリーは1989年に、新聞紙から切り抜いたレスラーをモチーフにしたステッカー運動の「アンドレ・ザ・ジャイアント・ハズ・ア・ポッセ(Andre the Giant Has A Posse、アンドレ・ザ・ジャイアントには仲間がいる)」で、一躍有名になりました。この活動は、ステッカーが独自に複製されたことにより、世界的なムーブメントに発展しました。
彼の作品には、伝説となったものもあります。例えば「アラブの春」の代表的なデモ参加者を描いた『タイム』誌の2011年版パーソン・オブ・ザ・イヤーの表紙や、2008年のバラク・オバマ元米大統領の印象的な《ホープ(Hope)》のポートレートなどです。フェアリーのテキストとイメージの使い分けは、芸術と商売の区別を曖昧にしていますが、彼は決して商売を敵視しているわけではありません。彼の視点に立てば、その2つは互いに必要なもの。フェアリーは自分の作品を公共の場で見せることで、社会政治的な批評を身近な方法で実現しています。
シェパード・フェアリー《注意して従え》2006年
フェアリーのアート作品の多くは、政治的な目的と芸術的な目的を融合させ、これら2つのコンセプトを簡潔に抽出し、イメージの本質を探究しています。
本作の中央には権威的な存在感を放つ謎めいた人物、そしてその上には「Obey with Caution」の文字が刻まれています。自身のスローガン「Obey(従え)」を使い、「with Caution(注意して)」と続けることで、現状の政治体制を闇雲に受け入れる危険性を指摘しています。
(画像左下)シェパード・フェアリー《マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師》2005年
フェアリーは長年にわたり、アイコン的な著名人を作品の題材として採用してきました。その中でも最も注目に値する例は、2008年にバラク・オバマ元米大統領のポスターを手掛け、彼の大統領選での勝利を後押ししたことでしょう。
フェアリーは本作において、公民権運動の先駆者であるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師を不朽の名作に仕立てています。キング牧師は、フェアリーがその輝かしいキャリアの中で取り上げた数多くの重要人物の一人です。
3.バリー・マッギー
バリー・マッギーは、自身のアートをビジュアル・コミュニケーションの一種として捉えており、作品を公共の場に置くことで、ギャラリーや美術館で展示するよりも多くの人に見てもらうことができると考えました。サンフランシスコや近隣の都市にメッセージを広げ、大学の仲間たちとともに、フォーク・アートやコミック、1970~80年代のグラフィティに強い影響を受けた「ミッション・スクール」と呼ばれるローブロー・ムーブメントに参加しました。このジャンルの作品は、一般的に作品がそれぞれ一定の距離をもって展示されるギャラリーの常識に反し、意図的に密集して展示されるのが特徴です。マッギーは、2001年のヴェネツィア・ビエンナーレへの出品で、国際的に広く知られるようになりました。
マッギーはギャラリーの壁に飾るストリート・アーティストの第一人者であり、彼の作品は、木や金属などのリサイクル素材と、キャンバス、紙、絵具を組み合わせています。インスタレーションの多くは、ガラス瓶やスプレー缶などの使用済み素材で構成され、抽象的で幾何学的な構造が特徴で、そこにメッセージを含んでいるものもあります。カラーブロックやパターンを組み合わせるユニークな手法が象徴的で、彼が描く絵画とインスタレーションは、現代の都市文化を反映し、都市の生活者が毎日目にする広告で感覚過多になる問題に問いを投げかけています。マッギーの代表作の一つに、路上生活を余儀なくされている人々を象徴した、困惑する表情の風刺画があります。それには、彼の社会政治的なメッセージが込められています。
今日、マッギーの作品は世界中のストリート・アーティストやアーバン・アーティストに影響を与え、この分野の内外で大きな尊敬を集めています。特に、サーファー、スケーター、スプレーアーティストなど、様々なサブカルチャーのフォロワーから賞賛されています。
バリー・マッギー《無題》2019年
1980年代のサンフランシスコにおけるグラフィティ・シーンの中心人物であるマッギーは、ツイスト(Twist)やフォン(Fong)という名前で作品を制作していました。彼の初期のパブリック・アートは、都市環境で生きる上でのプレッシャーを非難する作品が多く、憂鬱な印象に裏打ちされています。
本展で展示されている作品を含め、マッギーの作品は彼の初期のキャリアに言及しているものが多くなっています。本作では、彼の初期の活動名である「Fong」という文字と、マッギーのものだと一目でわかる様式化されたポートレートが、構図の重要な要素となっています。
4.オス・ジェメオス
オス・ジェメオスはポルトガル語で「双子」という意味の、ブラジルで最も有名な2人組のストリート・アーティスト。一卵性双生児のグスタボとオターヴィオ・パンドルフォは、サンパウロで最も古い地区の一つでありカンブシで育ち、小さい頃から何をするにも一緒でした。イラストを通じたコミュニケーションを学び、やがて2人で活動することを決意しました。
オス・ジェメオスは早い段階から、ペインティング、ドローイング、彫刻の様々なスキルを身につけ、ユニークで特徴的な世界、無意識から生まれたような絵画の世界を作り出しました。彼らの作品には「夢」というテーマがあり、それら彼らの気まぐれな世界への入り口と解釈できます。黄色を基調とした楕円形の顔の人物は、シュルレアリスム建築の中に不規則に出現します。こうした作品の色は、兄弟が夢の中で思い浮かべたものを基に選んでいます。
2014年のFIFAワールドカップでは、ブラジル代表のプライベートジェットの装飾に起用されるなど、彼らのアートは常に際立った創造性を発揮し、その限界を感じさせません。オス・ジェメオスは、作品に対して常に目的と意味を見出しています。それは、人々の感情を揺さぶり、想像力と自己認識を刺激することで、それぞれが自分の内面を見つめ直し、向き合うべきものを発見することを促します。
オス・ジェメオス《リーナ》2010年
オス・ジェメオスがストリートで活動を始めたのは、生まれ故郷であるブラジルのサンパウロでした。1980年代のNYのヒップホップやグラフィティ・カルチャーに触発された彼らは、様々なキャラクターや文化的影響を盛り込み、夢からインスピレーションを受けたような大規模な壁画を描き始めました。オス・ジェメオスは、グラフィティ・ムーブメントの急進的な原理を取り入れ、それを踏み台にし、ルールのない世界と視覚的な言語を創造しました。本作では、一目でそれとわかる彼らのスタイルと、想像力豊かに視覚化されたキャラクターを見ることができます。
5.バンクシー
ストリート・アーティスト、政治活動家、映画監督、画家といった肩書を持つバンクシー。世界的に有名であるにもかかわらず、その正体は不明のままです。1974年、イギリスのブリストルで生まれたと推測されています。ブリストルのアンダーグラウンド・シーンで活動し、14歳でスプレーを用いてグラフィティを始めたバンクシーは、その後活動の幅を広げ、国際的に活躍するようになりました。現在、最も有名なストリート・アーティストです。彼のメッセージの多くは、戦争、資本主義、支配層による権力に反対するもの。
バンクシーの最も著名な功績の一つに、《ガール・ウィズ・バルーン(Girls With Baloon , 少女と風船)》を自己破壊的な行為によって《ガール・ウィズアウト・バルーン(Girls Without Baloon , 風船のない少女)》とタイトルを変更した作品があります。この作品に纏わるオークションでの出来事以来、彼は遊び心のある批判的な作品で、世間に繰り返し警鐘を鳴らしています。
バンクシー《少女と風船》2004年
2017年にイギリスで最も好きな絵画に選ばれた本作。スプレー・ペイントという技法と、感情と意味を瞬時に多くの観客に伝えることを組み合わせており、バンクシーの象徴的な作品となっています。
元々は2002年にロンドン・サウスバンクで描かれたもので、本作はバンクシーがストリートの制作に使用したものと同じステンシル技法を使用しています。当初は制作スピードを上げるために利用されていた技法ですが、徐々にバンクシーはスタジオでの練習にも使用し始めました。彼の美学と制作手法が具体的、かつ忠実に再現されています。
バンクシー《風船のない少女》2018年 Private Collection
本作は、2018年にロンドンのサザビーズで開催されたオークションで、バンクシーの有名な作品の一つである《少女と風船》のプリント版が落札された直後に、バンクシー自ら仕掛けたシュレッダーにかけられたことで話題になった作品です。
この予期せぬ大胆な自己破壊的行為はアート界に衝撃を与え、生み出された新しい作品はバンクシーの公式認証機関ペスト・コントロールにより、《少女と風船》から《風船のない少女》に改題されました。
バンクシーは後に、オークションに先立ちシュレッダーをフレームに組み込んでいる様子の動画を自身のSNSで公開し、「どんな創造活動も、はじめは破壊活動からはじまる」というピカソの名言を添えました。バンクシーのしばしば破壊的で深遠なアプローチを反映したこの出来事は、アートの本質、アーティストの役割、そして作品の価値に対する市場の執着についてのアーティストの考えに興味深い洞察をもたらしました。
バンクシー《愛は空中に》2002年
本作はバンクシーの有名な作品の一つで、「フラワー・スロウワー(花束を投げる男)」とも呼ばれています。元々ステンシルの壁画である本作は、覆面のデモ参加者や暴徒が、紛争を連想させる火炎瓶や武器の代わりに、カラフルな花束を投げようとしている様子を描いています。
暴力や抗議という行為と、花を捧げるという平和的な行為の2つの対照的な要素を組み合わせ、また愛と希望、そして逆境に立ち向かう非暴力的な抵抗というメッセージも込められています。
バンクシーは、昔ながらの紛争のイメージを覆すことで、観る者の権力に対する認識に異議を唱え、変革を実現する手段としての暴力の有効性に疑問を投げかけています。
MUCA創設者のクリスチャンとステファニー・ウッツは「私たちは、アーバン・アートが20世紀と21世紀の最も重要な国際的芸術運動の一つであると信じています。本展が、このジャンルの「アイコン」たちに対する観客の関心を高め、その魅力を伝え続けることを、私たちは願っております」と語っています。ぜひ、この貴重な機会にアーバン・アートに触れてみてはいかがでしょうか。
テレビ朝日開局65周年記念 『MUCA(ムカ)展 ICONS of Urban Art ~バンクシーからカウズまで~』
期間:2024年3月15日(金)~6月2日(日) ※会期中無休
開館時間:日曜日~木曜日:10:00~19:00(最終入館18:30)、
金曜日・土曜日・祝日・祝前日・ゴールデンウイーク(4/27~5/6)は20:00まで(最終入館19:30)
会場 :森アーツセンターギャラリー
東京都港区六本木6丁目10−1 六本木ヒルズ森タワー 52階
MUCA(ムカ)展 ICONS of Urban Art 〜バンクシーからカウズまで〜 (mucaexhibition.jp)
執筆者:遠藤友香
株式会社タカラレーベンは、4月1日(月)、栃木県那須郡那須町に「那須 無垢の音(むくのね)」を開業しました。
「那須 無垢の音」は、35,000㎡を超える広大な自然の中で宿泊できるホテル施設です。季節ごとに変化を見せる那須の美しい自然の中で、季節の食材や地元の味覚を取り入れた本格フレンチを満喫できるスモールラグジュアリー仕様のオーベルジュです。
敷地内には、他では見ることのできない建築家・石上純也氏の緻密な計算と繊細な感性により生まれた壮大なる作品「水庭」を鑑賞できます。美しき風景であるのにも関わらず、目の前にすると目を閉じ、ゆっくりと深呼吸したくなる場所となっています。完成を迎えることなく、刻々と変わり続けるランドスケープを、時の経過を忘れ、ゆっくりとお愉しみください。
また、オーベルジュの顔となるレストランでは、シェフの千葉拓海氏を筆頭に、新進気鋭の料理人を揃え、那須の豊かな自然の中で育まれた食材を中心としたフレンチを、上質なワインと共に愉しむことができます。「那須 無垢の音」のメニュー作りは、生産者との出会いから始まります。厳選された食材同士が奏でる一皿のハーモニーを、モダンなフレンチコースでぜひご堪能ください。
客室は、目の前に美しい自然が広がる1棟ごとに分かれた80㎡以上の「スイートヴィラ」15室を提供します。1棟、1棟、細部までこだわり、贅沢なまでの寛ぎのひとときを演出する「スイートヴィラ」は、自然な光と風をダイレクトに感じながら、木の温もりを感じる建築美も愉しむことができます。那須の天然水で沸かす半露天仕様のお風呂や、開放感のあるテラスから、那須の自然を満喫することができ、「水庭」やレストランの食事と共に、寛ぎのひとときを過ごすことが可能です。
さらに、2024年初夏には、カジュアルに愉しめるツインタイプの「B&B(ベッド&ブレークファスト)」をオープン予定。カジュアルツインルームで、ベッド&ブレックファーストの宿泊スタイルを満喫できます。
(左から)千葉拓海総料理長、建築家・ 石上純也氏、株式会社タカラレーベン代表取締役 島田和一氏、株式会社タカラレーベン取締役 兼 執行役員 都市開発事業本部長 兼 戦略投資事業部長 岩本大志氏、 那須 無垢の音 総支配人 永山忠宏氏
株式会社タカラレーベン代表取締役 島田和一氏
開業に先立ち、3月27日(水)に「那須 無垢の音」にてオープニングセレモニーが行われました。セレモニーでは、株式会社タカラレーベン代表取締役 島田和一氏が、ホテル事業や「那須 無垢の音」について紹介。
島田氏は「タカラレーベンでは、企業ビジョン「幸せを考える。幸せをつくる。」を掲げ、全国分譲マンション供給戸数ランキングでは2023年に全国5位に位置し、全国で40都道府県にマンションを展開しています。
ホテル事業では、2022 年に、マンション事業で培った開発力や空間提案の知見を活かし、グループ初となる自社ホテルブランド「HOTEL THE LEBEN OSAKA」を大阪・心斎橋でオープンし、2026年12月には、かごしま空港ホテル「Fun&Cool Hotel KAGOSHIMA Airport」のオープンを予定しております。
この度、4月1日に新たに誕生する「那須 無垢の音」は、地産の美食と優雅な寛ぎを愉しめる「オーベルジュ」として開業し、7 月からはより気兼ねなくご宿泊いただける「B&B」をオープンする予定です。豊かな自然に恵まれた那須の地で、建築家・石上純也先生が手掛けた「水庭」を、お客様のニーズに合わせてお楽しみください」と述べました。
株式会社タカラレーベン取締役 兼 執行役員 都市開発事業本部長 兼 戦略投資事業部長の岩本大志氏
続いて、株式会社タカラレーベン取締役 兼 執行役員 都市開発事業本部長 兼 戦略投資事業部長の岩本大志氏より、「那須 無垢の音」のブランドコンセプトに触れたのちに、オーベルジュの顔となるレストランの紹介、客室である「スイートヴィラ」についての紹介がありました。
岩本氏は「「那須 無垢の音」は、石上純也先生が手掛けた「水庭」、美食を愉しめる「レストラン」と優雅にご滞在いただける「スイートヴィラ」から構成される「オーベルジュ」、7月開業予定の「B&B」の大きく3つに分かれたエリアで構成されています。
豊かな自然の中で清玲な水が育まれる、那須連山に囲まれたこの地をより一層お楽しみいただきたいという思いから、当宿泊施設では、那須の天然水を地下水脈よりくみ上げ、徹底した安全管理のもと全客室に提供しています。ミネラル分を含みスッキリした味わいが特徴の天然水と共に、素敵なティータイムや客室の半露天風呂で、くつろぎのひとときをお過ごしください。
また、開業記念として、期間限定で20%OFFの特別なプランを作成いたしましたので、この機会にぜひご利用いただき、水庭の新緑と共に那須の旬の食材をお愉しみいただければ思います」とコメントしました。
建築家・石上純也氏
「那須 無垢の音」のシンボルともいえる「水庭」を手がけた建築家・石上純也氏も登壇し、「水庭」への想いが語られました。
石上氏は「「現代の庭とは何か?」という題材のもと、約50年前水田だった土地の歴史と、この場所にある自然の素材を生かし、昔と現代の景色を重ね合わせたような新しい景色を作りたいという考えから、自然と人とが共存するアート「水庭」を構想しました。
現在の宿泊施設エリアにあった約三百数十本の樹林を采配しなおし、元々暗い環境であった森から、地面に太陽が当たる明るい環境へ変えていくことからはじめ、池の水は小川から水をひき、昔の水田を表現しました。また、この「水庭」では、元からある自然を活かし、少し整えることで、元々存在していたような、しかしながら自然界には存在しないような、新しい環境を作り上げることができました。
夏には、池の水、陸の草、光と影が交わる環境が作られ、秋には、色づいた葉が池の中に溜まる景色、冬には雪の白、影の黒のモノトーン景色に変化します。季節ごとに変化する「水庭」で、それぞれの景色で愉しんでいただきたいです」と語りました。
美しい大自然の中で、生命の息吹を感じ取れる空間とそこに滞在する時間、すべてが「無垢」な感情です。都会の喧騒を離れ、「那須 無垢の音」で、四季の移ろいをダイレクトに感じ、時に追われることを忘却するひとときをお過ごしください。
■那須 無垢の音(むくのね)
所在地:栃木県那須郡那須町高久乙道上2294-3
交通:JR「那須塩原」駅より車で30分
客室数:スイートヴィラ15室(1室82㎡)、カジュアルツイン20室(1室20㎡)
その他施設:レストラン、ワインバー、ショップ、カフェテラス、イベントホール、水庭
<スイートヴィラ 1泊2食付きプラン>
・15時チェックイン/11時チェックアウト
・ご滞在中は自由に水庭を鑑賞できます。
価格帯(年間平均)112,000円~(2名様1室、1泊2日2食付き)
《めぶき》シリーズ2023
執筆者:赤坂志乃
旅するわたしを生き、表現し続けてきた、アーティストの髙濱浩子さん。旅の中で生まれてきた多岐にわたる仕事を「木」に見立て、これまでの道のりを紹介する「旅する木 髙濱浩子 めぶきのまつり」が、4月9日(火)まで神戸・北野のギャラリー島田で開催されています。地階と1階の3会場を使い、初めて日替わりカフェもオープン。「みな誰もが旅の中、共に一つの場と時を分かち合う展覧会に」と、ギャラリーでは話しています。
髙濱さんは、1995年の阪神淡路大震災での体験をきっかけに、人間とアートについて問い続けてきました。
「震災の直後、路上で花の絵を描いていたら、おじさんに『美術とか全然わからへんし、美術館も行ったことないけど、お姉ちゃんが描いたその絵、家に持って帰りたいねん』と、話しかけられたんです。その時、絵は誰かの命とつながっていると強く思いました」と、高濱さん。
人間にとってアートって何だろう。その問いを抱え、髙濱さんは2008年、39歳の時にインドにわたり、詩人のラビンドラナート・タゴールの大学に1年間留学。ベンガル地方のシャンティニケタンに暮らしながら先住民の村を訪れ、原始的な営みに息づくアートに興味を持ちました。自然と共にある暮らしの中ではっきりわかったのは、「何もないは、すべてある」という感覚だったといいます。
今回の個展では、昨秋、14年ぶりに再びシャンティニケタンの地に戻って描いた51点の新作を中心に、髙濱さんが根源的な問いと向き合い根を張り、枝を広げていった仕事の全貌が、「枝・実」(1階deux)、「風・葉」(1階trois)、「土・根」(地階un)の3構成で紹介されています。
「この展覧会は『みる−みせる』ではなく、みんなが主役となり場をつくることで四方八方に種が広がって、いつかだれかの花になるかもしれない。それが希望であり、未来をつくると思っています」と、髙濱さん。
【枝・実】
1階troisでは、歩んできた道が枝となり、果実にように生み出されてきた作品を、旅のエピソードとともに紹介しています。神戸・元町で老舗文房具店と貿易商を営む家に生まれ、幼い頃から色を見ると音を感じ音を聞くと色を感じて、それを絵にしたり曲や詩をつくっていたという髙濱さん。1991年の初個展「水の上で」に始まり、様々な分野のアーティストと出会い影響を受け、展覧会での作品発表やイラストなど活動の場を広げてきました。
1階deux「枝・実」 の展示風景
右の柱に並ぶのは、変幻自在な《でぃだらぼっち 小さな巨人たち》2021
イベリア半島の海辺の町を題材にした《あおいまち》2006。海の底から見上げるような透明感のある青のゆらめき
宮古島列島にある大神島での出会いから描いた《南の旅 ゆりかごのうた》2021
【風・葉】
1階deux「風・葉」では、《旅する切手》シリーズが壁一面に。これは1枚のはがきサイズの画面に使用済み切手を貼り、色と線を添えた作品。貿易商を営んでいた高濱さんの亡き父の元に届いたエア・メールの切手への幼い頃の思い出から、空想旅行のような《旅する切手》は生まれました。これまでにつくられた作品は、2万7000枚にもなるそう。
《祝いの絵》2011(奥の4点)、《旅》2011(手前)
髙濱さんは、絵画の制作だけでなく、2018年から神戸市の3次救急病院でのトラウマインドームドケアの取り組みに参加するなど、国内外で環境教育や医療、福祉などのワークショップやファシリテーターを務めています。
「トラウマインフォームドケアのアートの時間は、参加者の方と絵を描き、自分で自分の心の傷を癒し回復する姿を見させてもらっています。ただ共にいること、それはとても創造的なこと」と、髙濱さん。
会場にはその関連資料なども展示されています。
アートワークショップやファシリテーターなどに関する資料も展示
今回、ギャラリー島田で初めて日替わりカフェが開店。日替わりマスターによるこだわりのチャイやコーヒー、スイーツなどが登場し、ギャラリーに新しい風を吹かせています。「お茶を飲みながらおしゃべりして、くつろいで楽しんでいただきたい。この空間で生まれるものすべてがアートです」と、ギャラリー島田の林淳子さん。
大好評のホロホロのチャイ屋さん
【土・根】
《SOUND》2009
地下1階unは、髙濱さんの根幹であるインドのシャンティニケタンで生まれた作品が空間を満たしています。出迎えてくれるのは、2009年にタゴールが開いたインド国立Visva-Bharati Universityの卒業制作として描いた、青い楕円の《SOUND》シリーズ。「一つの何かと一つの何かが出会う時、一つの音が生まれる」というステイトメントが添えられています。
「インドは毎日暑いので、早朝、日の出前に起きてヨガをして、石の上で自分の腕のストロークにまかせて描きました。この時インドで描いた作品はなぜか青ばかり」
その奥には、昨年11月、14年ぶりに再びシャンティニケタンの地に立ち還り描いた51点の新作が並び、ハッとさせられます。
2023年にインドのシャンティニケタンで描かれた新作
優しい色合いは、インドの土の色。絵筆は使わず、4色の土と墨、白泥などを手に付けて描かれています。中には緑を出すためにすりつぶしたモリンガの葉が混じっているものもあり、作品に囲まれていると自然浴をしているような安らぎを感じます。
何を描こうと思わず、土を指の間に挟んだり、手のひらで押し付けたり。スケッチブックをくるくる回しながら、紙の上で無心に手を動かしていると、プリミティブなダンスを踊っているような感じだったそう。
「日本画出身なので自然の鉱物も使ってきましたが、今回インドで生まれた絵は、これまでと違う。描くというより中に入っていく…。紙も土も目の前の人も自分の一部だという感覚でした」
そして、「地上で枝を広げ、葉が落ちて腐葉土となり、循環しているのが横軸の世界だとしたら、地下の目に見えない根っこの部分は縦軸の世界。自分だけの世界でなく、死んでいった人もこれから生まれてくる人も、過去も未来もつながり影響し合っている」と、髙濱さんは話します。
展覧会に関連して、トークやパフォーマンスなどさまざまなイベントも企画されています。
3月16日のトークイベント「痛みを希望に変えるアートって何だろう」には、四国こどもおとなの医療センターでホスピタルアートのディレクターをしているNPOアーツプロダクト代表の森合音さんをゲストに、アートがもたらす生きる力について対話が重ねられました。髙濱さんの作品を見て、「初めて出会う巨樹のような印象を受けた」という森さん。「アートは自然。病院にアートを取り入れるのは、壁に窓を開けるのと同じなんです」という言葉が印象的でした。
髙濱浩子さん|画家・アーティスト
1969年、神戸生まれ。1987年、嵯峨美術短期大学で日本画を専攻。1991年の個展をきっかけに、作品発表やイラストなど活動の場を広げる。1995年の阪神淡路大震災での体験をきっかけに人間の命とアートについて探求を始める。2008年にインドに渡リ、詩人ラビンドラナート・タゴールが開いた大学に1年留学。2011年、スペインで外尾悦郎氏(サグラダファミリア賠罪聖堂彫刻家)に学ぶ。近年、絵画制作だけでなく、国内外で環境教育、医療、福祉などのワークショップやファシリテーターも務める。
■旅する木 髙濱浩子 めぶきのまつり
会期:2024年3月16日(土)-4月9日(火)、※3月27日(水)、4月3日(水)は休廊
開廊時間:11:00-18:00 *最終日は16:00まで
場所:ギャラリー島田 B1F un & 1F deux & trois (神戸市中央区山本通2-4-24リランズゲート)
https://gallery-shimada.com/
イヴ・ネッツハマー《身体の外縁》 2012年 ギャラリー・ビアンコーニ(ミラノ)での展示映像より
執筆者:遠藤友香
謎めいてときに痛ましく、けれどもあくまでエレガントな線と形で紡がれる心象世界。スイス現代美術の「今」を体現する作家イヴ・ネッツハマー(1970-)は、通常の語りの論理を超えて展開するデジタル・アニメーションの映像に、自動機械など風変わりなオブジェを掛け合わせ、世界の起源や自己の根拠をめぐる問いが忘却の淵に押しやられながらもなお明滅する領域を、繊細に描き出してきました。
この度、ネッツハマーの日本での初個展が、宇都宮美術館にて 2024年5月12日(日)まで開催中です。デジタル・アニメーションの虚空間と奇妙なオブジェを掛け合わせ、土地の記憶の深層に潜行して起源の謎を照らし出すネッツハマーが、大谷採石場という巨大な地下空洞を宿す街、宇都宮と出会います。
イヴ・ネッツハマー
ここで、ネッツハマーについてご紹介しましょう。1970年にスイス・シャフハウゼンに生まれたネッツハマーは、建築製図やデザインを学んだのち、1997年より作家活動を開始しました。ピピロッティ・リスト(1962-)の次の世代を担う映像インスタレーション作家として注目を集め、2007年のヴェネツィア・ビエンナーレではスイス館代表を務めました。 これまで、サンフランシスコ近代美術館(2008 年)、ベルン美術館(2010-11年)など各地で個展を開催。大学や病院など、公共建築と一体化したプロジェクトでも、現代的な感性と機知にあふれた作品を手掛けています。2024年に長編デジタル・アニメーション映画「旅する影」を公開予定です。
本展の見どころとして、以下3つが挙げられます。
イヴ・ネッツハマー《反復するものが主体化する(プロジェクトA)》 2007年 ヴェネツィア・ビエンナーレ、スイス館での展示映像より
1.代表的な映像作品を上映
コンピューター・アニメーションによる無言劇の映像は、通常の語りの理路ではなく、イメージがイメージを呼ぶ原理に即して進行し、見る者を予測不可能な展開に引き込みます。
2.宇都宮の地下空洞に触発された竹のインスタレーション
宇都宮の大谷採石場には、神殿を思わせる魅惑的な地下空洞が広がっています。その光景に着想を得たネッツハマーは、今回竹を用いた大規模なインスタレーションを美術館で現地制作しています。
3.美術館建築とのスリリングな競演
作品が設置される土地や建築の記憶を肌で読み解くネッツハマー。今回の展示で彼は、周囲の森の情景を建物内に効果的に取り込む宇都宮美術館の空間と、作品で対話を交わします。
また、ネッツハマーの作品を鑑賞する際、以下3つのキーワードを念頭に置いておくといいでしょう。
1.線
イヴ・ネッツハマー《デジタル・ドローイング(黙示録シリーズより)》 2023年
ネッツハマーの表現の起点は、コンピューターによるデジタル・ドローイングの純化された線にあります。ドローイングの航跡それ自体はエレガントなまでに明晰でありつつ、描かれたイメージには、世界に対する違和の痛みを感じさせるような奇妙さが漂います。線は、ロープや針金などを用いてさらに現実の三次元空間へと展開されます。
2.人像
イヴ・ネッツハマー《伝記で舌を滑らせる》 2019/2022年 ハウス・コンストルクティーフ(チューリヒ)での展示風景
ネッツハマーのデジタル・アニメーションには、顔をもたず、性別もさだかでない抽象的な〈人像〉が繰り返し登場します。 映像の中で、それらは有無を言わさぬ状況の展開に巻き込まれ、ときには血を流し、煩悶し、危ういコミュニケーションに身を投じます。〈人像〉は、無防備な傷つきやすさと同時に、変容へと開かれた可塑性を感じさせる存在だと言えるでしょう。
3.潜る
イヴ・ネッツハマー《身体の外縁》 2012年 ギャラリー・ビアンコーニ(ミラノ)での展示映像より
設置される場や建物の深層記憶に感応するネッツハマーの作品には、地下や水中へと潜る〈人像〉がたびたび現れます。 宇都宮の大谷採石場跡、さらに近隣の足尾銅山跡の地下空間を訪れて触発されたネッツハマーが、われわれの深層に広がる空洞にどのように潜り、何を照らし出すのか、ご期待ください。
アンドレアス・バウム駐日スイス大使
2024年3月12日(火)に在日スイス大使公邸にて開催された、ネッツハマーによるアーティスト・トークにて、 アンドレアス・バウム駐日スイス大使は「イヴ・ネッツハマー氏は、最も著名なスイスの現代美術を代表する人物です。彼は、長年にわたり日本文化と深い関わりを培ってきました。
彼が描く線画は、魅力的な方法で空白の空間を切り取り、身体、動物の姿、あるいは見慣れた物体を常に単純な説明を拒む、メランコリックな鋭さで再構成しています。ネッツハマー氏のアートは、希望に操られながらも、その根底にある力を私たちに示し、言葉の向こう側にある空虚さに私たちを誘います。彼の作品は、意味の構造そのものに疑問を投げかけています。ネッツハマー氏が日本文化と歩む旅は、深い情報に裏打ちされながらも常に機敏です。
2024年は、スイスと日本の国交樹立160周年にあたります。今年1年を通じて、そして2025年の大阪・関西万博に向けて、私たちは両国の歴史における画期的なエピソードを紹介するとともに、芸術や文化からビジネスや科学に至るまで、様々な分野での創造と交流を促進します。このバイタリティスイスというコミュニケーションプログラムの枠組みにおいても、宇都宮美術館とパートナーシップを組めることを光栄に思います」と語りました。
ネッツハマーは「線画というのが、私の作品の基本になっています。私はパラドックスのような形で人の思いとかアイデンティティ、あるいは身体、社会、そしてその間の境界線を考えています。それを描くのに、すごく抽象的なデジタルドローイングの処方を使っています。手描きではなくて、マウスを使って描いているんです。
私はアーティストとしてはちょっと従来型のやり方とは違うんですね。ギャラリーと一緒に仕事をするというよりは、私は企画展、エキシビジョンを行っています。ですので、コミュニケーションの質を一連のプロセスの中で作り上げています。様々な社会に同時にアクセスすることができるし、様々なスキルを持った様々な人と仕事することができます。我々が自分たちのツールを変えていくことによって、何を見つけることができるのかというのが私の自分への問いです」と述べています。
ぜひ、ネッツハマーの世界観に浸りに、宇都宮美術館へ足を運んでみてはいかがでしょうか。
■イヴ・ネッツハマー「ささめく葉は空気の言問い」
会期:2024年3月10日(日)~ 5月12日(日)
休館日:月曜日(4/29、5/6は開館)、4/30、5/7
開館時間:9:30-17:00(入館は16:30まで)
※本展は他会場には巡回しません。
観覧料:一般1,000円(800円)、高校生・大学生800円(640円)、小学生・中学生600円(480円)
※( )内は20人以上の団体料金
◎身体障がい者手帳、療育手帳、精神障がい者保険福祉手帳の交付を受けている方とその介護者(1名)は無料。
◎宇都宮市在学または在住の高校生以下は無料。宮っ子の誓いカードまたは学生証をご提示ください。
◎毎月第3日曜日(3月17日、4月21日)は「家庭の日」です。高校生以下の方を含むご家族が来館された場合、企画展観覧料が一般・大学生は半額、高校生以下は無料となります。
◎4月2日(火)は「市民の日」振替日は、宇都宮市民の方は観覧無料。ご来館の際は住所が確認できる身分証明書をご提示ください。
展覧会についてのお問い合わせ:宇都宮美術館 Tel.028-643-0100
テープカットの模様。(左から)高橋恭市富津市長、粕谷智浩袖ケ浦市長、石井宏子君津市長、小出譲治市原市長、「百年後芸術祭」名誉会長 熊谷俊人千葉県知事、小林武史「百年後芸術祭」総合プロデューサー、渡辺芳邦木更津市長
執筆者:遠藤友香
千葉県誕生150周年記念事業の一つとして行われる、100年後を考える誰もが参加できる芸術祭「百年後芸術祭」。自然や文化資源などが豊かな千葉を舞台にした、新しい未来をつくっていくためのサステナブルなプラットフォームです。
その中で行われる「百年後芸術祭~環境と欲望~内房総アートフェス」は、市原市、木更津市、君津市、袖ケ浦市、富津市の内房総5市が連携し、官民協同による初の試みとして開催される芸術祭です。
総合プロデューサーは、本芸術祭の会場の一つである「クルックフィールズ」(木更津市)を営む音楽家の小林武史、アートディレクターは「いちはらアート×ミックス」(市原市)など、地域に根ざした芸術祭を数多く手掛ける北川フラムが務めます。
本芸術祭は、「LIFE ART」と「LIVE ART」の2本柱で構成され、「LIFE ART」では17の国と地域から総勢77組の国内外のアーテイストによる91点(うち新作/新展開作品60点)の作品が内房総の各地に展示されます。「LIVE ART」では音楽、映像、ダンス、テクノロジーが融合したライブパフォーマンスが開催されます。また、食をテーマとした体験型プログラムも展開。
小林武史「百年後芸術祭」総合プロデューサー
本芸術祭の開会式において、総合プロデューサの小林武史は、「小林さんにとっての100年後というのはどんな展望なんですか、というインタビューを受けたのですが、僕は意外とオプティミスティック、つまり楽観主義、楽観的な人間でして、100年後は何とかなるんだろうと思っているんです。その理由は、僕らには想像力があるからなんです。
僕が子供の頃からずっと思っていることなんですが、ここにも様々な命があって、土の中にも、僕らの体の中にも微生物とかも色々なものがいて、それらはこの果てしない宇宙の一端でもあります。このことを僕らは想像することができるんですね。想像ができる種は、僕らが知ってる限り、僕ら人間だけなんです。
東京からこれだけ近い距離の中、ここで新しい実感というものが生まれていきます。命、テクノロジー、アートなど色々なものが重なり合って、この場所を見てもらっても何となく伝わるかと思いますが、ここからこの芸術祭を通して新しい実感が生まれていく、それを皆さんとともに作り上げていきたいと思ってます」と語りました。
「百年後芸術祭」名誉会長 熊谷俊人千葉県知事
本芸術祭の名誉会長である熊谷俊人千葉県知事は、「あいにくの雨ではありますが、自然にとって雨というのは欠かすことのできないものですので、新たな芸術祭の始まりが雨でスタートするというのも一つの象徴ではないかなと思っています。
100年後芸術祭は昨年より県内各地で実施していまして、千葉県誕生150周年記念事業の一環として行っています。アート、映像、音楽などにSDGsの視点やテクノロジーを取り入れて、100年後の未来を考える、我々千葉県ならではの芸術祭です。
100年後芸術祭は県内6地域で開催されますが、この内房5市が連携をして開催される内房総アートフェスが最も規模が大きく、注目されるものです。本日から北川フラムアートディレクターによるアート作品展示を主とする「LIFE ART」、そして小林武史総合プロデューサーによる音楽を主とした「LIVE ART」、この二つを軸に開催されます。この二つのアートが混ざり合い、そして生まれる新たな表現を楽しみにしています。
この芸術祭をきっかけに、多くの方々にこの内房総に足を運んでいただき、アートの魅力に触れていただきながら、千葉の魅力を感じる機会にしていただきたいと考えています」と述べました。
次に、各市ごとにおすすめのアート作品をピックアップします!
■市原市
県内で最も広い市域を有し、市域の南北を養老川と小湊鉄道が縦断します。
市北部の埋立地は全国上位の工業製品出荷額を誇る工業地帯。市南部の里山では、これまでの「いちはらアート×ミックス」の成果を継承し、「アート×ミックス2024」として展開します。
近年、約77万年前の地磁気逆転現象が世界中で最もよく観察できる場所として、養老川田淵の地磁気逆転地層が国際基準となり、地層年代「チバニアン」が命名されました。
<旧里見小学校>
1.豊福亮《里見プラントミュージアム》
豊福亮《里見プラントミュージアム》
市原の原風景である里山に、市原の工場夜景をモチーフとしたミュージアムをつくり出しています。1960年代から市原の湾岸部につくられた工業地帯は、60年以上にわたって休まず、たゆまず、動き続けてきました。これら工場群は、今では市原の象徴的風景の一つです。
原田郁《HOUSE #001》
体育館には、角文平のドラム缶に積み上げられたオブジェが、絶えず中身を循環させる作品や、栗山斉の大気圧と真空でつくられたトンネルの構造を観測する作品、原田郁の仮想空間におけるユートピアをモチーフに描かれた作品など、5人の作家による工業的なエッセンスをもった作品も展示されています。
2.エルヴェ・ユンビ《ブッダ・マントラ》
エルヴェ・ユンビ《ブッダ・マントラ》
アジアの精神である仏教と、アフリカで今も重要視されている祖先崇拝の要素を対話させることにより、違いを受け入れる寛容さと友愛を称える作品。
空間の中央には木製の仏陀像のレプリカが置かれ、周囲を15種類の仮面が囲んでいます。彫像とマスクには、アジアとヨーロッパの両方で生産され、特にアフリカの美術品に重用されてきたガラスビーズが用いられています。
3.EAT&ART TARO《SATOMI HIROBA》/《おにぎりのための運動会!》
EAT&ART TARO《SATOMI HIROBA》
旧里見小学校の校庭に新たにつくられる《SATOMI HIROBA》は、地元の人や来訪者が集える場所です。アーティストのEAT&ART TAROがディレクションし、シェフの塩田済が提供する手作りのベーコンを使ったフォカッチャサンド、房総の豚肉の揚げたてカレーパン、その場で自分でつくれる生いちごミルクなど、房総の恵みを思う存分味わうことができます。天気の良い日はピクニックや焚き火を行います。
3月30日(日)、4月27日(土)、5月18日(土)には、おにぎりを一際美味しく食べることを目的とした運動会《おにぎりのための運動会!》が行われます。ラジオ体操や綱引き、おにぎりころがしなど、参加者が紅白2組に分かれて競います。
様々な世代の参加者が入り混じり、白熱した後の昼食には、お目当てのおにぎりが配られます。気になる方は、ぜひ参加してみては?
■木更津市
東京湾アクアラインの玄関口である木更津市金田地区には、全国屈指のアウトレットモールをはじめ、様々な大型商業施設が進出し、休日には首都圏などから観光客が来訪します。
木更津駅周辺の情緒ある街並みや、東京湾に残された貴重な自然の海岸である盤洲干潟、農業・食・アートを一度に体験できる施設「クルックフィールズ」の3カ所でアート作品を展開します。
<クルックフィールズ>
4.草間彌生《新たなる空間への道標》
草間彌生《新たなる空間への道標》
真っ赤なオブジェに、白い水玉模様が施された草間彌生の作品《新たなる空間への道標》。草間は、以下のコメントを寄せています。
「赤い炎の色から、全世界と宇宙の中で私たちの未来を暗示するこの作品は、我々に無限大の未来を与え続けているいま。我々は道標の強い生命の輝きを永遠に讃歌し続け、深い感動をもって世界中に多くのメッセージを送り続けていくその素晴らしさ。そのことを全人類の人々は心の中で永遠に持ち続けてやまないことを私は信じきっている。この素晴らしい彫刻に対する大いなる感動を、毎日語り続けていく我々の人生観を忘れない。すべて万歳。彫刻よ万歳。赤い彫刻よ万歳」。
5.アニッシュ・カプーア《Mirror (Lime and Apple mix to Laser Red)》
アニッシュ・カプーア《Mirror (Lime and Apple mix to Laser Red)》
アニッシュ・カプーアは、ヨーロッパのモダニズムと仏教やインド哲学などの東洋的世界観を融合させ、シンプルな形と独自の素材の選択により、虚と実、陰と陽など両極端な概念を共存させた彫刻作品で知られています。
見る角度によって色彩も形状も表情が変わって見える本作《Mirror (Lime and Apple mix to Laser Red)》は、異世界への入り口を思わせる神秘性を持つ一方、いまここに命を宿しているかのようでもあり、太陽の光や熱、人間の臓器や血液などを想起させ、その手触りを伝えてくれるようでもあります。
6.島袋道浩《ツチオとツチコ:55年後のBED PEACE》
島袋道浩《ツチオとツチコ:55年後のBED PEACE》
1990年代初頭より国内外の多くの場所を旅し、その場所やそこに生きる人々の生活や文化、新しいコミュニケーションのあり方に関するパフォーマンス、映像、彫刻、インスタレーション作品などを制作している島袋道浩。詩情とユーモアに溢れながらもメタフォリカルに人々を触発するような作風は、世界的な評価を得ています。
こちらの作品《ツチオとツチコ:55年後のBED PEACE》に関して、島袋は「遠く離れた二つの場所の土をそれぞれ人の形に置いてみた。土と土の出会い。土のハネムーン。その様子を眺めながら、ふと『人は死んで土に還る』という言葉を思い出した。この土の二人は本当に人だったかもしれない。また、この二人をいつかどこかで見たことがあることにも気づく。1969年、アムステルダム、ヒルトンホテルのジョンとヨーコ。ちょうど僕が生まれたあの年はベトナム戦争の最中だったけれど、50数年たった今もウクライナやガザ、そして世界のあちらこちらで戦闘が続いている。55年後のBED PEACE。100年後を考えるにはその半ば、50年後あたりが大切だと思う。50年後に誰かが引き継ぐ、語り継げば100年後にもきっと伝わる。届く。50年後、そして100年後、まだ戦いは続いているのだろうか?」とコメントしています。
■君津市
1960年代に製鉄所が進出して町の風景が一変、全国各地からの移住で人口が急増しました。八重原周辺は、移住者増加による強い影響を受けた地域の一つで、数多くの団地が建設されましたが、現在は住宅街に置き換わりつつあります。
大きく発展した市街地に対し、内陸部には房総丘陵の大自然が広がっており、豊富な湧き水が数多くの酒蔵や全国有数の「水生カラー」の生産などを支えています。
<八重原公民館>
7.深澤孝史《鉄と海苔》
深澤孝史《鉄と海苔》
海苔の養殖で栄えた君津ですが、1961年の製鉄所稼働開始に合わせて漁業権が放棄され、北九州の八幡を筆頭に各地の製鉄所から2万人規模の労働者が移住しました。
また、初期の海苔の養殖では「ヒビ」と呼ばれる漁具を使って海苔を収穫しており、その素材に用いられていた「マテバシイ」も、元は九州南部や南西諸島に自生する日本固有種です。海苔も鉄も人間の生活のための産業で、偶然にもマテバシイと労働者は九州地方から移動して土着し、やがて君津の風景の一部となりました。深澤孝史の作品《鉄と海苔》は、その年月を想起させます。
8.佐藤悠《おはなしの森 君津》
佐藤悠《おはなしの森 君津》
一枚の絵を書きながら、その場にいる全員で即興の「おはなし」をつくるパフォーマンス「いちまいばなし」。「何がどうした?どうなった?」と参加者へ順番に続きを聞いていき、答えた内容を一枚の絵に描き足していきます。
「面白い『おはなし』は、既に参加者の中にある」とし、それらを紐解きながら取り出していく作品です。3人以上の希望者が集まれば、そこからパフォーマンスが始まる、と佐藤悠は述べています。
■袖ヶ浦市
アクアラインで都心へのアクセスが飛躍的に向上し、袖ヶ浦駅海側地区はここ数年の開発で大規模な住宅地が形成され、急速に発展しています。四季の花が咲き香る袖ヶ浦公園周辺に作品を展開し、地域の歴史を学べるスポットがアート空間へと様変わりします。
<袖ヶ浦公園>
9.大貫仁美《たぐり、よせる、よすが、かけら》
大貫仁美《たぐり、よせる、よすが、かけら》
千葉県は全国でもっとも多くの貝塚を有しています。こちらの展示場所付近にも山野貝塚をはじめ多くの古代の痕跡があり、出土された多くの「断片」からは、先祖たちの息遣いを感じることができます。
大貫仁美は「一つひとつは無為な断片であっても、確かな日常がそこにはある」と考え、旧家に佇むガラスの「断片」で継がれた衣服やかけらによって、この地を生きた人の気配、痕跡の可視化を試みています。
10.東弘一郎《未来井戸》
東弘一郎《未来井戸》
東弘一郎は西上総地方の小櫃川、小糸川流域で開発、発展した井戸掘り技術である「上総掘り」のダイナミズムに着目し、それを自身を代表する大型の金属作品と重ね合わせて表現。
作品は実際に掘削機能を兼ね備え、訪れる人々が自らの手で作品を体験すると、同時に穴が掘られていきます。会期が進むにつれて穴の深さが増していき、伝承技術の新たな歴史となって、人々の記憶に刻まれていくことでしょう。
■富津市
南北約40kmの海岸線の多くが自然海岸で、東京湾に突き出た富津岬が代表的です。岬先端の富津公園には、明治百年記念展望塔やジャンボプールなどがあります。周辺では、潮干狩りや海水浴などのレジャー、県下最大の生産量を誇る海苔の養殖や、潜水士による貝類の採取も行われており、そうした海の要素を取り入れたアート作品を展開します。
<富津公民館>
11.中﨑透《沸々と 湧き立つ想い 民の庭》
中﨑透《沸々と 湧き立つ想い 民の庭》
埋立地に立つ富津公民館を中心とした、中﨑透の巡回型インスタレーション作品。地域に所縁のある4人にインタビューを行い、富津の漁業や岬周辺の公園、海や街についての話を聞き、その言葉から引用した20~30のエピソードを会場内に配置。エピソードとオブジェクト(制作した作品や備品、残置物を組み合わせたもの)をたどりながら、富津にまつわる物語を体験できる作品です。
<下洲漁港>
12.五十嵐靖晃《綱の道》
五十嵐靖晃《綱の道》
およそ50年前に行われた埋立開発は海の風景・漁場、人々の営みを変えてきましたが、ここ富津の海では、海苔漁が受け継がれて今の姿があります。
五十嵐靖晃の作品《綱の道》は、この地で先代を含んだ漁師たちと協働で海苔綱の道を編み、これからの50年に向けて50年前の志気を編みつないだもの。富津岬を挟んだ南北2つの網の道を歩き、水際の風景を眺めながら、地域社会の変容を体感すると共に、人と海の関係の100年後を想像してみてください。
以上、千葉県誕生150周年記念事業の一環として開催中の「百年後芸術祭~環境と欲望~内房総アートフェス」についてご紹介しました。小林武史は「経済合理性に強く引っ張られる都市だけに未来を委ねるのでは危ういことが明らかになっているいま、百年後芸術祭がこれから続いていく未来に対して、何かのきっかけになり、役割を果たしていけることを願っています」と述べています。100年後を思うことは「利他」そのもの。最初で最後の本芸術祭にぜひ足を運んで、100年後の未来に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
■「百年後芸術祭〜環境と欲望〜内房総アートフェス」LIFE ART
開催期間:2024年3月23日(土)〜5月26日(日)
※火・水曜日定休(4月30日・5月1日は除く。一部施設は通常営業)(全49日)
開催時間:10時〜17時 ※作品によって公開日・公開時間が異なる場合があります。
当日パスポート:2024年3月23日(土)〜5月26日(日)
価格:一般 当日 3,500円
小中高 当日 2,000円
小学生未満 無料
※芸術祭の全会場へ各1回入場可能(ただし、有料イベントや有料体験ワークショップなどは別料金)
※2回目からは個別鑑賞券が必要。
■「百年後芸術祭〜環境と欲望〜内房総アートフェス」LIVE ART
・4月6日(土) 富津公園ジャンボプール(予定)
「不思議な愛な富津岬」
出演:アイナ・ジ・エンド/ 東京 QQQ(アオイヤマダ/かんばらけんた/ Kily shakley /KUMI/ 高村月/ちびもえこ/平位蛙 /MONDO/山田ホアニータ) 小林武史&スペシャルバンド
衣装:ひびのこづえ
・4月20日(土)、21日(日) クルックフィールズ(木更津)
「super folklore(スーパーフォークロア)」
出演:櫻井和寿/ スガ シカオ/ Butterfly Studio(guest vocal : Hana Hope/ dancer:KUMI/ 高村月/ dance: 浅沼圭 小林武史(Key)/ FUYU(Dr)/ 須藤優(Ba)/ 名越由貴夫(Gt)/ 沖 祥子(Vl)
・5月4日(土)、5日(日) 君津市民文化ホール
「dawn song(ドーンソング)」
出演:宮本浩次/ 落花生ズ(ヤマグチヒロコ、加藤哉子)/ dance:浅沼圭 小林武史(Key)/ 玉田豊夢(Dr)/ 須藤優(Ba)/ 名越由貴夫(Gt)/ ミニマルエンジン(四家卯大(Vc)、竹内理恵(Sax))
・5月12日(日) 袖ケ浦市民会館
「茶の間ユニバース」
出演:綾小路翔 / 荻野目洋子/ MOROHA/落花生ズ(ヤマグチヒロコ、加藤哉子) and more 小林武史&スペシャルバンド トータルプロデュース:小林武史
■芸術祭を楽しむためのモデルコース
〇車で巡るモデルコース①(市原市、木更津市、袖ケ浦市)
晴れの日に、里山・街中を散策しながら作品を鑑賞するコース。合計49作品ご覧いただけます。
【行先】上総牛久駅周辺→旧里見小学校→月出工舎→クルックフィールズ→木更津駅周辺→袖ケ浦公園周辺
〇親子で楽しめるモデルコース(車)
体験型アートなど、子供も大人も楽しめる作品を中心に車でゆったり巡るコース。合計27作品ご覧いただけます。
【行先】内田未来楽校→千田泰広「アナレンマ」→旧里見小学校→富津公民館・富津埋立記念館→クルックフィールズ
〇無料周游バスで巡るモデルコース①
海沿いの富津~市原市南部の里山の広範囲を走破するコース。合計40作品ご覧いただけます。
【行先】富津公民館・富津埋立記念館→クルックフィールズ→市原湖畔美術館→月出工舎
※他のコースやタイムテーブルなどの詳細は、コチラをご覧ください。
■「月夜のアートキャンプ」
GW最後の日は、月出の森でいつもとはひと味違う体験をしてみませんか?10年かけて開拓した森の中に身を投じ、ちょっとドキドキな闇夜の中でアート作品を鑑賞したり、焚き火をしたり、季節の食材で燻製を作ったりなど、都会では味わえない「LIFE ART」を!
5月5日(日・祝)日没から(目安19時)、月出工舎(市原市月出1045)、参加費無料、申込不要
詳細はコチラから。
執筆者:遠藤友香
日本はかつて、17世紀から19世紀までの約200年間、政策により海外との交わりを断っていた歴史を持っています。ヨーロッパ諸国やアメリカ、ロシアの要請で開国することになったとき、最初に設けられた5つの港のうちの一つとなったのが横浜でした。1859年のことでした。以来横浜には、新しい文化が次々と流入し、時に衝突を孕んで混じり合う特別な場所として今日まで発展してきました。
そんな横浜で、3年に一度開催される現代アートの祭典「横浜トリエンナーレ」。2001年にスタートし、200を数える国内の芸術祭の中でも20年以上の長い歴史を誇っています。第8回目となる今回は、北京を拠点として国際的に活躍するアーティストとキュレーターのチーム、リウ・ディン(劉鼎)とキャロル・インホワ・ルー (盧迎華)をアーティスティック・ディレクター(AD)に迎えます。
全体テーマは「野草:いま、ここで生きてる」で、これは中国の小説家である魯迅(1881~1936年)が中国史の激動期にあたる1924年から1926年にかけて執筆した散文詩集『野草』(1927年刊行)に由来します。『野草』は、当時魯迅が向き合っていた個人と社会の危機に満ちた現実を、抽象的に描き出しています。『野草』には、魯迅の宇宙観と人生哲学が込められています。
本芸術祭は、横浜駅から山手地区におよぶエリアを使って、ADが手がける国際展「野草:いま、ここで生きてる」(横浜美術館、旧第一銀行横浜支店、BankART KAIKO、クイーンズスクエア横浜、元町・中華街駅連絡通路の5会場)と、 地域の文化・芸術活動拠点による展示やプログラム「 アートもりもり!」の2本柱で構成されています。「野草」展には93組の多様な国/地域のアーティストが参加。このうち新作を発表するアーティストは20組、日本で初めて紹介されるアーティストは31組です。
第8回横浜トリエンナーレ総合ディレクター/横浜美術館館長の蔵屋美香
記者会見において、第8回横浜トリエンナーレ総合ディレクター/横浜美術館館長の蔵屋美香は「横浜は160年近くの間、国際貿易港として栄えてきました。その歴史を踏まえて、本芸術祭は国際性を大きな特徴の一つにしています。31の国と地域からアーティストが参加をしており、世界の声を横浜に一堂に集めてご紹介する機会となります。
私達の暮らしは考えてみますと、災害や戦争、それから気候変動や経済格差、そして互いに対する不寛容など、かなり生きづらさを抱えています。今回の展覧会は、この生きづらさがどうして生じてきたのかということをたどりながら、みんなで手を携えて共に生きていくための知恵を探る企画となっています。
国際展「野草:いま、ここで生きてる」と「 アートもりもり!」といったテーマで手を結ぶことによって、国際性からローカルに根ざすものまで、様々なアートが横浜に息づいている様を、街歩きを楽しみながらご覧いただける企画になっています。
もう一つの特徴は、色々な人を歓迎するトリエンナーレであるということです。横浜美術館は3年の間工事休館をしていましたが、この横浜トリエンナーレを持ってリニューアルオープンします。エレベーター、多機能トイレ、授乳室など、バリアフリーの設備を完備しています。
例えば、小さい子供がいる、あるいは体力に自信がない、足が悪いなど、街歩きを楽しむのはちょっと辛いなという方にも、美術館会場で安心してたくさんの作品を楽しんでいただける優しい作りになっています。そして、今回親子が安心して楽しめる子供のアート広場「はらっぱ」というスペースもご用意しています」と述べています。
※「つくる・あそぶ・くつろぐ」ために用意された美術館内のスペース「はらっぱ」では、スタンプを使って創作したり、展覧会の感想を書いたり、休んだり、いろいろな過ごし方ができます。乳幼児を連れて休憩できるコーナーもあります。
ADのキャロル・インホワ・ルー(盧迎華)
また、ADのキャロル・インホワ・ルー(盧迎華)は「この度、2年以上に及ぶ入念な準備を経て、ついに「野草:いま、ここで生きてる」を皆様にお届けできることを大変光栄に思います。
1902年4月4日、当時21歳の魯迅は、高い志を胸に中国から横浜に降り立ち、その後7年にわたる日本留学を開始しました。当初医学の勉強を目的としていた魯迅でしたが、まもなく文学の追求にその目的を切り替え、帰国後、魯迅は1910年代後半から、中国の知識人界の第一人者となりました。魯迅は厨川白村を始めとした日本の重要な文学者から着想を得ました。
今回の「野草」というタイトルは、魯迅の同名の文学作品『野草』に由来しています。『野草』は、あらゆる制度や規則、規制、統制、権力に超然と立ち向かい、個人の生命の抗いがたい力を、高潔な存在へと高めた内容となっており、希望ではなく絶望を出発点としています。
ビエンナーレやトリエンナーレのような大規模な国際展は、資本やアウトマーケットなどが大きな力をふるう一方で、単なるスペクタクルとなってしまっており、歴史的な深さの欠如や現実との乖離といった課題を抱えていることに気づきました。私達はこれらの問題に取り組みたいと考えています。私達はこのトリエンナーレに今日私達が置かれている複雑な歴史的状況を反映させたいと思っています。私達は人間社会の活動や経験、歴史をつぶさに見つめ、私達自身や隣人、そして友人の歴史から学ぶことができると信じています。英雄のように成功した人物の人生だけではなく、多くの一般的な庶民の人生を描きたいと考えています。
近年の様々な危機の連鎖は、人間の存在の脆弱な状態を明らかにしただけではなく、20世紀に考案された政治制度や社会組織のモデルの様々な限界を露呈させています。社会主義体制の衰退と、東西冷戦の終結に続く現代の世界秩序は、新自由主義経済と保守性と保守政治の支配によって特徴づけられています。新自由主義体制は、市民ではなく消費者を、共同体ではなくショッピングモールを生み出します。新自由主義体制は、個人が互いに阻害され、自己認識が道徳的に破綻し、社会化が弱体した原子化した社会を作り出しました。
私達は、今日の経験を芸術的なアプローチで表現する必要性を感じており、このトリエンナーレで、今日版の『野草』を構成したいと考えています。アーティストの作品を通して、私達は20世紀初頭からの歴史的瞬間、出来事、人物、思想の傾向のいくつかを辿ります。歴史的な作品と、現在を直接的に扱った作品を並置することで、時間の境界を曖昧にし、歴史と現在が互いに鏡のように映し出されるようにします。本トリエンナーレのテーマは、新しい社会関係を創造し、個に立脚した国際主義を呼びかけるというビジョンを持って、個人の主体性や謙虚なヒューマニズム、勇気、レジリエンス、信念全体を語っています。ぜひ、ご紹介した展覧会のアイデアをご自身で探索してみてください」と語りました。
次に、「野草:いま、ここで生きてる」展で展開されているアート作品をご紹介します。
■横浜美術館
1.オープン・グループ《繰り返してください》
オープン・グループ(ユリー・ビーリー、パヴロ・コヴァチ、アントン・ヴァルガ)《繰り返してください》2022年
ウクライナのアーティスト6人によって2012年に結成されたオープン・グループ。うち3人を軸に編成を変えながら、コミュニティへの関与や協働、対話や討論をもとに作品を制作しています。
この映像は、ロシアによるウクライナ侵攻にともなって、リヴィウの難民キャンプに逃れた人々に取材したもの。国民に配布された戦時下の行動マニュアルに想を得ています。そこには、音によって兵器の種類を聞き分けたうえで、いかに行動するべきか、という手引きが示されています。武器の音を口で再現する人々の姿は、生きるために新たな知識が必要となったウクライナの今ある現実を生々しく伝えています。
2.志賀理江子《霧の中の対話:火ー宮城県牡鹿半島山中にて、食猟師の小野寺望さんが話したこと》
志賀理江子《霧の中の対話:火ー宮城県牡鹿半島山中にて、食猟師の小野寺望さんが話したこと》2023-2024年
志賀理江子は2008年に宮城県に移住して以来、その地に暮らす人々と触れ合いながら、人間と自然との関わりをメインテーマとした作品を制作し続けています。
回廊に並んだ11点の写真は、主に宮城県の牡鹿半島で撮影されました。そこに作家自身の手で書き込まれたテキストは、牡鹿半島の鹿猟師、小野寺望へのインタビューの記録です。「誰の杓子定規で物事を考えるか」と小野寺が問うとき、東日本大震災からの「復興」と原発再稼働を巡る議論に抜け落ちた視点があらわになる、と志賀は言います。私達の体内に流れる血としての「赤」によって可視化された光景は、人間・社会・自然の間を循環するより根源的なエネルギーの存在を示しているかのようです。
3.志賀理江子《緊急図書館》
志賀理江子《緊急図書館》2024年
志賀は、3階の回廊に展示された写真作品とあわせて、小さなライブラリーを開室しています。名付けて「緊急図書館」。小説、紀行文、詩集、哲学書、科学書、社会学の本など、著名/マイナー、国外/国内を問わず、オールジャンルの本が書棚に並びます。これらは回廊の写真作品に書き込まれた小野寺望のインタビューの内容に沿った15にキーワードにしたがって、ゆるやかに分類されています。その書籍も各々の視点から、私達の生活を取り巻く待ったなしの課題、危機に対処するヒントを与えてくれます。
4.厨川白村『象牙の塔を出て』
厨川白村『象牙の塔を出て』
厨川白村は、約100年前の大正時代に活動した英文学者・文芸評論家です。この時代の日本では、資本主義が勃興し、経済的、政治的な対立が激化していました。その中で厨川は『象牙の塔を出て』(1920年刊)を発表しました。そして、芸術家は「象牙の塔」に閉じこもらず、現実に起きている問題と密接な関係を持たなければならないと主張しました。
また、関東大震災で亡くなった後に出版された『苦悶の象徴』(1924年刊)では、人間の生命力が抑圧されたときに生まれる苦悶を表現するものこそ芸術である、と説きました。魯迅は『野草』の執筆と同時にこの本の翻訳を進めており、『苦悶の象徴』は『野草』の思想にも影響を与えたと言われています。
5.尾竹永子《福島に行く》
尾竹永子《福島に行く》(2014ー2019)
尾竹永子は2014年から2019年にかけて、福島第一原子力発電所周辺を5回にわたって訪れました。この映像作品は、その際に写真家のウィリアム・ジョンストンが撮影した写真と、尾竹による文章で構成されています。
災害や戦争で家を追われ、あてもなくされてしまう。私達はこうした事態を遠くのことと捉えがちです。しかし実際には横浜から電車で3時間半ほどの場所に、3.11の後、今も人が戻ることのない地域が広がっています。尾竹の身体は直立することなく、うずくまったり地面に寝そべったりしています。打ちのめされたようにも、傷ついた大地に寄り添うようにも見えます。
6.サンドラ・ムジンガ《出土した葉》
サンドラ・ムジンガ《出土した葉》2024年
赤い浮遊物と、地面に立つ茄子色の物体。そのかたちは恐竜やSFに登場する怪獣を思わせます。鉄を用いた骨組みは、ロボットやサイボーグを連想させるかもしれません。まるで古代と未来が複雑に重なり合うようです。
サンドラ・ムジンガは、遠い過去または遥かな未来において、今より厳しい環境に生きる「自分ではないもの」になってみたらどう感じるかを想像するのが好きだ、と語ります。では、私達もこれらの「怪獣」の身になって、例えば自分が地球環境の変化により死の脅威にさらされていると想像してみましょう。すると、表面の皮膚だけでできたその姿が、私達を包み、外の世界から守ってくれる衣服のようにも思えてきます。
7.イェンス・ハーニング《Murat》
イェンス・ハーニング《Murat》2000年/2024年プリント
現在、市場主義を重視し、公共サービスや福祉を切り詰める「新自由主義」が世界に広がっています。イェンス・ハーニングは1990年代から、そうした社会で生じる排除や包摂、境界や越境といったテーマを扱ってきました。
この作品は、コペンハーゲンに住む移民一世を撮影したものです。ファッション系の雑誌やSNSでよく見る、「街角で見つけたおしゃれな人のスナップ」手法を真似て、モデルが着ている服のブランド名や値段が書かれています。しかし一般的に流行を語る際、ランウェイでトレンドが生み出されることが圧倒的で、ここに写るような人々が取り上げられることはあまりないと言っていいでしょう。作者は、社会的に見えなくなっている排除の現実を私達に突き付けます。
8.岡本太郎《題不詳(縄文土器)》
岡本太郎《題不詳(縄文土器)》1956年
第二次世界大戦後、日本は荒廃した社会の再建に全力を尽くしました。その一方で、多くの知識人が「帝国日本」の権力システムや、近代化の過程で信奉し取り入れてきた西洋の合理的な知の在り方に鋭い批判の目を向け、「主体性」の確立を主張しました。こうした知の在り方や権力システムを無自覚に受け入れてきたことが、人々を戦争に導いたという確信と反省があったのです。
日本の芸術の分野では、このような内省を踏まえ、古代天皇制が確立するより遥か前の古い伝統に、戦前戦中のナショナリズムに代わる新たな文化的アイデンティティを求める傾向がみられました。1950年代の日本芸術にみられた「縄文ブーム」はその傾向のひとつです。岡本太郎、児島善三郎など、欧米留学から帰国した当時の日本の前衛芸術家は、縄文時代(紀元前12,000年頃から紀元前300年頃)の遺物、美学に目を向け、その中に創作の源泉を見出そうとしました。彼らは、縄文土器の巨大なエネルギーに、人類が進歩の過程で失ってしまったものを見出し、文化そのものを再構築するにあたって重要な示唆を得たのです。
1930年にヨーロッパへ渡った岡本太郎は、パリで抽象絵画に目覚め、また民俗学も学びました。帰国した岡本は、日本における前衛芸術運動の中心人物として活動する一方、戦後の1951年、東京国立博物館における「日本古代文化展」で、縄文土器の美を発見します。1956年には、自ら撮影した土器の写真と「縄文土器論」を収めた『日本の伝統』を刊行します。民俗学の知識と強烈な発信力を兼ね備えた岡本は、こうして縄文ブームの火付け役となりました。その影響は、美術、建築、デザインなど幅広い分野に広がりました。
■BankART KAIKO
9.クレモン・コジトール《ブラギノ》
クレモン・コジトール《ブラギノ》2017年
ブラギヌ一家はシベリア東部、北方性針葉樹林(タイガ)地帯に住んでいます。都会を離れ、自給自足の暮らしをしているのです。しかし、美しい自然に囲まれたその日常は、決して平穏ではありません。一家は、川の対岸に住むキリヌ家と、土地や資源の分配を巡って長年対立しています。
資本主義の世から逃れて新しい生き方を始めたはずなのに、そこに生じたのは一層激しい所有欲と、そして憎悪でした。両家の唯一の接点は、子供達の遊び場である川の真ん中の小島です。子供達は、互いへの好奇心と親から教えられた憎しみの間で揺れ動いています。次の世代を担う彼らは、果たして共に生きるための別のルールを見出すことができるでしょうか。
■旧第一銀行横浜支店
10.プック・フェルカーダ《根こそぎ》
プック・フェルカーダ《根こそぎ》2023年ー2024年
アーティストのプック・フェルカーダ
気候変動や環境破壊は、人間の未来や生存に関わる深刻な問題です。自然界が人間の思い通りにならないだけでなく、人間自身が自らに不適切な自然環境をつくり出しています。人間が生き延びるためのヒントは、自然を改変することにではなく、むしろ自然を見習うことにあるのではないでしょうか。
作家はこの新作で、多くの種類が同じ土に共存し、柔軟に形を変え、依存しあって生きる植物の性質に注目しました。そんな植物のように、私達も、常に変わりゆくものとしての世界を受け入れ、凝り固まった考えや旧態依然とした社会の仕組みを打ち破ることができれば、その時、この映像の主人公であるヒューマノイドもはじめて安住の地を見つけるかもしれません。
次に、「 アートもりもり!」の展示作品をピックアップします。
■BankART Life7「UrbanNesting:再び都市に棲む」
11.佐藤邦彦《Retouch》
佐藤邦彦《Retouch》
横浜には、日本の近代の歩みを示す様々なモニュメントがあります。土地の歴史を語り市民に誇りを持たせてくれる一方で、今日注視する人は多くありません。そこで改めてモニュメントに注目し、そこから歴史と現在、そして写真との関係を考えてみたい、と佐藤邦彦は語ります。
写真シリーズ《Retouch》は、横浜にあるモニュメントを撮影し、画像加工で碑文を削除したもの。モニュメントを、言葉のない物体の写真とキャプションとして再構成しています。
■黄金町バザール2024 ―世界のすべてがアートでできているわけではない
12.井上修志《日和山の階段を新しい視点まで延長してみる》
井上修志《日和山の階段を新しい視点まで延長してみる》2021
宮城県石巻市にある日和山の山頂まで続く大きな階段。2011年3月11日に起きた東日本大震災では、多くの人々が津波から逃れるために、この山に登り生還しました。作家もその一人でした。
山頂から一望できる被災した街は、強固な防潮堤の建設や土地のかさ上げなど、震災からの復興真最中の工事現場となっていました。科学技術の進歩と共に更地になった街は、新たな姿へと変化していきました。
井上修志は作品として、日和山の階段を延長しました。これまで多くの人が見ていた風景を少し高い視点から臨み、新たな視点から現在を俯瞰して考えてみたそう。その行動は、次の世代へと伸びる階段の新たな一段を作るものになるでしょう。
■みなとみらい線馬車道駅コンコース
13.石内都「絹の夢―silk threaded memories」
石内都《絹の夢―silk threaded memories》2011年
写真家の石内都
馬車道周辺は、かつて横浜開港から近代の礎を築いた「生糸貿易」に携わる商館や検査所が置かれ、関東甲信越一円から集積された生糸が欧米へと輸出されました。この絹に縁ある地に石内都は《絹の夢―silk threaded memories》として、紡がれた空間を立ち現します。
《絹の夢》で撮影されているのは、主に「銘仙」と呼ばれる着物で、くず繭の糸を平織りした絣(かすり)の絹織物です。横浜に運び込まれた高級な輸出用の絹とは対極的な、むしろその副産物であったとも言えます。一方でデザインは、ヨーロッパの前衛的な動向を取り入れた斬新な柄物が多くみられ、日本の近代化を支えた女性たちの普段着として愛用されていました。
今回の展示では、この《絹の夢》のシリーズから銘仙の着物地と共に、繭や生糸、石内の生まれ故郷である群馬県の製糸工場など、絹が煌びやかな織物になる過程にもフォーカスしています。
■みなとみらいぷかり桟橋
14.中谷ミチコ《すくう、すくう、すくう2024》
中谷ミチコ《すくう、すくう、すくう2024》2024年
アーティストの中谷ミチコ
《すくう、すくう、すくう2024》(「掬う、救う、巣食う」の意からくる)は、奥能登芸術祭2020+で発表された作品20点のうちの6点を再構成した作品です。
当時、展示会場となった石川県珠洲市飯田町に住む様々な老若男女20人に、水を掬う仕草の両手の写真を撮影していただき、データで受け取った画像をもとに、水粘土で原型を制作、石膏で型取りし、雌型の空洞に透明の樹脂を流し込んだ彫刻作品群を制作しました。県を跨いだ移動の自粛が呼び掛けられた時期に、送られてきた写真データを頼りに、遠方で生きる他者の気配をたぐり寄せる試みだった、と中谷ミチコは語ります。
私達は自然災害や戦争を含む厄災に幾度となく翻弄され、それでも日々は続き、何度も挫けながら平穏を取り戻すためにまた働き、生きています。
2024年の元旦に発災した能登半島地震によって、モデルとなってくれた方々の住む珠洲市も大きなダメージを受けました。今回の展示にあたり、この作品の購入者を募り、収益は能登半島地震義援金として珠洲市に寄付/返還するとのことです。
以上、第8回横浜トリエンナーレについてご紹介しました。知識欲が刺激され、またかなり思考力が深くなる芸術祭です。気になる方は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
■第8回横浜トリエンナーレ
会期:2024年3月15日(金)-6月9日(日) 開場日数:78日間[休場日:毎週木曜日(4月4日、5月2日、6月6日を除く)]
開場時間:10:00–18:00(入場は閉場の30分前まで)
6月6日(木)–9日(日)は20:00まで開場
チケット:「野草:いま、ここで生きてる」鑑賞券
横浜美術館/旧第一銀行横浜支店/BankART KAIKOの3会場に入場可能(別日程も可)
一般:2,300円
横浜市民:2,100円
学生(19歳以上):1,200円
セット券:鑑賞券と「BankART Life7」「黄金町バザール2024」のパスポートがセットになったチケット
一般:3,300円
横浜市民:3,100円
学生(19歳以上):2,000円
フリーパス:すべての会場に何度でも入場できます(取扱場所は横浜美術館のみ)
一般:5,300円
横浜市民:5,100円
学生(19歳以上):3,000円
チケット購入方法:オンライン
公式WEBサイトにアクセスしてください。
「野草:いま、ここで生きてる」会場
・横浜美術館
・BankART KAIKO(ショップエリア「横浜クリエイティブCOOP」内 )
セット券プログラム 会場
・BankART Station (みなとみらい線新高島駅B1F)
・黄金町バザールインフォメーション 「高架下スタジオSite-Aギャラリー」(横浜市中区黄金町1-6先)
※「野草:いま、ここで生きてる」会場の、旧第一銀行横浜支店、BankART KAIKOでは、チケットは購入できません。
※フリーパスは、「横浜美術館」会場のみで購入できます。オンラインの取り扱いはありません。